メディアグランプリ

牛が教えてくれたこと 死のイメージ設定を変えてみる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:かたせひとみ(ライティング・ゼミ6月コース)

 
 

「育てた牛を売るときってどんな気持ちですか? 寂しくないですか?」
私は、畜産農家であり獣医師でもあるEさんに質問した。
 

先日、私は彼女のトークイベントに参加した。
イベントの告知を見たときから、この質問をしたいと思っていた。告知文を読んだだけで、Eさんが牛達に愛情を注いで育てているのがわかる。だからこそ、家族同然の牛達と別れるときどんな思いがするのだろうか? 思い入れが強い分、寂しくはないだろうか?
 

出荷の度に悲しんでいたら心が持たない。どうやって気持ちをコントロールしているの
だろう? それを教えて欲しかった。
 

なぜなら、私自身が家族との別れをとても怖れているからだ。家族が亡くなることを考えると、心がザワザワし始める。さっきまでの幸せな気分が一瞬で消え失せ、どうしようもなく不安になってしまう。
 

だから、日々、大切な存在との別れを繰り返しているEさんに、聞いてみたかった。どこかで一線を引いて、割り切っているのか? それとも感情のスイッチを切るのか? 心の保ち方を知りたかった。
 

Eさんの話は、驚きの連続だった。大変な仕事だろうと想像していたが、ここまでとは思っていなかった。
例えば、牛の陣痛が始まれば深夜でも牛舎に駆けつけ、難産のときは昼過ぎまで羊水と血と糞尿にまみれて対応する。過酷であり、毎日がイレギュラーの連続だ。
その上、Eさんは3人のお子さんのお母さんでもある。どれほど忙しい毎日なんだろう。命を預かる仕事に、気の休まるときなんてないんじゃないだろうか。
 

しかし、Eさんは「今日、温泉行ってきたのー。めっちゃ気持ち良くてさー」とでも話しているかのようなトーンで、軽やかにケラケラと楽しそうに話すのだ。話の内容と彼女のトーンのギャップに、口をポカーンと開けてしまう私。
 

いやいや、Eさん、このお話、眉間に皺を寄せて深刻な顔して話す内容だよ? プロジェクトXだったら、相当重いトーンで話すところだよ? 
 

でもEさんは底抜けに明るい。牛のことを話すEさんの目はキラキラと輝いていて、彼女が話す度に会場に明るさが広がった。仕事が本当に好きで、楽しくて仕方ない。牛をとても愛しているのが伝わってくる。
 

だったらなお更……。
別れはとても辛いものではないだろうか? 出荷したあと、牛は生を終え、お肉になる。つまり永遠の別れだ。家族同然に大切に育てた牛とサヨナラする……想像するだけで、切なくなる。
 

「出荷するとき、どんな気持ちですか? 思い入れのある分、寂しくなるかと想像しますが、どこかで割り切っているのでしょうか?」
 

私の問いにEさんは、満面の笑みでこう言った。
「誇らしい気持ちでいっぱいになります!」
 

え? 誇らしい? 全く予想もしなかった回答に私は驚いた。
 

Eさんは続ける。
「ここまでよくぞ大きくなってくれた。お前、すごいなーって」
途中で脱落していく牛達を見ていると、出荷できるまで大きくなることは普通ではないのだそうだ。確かにトークの中でも、亡くなった牛の話が何度も出てきた。
 

「このあとお肉になって、お客様の口に入り、『美味しい』という経験や感動を何百人もの人に提供する。私一人がどんな力を使っても何百人の人を幸せにはできないけれど、目の前にいるこの牛は自分の命を使って、多くの人に幸福をもたらす。黒光りするこの和牛が威厳を放ち、神々しく見える様は、崇め奉りたくなるくらいだ」と。
 

経済動物とも呼ばれる肥育牛。彼らのゴールは「お肉になること」なのだそうだ。受精から出荷に至るまでには数々のハードルがある。ハードルを越えられず命を落としてしまう牛もいる中、立派に大きく育ち、ゴールに到達するのはすごいことなのだ。
Eさんは牛達の命をどうやって輝かせるかに心血を注いできたのだと思う。死を単純に悲しみで片づけるのはむしろ牛達に失礼なのかもしれない。命を使い切った彼等の死を誇らしくポジティブに捉える方がふさわしく思えた。
 

「お肉になるのがゴール。全うした彼等は素晴らしい。誇りに思う」
寂しさ、悲しさではなく、誇らしさ。
 

私がイメージする死と、Eさんが描くそれは全く違っていた。
私はずっと、死は辛く悲しいもの、遺された人が大きなダメージを受けるものだと捉えてきた。こんなネガティブな死生観を持っているのは家族の中で私だけだ。私以外は、死に対してポジティブなイメージを持っている。
 

祖母が危篤状態になったとき、家族親戚一同が集まった。祖母の妹は「よく93歳まで生きたねー。もう充分。いつ逝ってもいいよ」と笑っていた。
私の妹は、数日後に友達との旅行を控えていた。旅行に行けば葬儀には参列できないかもしれない。そんな妹に祖父は「もう何もできることはない。死んだ人より生きている人の方が大事だ。旅行に行け」と言い、妹は素直に従っていた。
別の妹は「年寄りから順番に死ぬのが自然でいいよね」と、どこかあっけらかんとしていた。私だけがいつまでもメソメソしていた。
 

なぜ私はこのポジティブさを持たなかったのだろう。
私よ、いつからそんなふうに死を超ネガティブ設定にしたんだ? え? 「フランダースの犬」を見て、ネロとパトラッシュが死んだあと、アロアが号泣していたから? 義父命だった義母が、義父の死をいつまでも嘆き悲しんでいたから? 
 

そうだ、設定が間違っているんだよ。自分で設定した死のイメージが、自分を辛くしているんだ。それなら設定し直そう。
 

人間は必ず死ぬ。牛のゴールがお肉になることなら、人間のゴールは死ぬことだ。生きていることを当たり前と思って暮らしているけれど、この「生」だって、当たり前ではない。生きていること自体が奇跡であり、終わりを迎えることもまた、ひとつの成し遂げた証なのだ。生を全うすることの素晴らしさに気づけたら、死に遭遇したとき、悲しみよりも誇らしさが上回るだろう。
 

人間は、牛のようにお肉になって、誰かの口に入り、誰かを幸せにすることはできない。けれど、生きている間に、周りの人を幸せにする。私も大切な人達から、多くの幸せをもらっている。天寿を全うした故人を誇らしく思うことこそが、彼等への恩返しにもなるのかもしれない。
 

コインを裏返すように、簡単に設定変更はできないかもしれない。でも、牛肉を食べる度に牛がきっと私に教えてくれる。「死はあなたのイメージ設定でしかないんだよ」と。
もしネガティブに設定していたら、私を尻尾で引っぱたき、角で「モー、忘れたのー!」とつついてくれるだろう。そして私は命をいただきながらこうつぶやくのだ。「牛さん、Eさん、大きなきっかけをありがとう」って。

 
 
 
 
***
 
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2024-09-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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