とある執事の若様育成奮闘記(垂見峠の河童編)
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:久田 一彰(ライティング実践教室)
*この記事は事実に基づくフィクションです
「なぜこんな薄暗いところを走ってるんだ?」
「おお、若様お目覚めになられましたか」
静かに車を運転していたつもりだが、カーブや道路の凸凹で若様を起こしてしまったらしい。幼稚園の帰りで遊び疲れて寝たと思ったが、意外と目覚めるのが早かった。
「うむ、今目が覚めた。で、どこを走っておるのだ?」
「はい、このあたりは垂見峠という場所でございます」
砂浜や海が見えていた景色は、だんだんと山の道に入っていき、田んぼや川も姿を消して、木や林は森に変わる。やがては車のかなり高くまで木は伸びていき、天然のトンネルと化していた。
夏というのに、こうも薄暗いだけで、気温だけでなく気配もなんとなく物寂しくなってくる。いよいよ何かが出そうな気配である。
「なんだか、お化けでも出てきそうだな。出てきたらじいが退治してくれよ。怖いから隠れて見ているからな」
「はい、しかしこのあたりに出るのはお化けではなく、河童が出るらしいですぞ」
「なに! 河童だと。じいは見たことがあるのか?」
「いえ、私は見たことはないのですが、この辺りには河童と出会った人がいるという話が伝わっております。ひとつ聞かせてさせあげましょうか?」
しばらく若様は下を向いて何やら考えていましたが、やがて顔を上げておっしゃいました。
「よし、聞かせてくれ。怖がっていても何にもならん。河童のことを知っておこう」
「よくぞおっしゃってくださいました。それでこそ若様でございます。では……」
私は、頭の中にある記憶の本棚の前に立ち、この辺りに伝わるという「垂見峠の河童」の本を取り出して、若様に聞かせて差し上げることにしました。
***
昔、ある若い男が峠に向かおうとしたところ、蓑笠を頭から被り、何かを背負っている人物が近くによってきたそうです。暑い夏なのに顔はキュウリのように青白く、手や足のあたりは濡れていました。汗にしては多すぎるし、雨が降った気配はしません。若い男は緊張しながら身構えるとその人物はこう話しかけてきました。
「すまんが、この樽を峠向こうの芦屋にある廻船問屋まで、運んでくださらぬか? いえ、タダでとは申しませぬ。お礼ははずみましょう」
若い男はその人物、老人のような、を怪しいとも思いながらも、お礼がもらえるというので、ほう、という顔つきをしました。ちょうど今からこの峠を越えて、遠賀・芦屋の方に行くのでした。
「そうか、それなら私もちょうど芦屋の方に行くところだ。引き受けましょう」と言って、その老人の頼みを引き受けたのでした。
「ありがとうございます。ではこの樽を運んでくだされ」
そう言って背中の樽をおろし、若い男の前に置いたのでした。そして、
「いいですか、決してこの樽の中身を見ずに、手紙を廻船問屋まで渡してくだされ。そうすれば手紙を受け取ったものが、きっとお礼をはずみましょう」
「わかったわかった。この樽と手紙を持っていけばいいのだな。お安いご用だ」
「頼みましたぞ、決して中は見ないようにな」
老人の声を背中に受けながら、峠の中へと進んでいきました。
最初は足取りが軽かったのですが、曲がり道を進み、坂道を上っていくうちに、どんどん汗だくになります。砂浜や海が見えていた景色は、だんだんと山の中に入っていき、田んぼや川も姿を消して、木や林は森に変わる。やがては自分の背丈よりもかなり高くまで木は伸びていき、天然のトンネルと化していた。
「それにしても一体この樽の中身はなんだ? ま、知ったことないが、これを運ぶだけでお礼がもらえるんだ。さ、もう一息だ」
歩き続けて、とうとう峠のてっぺん辺りにきました。
お地蔵様が祀られている祠があり、道標には「これより東遠賀郡、西宗像郡」とあります。峠の下の方には、遠賀・芦屋の海が見えます。
「はあ〜、暑すぎてたまらん。ここいらで休憩しよう」
若い男は背中の樽を降ろし、茂みで一休みしました。こんなにも重たい樽の中は一体何が入っているのか気になり、あたりを見回して誰もいないことを確認すると、こっそり樽の中を見てみました。
すると、中には何やら薄いものがたくさん詰めてあります。
「なんだこりゃ? 動物の皮?」
樽の中に手を突っ込み、皮を数えると、999枚。
そして、預かった手紙をこっそり見てみると、
「この尻をもつて千尻なり」
と書いてあります。
「いったいなんのことだ? 千って書いてあるけど、999枚しかないぞ、一枚足り……」
そう言いかけて、若い男は老人から受け取った時のことを思い出しました。
蓑笠で顔を隠している
手足は濡れ、青白いキュウリのような顔。
この手紙を芦屋の廻船問屋に渡す。
手紙を読む。
中身が999枚で、あとの1枚、そこにいる動物の尻は……!!
「え、この樽を運んだら、河童に尻を剥ぎ取られて……」
そう思った瞬間、両方の腕には鳥肌が立ち、太ももにも鳥肌が立つ。左耳の後ろからてっぺんにかけても何かが走り抜けます。そこの茂みから今にでも、もののけが出てきそうです。慌てた男は、頼まれた樽を投げ出し、大急ぎで峠を降りて行ったのでした。
**
「そ、そ、その男や尻の入った樽は、いったいどうなってしまったのだ」
「さあて、尻を剥がされたのか助かったのかは分かりませぬ。ですが、ここの名前はこうして樽の中身を見たから“樽見峠”、それが転じて“垂見峠”となったらしいですぞ。峠や村の境というのは、異界との境目ですからな。そういった異界のものが出やすいから、河童がいたとしても不思議ではありませぬ」
「やはり怖いな、早く通り過ぎてくれよ。尻の皮を剥ぎ取られたくない」
「はい、若様、かしこまりました」
そう言いながら、さらにアクセルを踏んだ。
薄暗かった天然のトンネルを抜け、峠を越えると、青い底へと車を走らせた。
参考文献:『宗像伝説風土記〈下〉』上妻国雄(西日本新聞社)
***
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