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和解~あるがままを愛されなかった娘と愛せなかった母


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:村川久夢(ライティング・ゼミ9月コース)
 
 

※この記事はフィクションです。
1、
「この子は何を着せても似合わないわね。誰に似たんだろう!」
 
母の秋江が無意識に吐き出したその一言は、怜の幼い心を深くえぐった。秋江が前面いっぱいに刺繍をしたブラウスには、かすかに防虫剤のにおいがして、食べこぼしのシミが少し残っている。しかし、今も糸の花は鮮やかに咲いていた。
 
一ヶ月前に亡くなった母の遺品を整理していた怜は、母の箪笥の底からこの刺繍のブラウスを見つけた。刺繍のブラウスは、そんな記憶のすべてを閉じ込めているかのようだった。
 
引き出しの中には、怜の幼い頃の写真と一緒に、何枚かの未完成の刺繍が残されていた。どれも秋江が怜のために用意したものに違いない。
 
「お母さん、手芸が得意だったから、私のものをたくさん作ってくれたね。でも、新しい服が完成して、私が着るたびにガッカリしていたよね……」
 
秋江の嘆く言葉を聞くと、幼い怜は自分がなにか大きな過ちをしでかしたような戸惑いと悲しさを感じたのだった。秋江はだれもが認める美人だったが……。
 
「怜ちゃんのお母さんは、綺麗な人なのにね……」
「怜ちゃんはお父さん似ね。お母さんに似たら良かったのにね……」
 
大人の心ないことばが、幼い怜の心を傷つけた。美人で手作りが得意な秋江は怜の自慢だった。しかし、母手作りの洋服を着ても、着映えしない自分に怜はいつも気おくれした。
 
秋江はいつも遠い人だった。同じ家で母と子として暮らしていても、秋江に嫌われることが怖くて、怜は秋江といると他のどんな人といる時よりも緊張した。
 
 

怜は秋江に好かれようと必死だった。気に入られるために自分から進んで母のお手伝いをした。
 
「お母さん、私が洗濯物をたたもうか?」
「チキンライスのケチャップが足りないね。私が買ってきてあげるよ」
 
怜が進んでお手伝いをしたり、お使いに行ったりすると、秋江は満面の笑みをうかべて、うれしそうにいった。
 
「怜ちゃん、助かったわ。ありがとう! あなたは本当にいい子ね!」
 
怜は母の笑顔見たさに懸命に頑張った。母に似ていず、いつも母をガッカリさせている穴埋めをするかのように……。まわりの大人がいい子の怜を褒めると、秋江は決まってこう言った。
 
「器量は良くないんですが、大人しくて聞き分けが良いことだけが取り柄なんですよ」
 
怜にとっては、心ない母のことばだった。秋江は聞き分けのよい怜に慣れきって、怜の気持ちを考えることに疎くなっていたのかも知れない。
 
怜は勉強にも真面目に取り組み、努力の甲斐あって怜の成績はいつも良かったのだ。ところが、いい成績を取っても、怜は大好きな秋江の美しい笑顔を見ることはできなかった。母を喜ばせようと怜は必死だったのに……。
 
怜と秋江の微妙な関係に気づかない人たちには、賢く聞き分けのよい怜と美しく優しい秋江は絵に描いたような良い母と娘に見えた。まわりの大人は誰も気づかなかったが、怜はいつも何か満たされない生きづらさを感じていたのだった。
 
 

怜が秋江の作った刺繍のブラウスを眺めていると、いつの間にか父がすぐ近くに立っていた。
 
「お母さんが作ったブラウスかい? 怜のために一生懸命に刺繍していたな。怜はお母さんの自慢だったからね」
「そうなの? お母さんはいつも私のことを、『器量は良くないんですが、大人しくて聞き分けが良いことだけが取り柄なんですよ』って言ってたわよ」
「怜は賢いと思っていたけれど、そんなことばを真に受けていたのか?」
 
怜は気持ちがグラグラするのを感じた。怜の心に何を着ても着映えしない怜に落胆した母の顔が浮かんだ。
 
「お母さんは学歴がないことに引け目を感じていたからね。怜に自分と同じ思いをさせまいと一生懸命だったよ」
「そうだったの?」
「ああ、怜が大学に行った時は、本当に嬉しそうだったよ」
「お母さんが……」
「母さんは不器用な人だったからな。褒める代わりに厳しいことばを選んでしまう人だった。でも、お前が頑張っている姿を見るたびに、本当は誇らしそうにしていたよ」
 
自制心の強い怜が、父のことばに、抑えつけていた感情が大きく揺れるのを感じた。父のことばが一つ一つ、怜の心にしみこむように響いてきた。怜が長い間抱えていた疑問と孤独感が、少しずつ、しかし確実にほどけていくような感覚だった。
 
「『それに、怜は利口な子だから、すべて見抜いているのよ。だから、怜は他の子が母親に甘えるように私には甘えてくれない』とよく寂しがっていたな……」
「お母さんは本当に私を誇りに思ってくれていたの?」
 
怜は確かめるように何度も同じことを父に問いかけた。
 
「お父さんには、『怜は、粘り強くて頑張り屋なの。どこに出しても恥ずかしくないわ』とうれしそうに言っていたよ」
「嘘よ! そんなこと一言も言わなかったわ!」
「怜、自分の感情を抑えてしまうお母さんが、自分の娘をおおっぴらに褒めると思うか? お父さんは、怜がお母さんの気持ちをわかっていたと思っていたよ」
 
怜の目から涙が溢れ出た。父は怜を一人にしてやろうと思ったのか、黙って部屋を出ていった。
 
 

怜の指先が刺繍に触れるたびに、母の手の温もりが蘇るようだった。その温もりの中で、不意に涙が零れた。幼い頃、なぜこの温もりに気づけなかったのだろう。
 
「似なくてもいいことは、お母さんに似てしまったね」
 
怜に着せるために一心にブラウスを刺繍する美しい秋江の姿が怜の心に浮かんだ。白く細い母の指が、器用に色とりどりの刺繍糸を針に通した。
 
「でもね、お母さんが私にがっかりしてたんじゃなくて、自慢に思ってくれてとてもうれしいよ」
 
刺繍針が布を突き抜けるたびに、かすかな糸のこすれる音が秋江の指先から響いていた。糸の花を咲かせるたびに、秋江は微笑み、一針一針にどれほどの想いを込めていたのだろうか……。
 
「お母さん! 私たちもっとありのままでよかったのね。もっともっと本音で話し合えたら良かったね。そしたらお互いに苦しまなくてもよかったのに……」
 
怜はずっと母に愛されていないと思っていた。でも、それは違った。母もまた、怜の愛し方に迷っていただけだったのだ。お互いにもっと早くそのことに気づいていれば……。
 
「お母さんは私を自慢に思っていてくれた。がっかりなんかしていなかった。だからもう、私自身が私を責めたりなんかしない」
 
怜は、秋江に愛してほしいあまりに、ずっといい子を演じていた自分に気づいた。だからいつも満たされなくて、生きづらかったのだと。
 
秋江の思いがこもった刺繍のブラウスは怜に、「あなたはお母さんの自慢の娘よ」と語っていたのだった。
 
母は怜を誇りに思い、深く愛していた。でも、これからは誰に認められなくても、私自身が自分のあるがままを認めて愛そうと、怜は心に決めたのだった。
 
あるがままの自分を愛すること。それは、秋江が託した刺繍の糸のように、怜自身の人生を鮮やかに紡いでいく力となるのだと、怜は気づいた。
 
刺繍の糸がつなぐ思いのように、私たちも自分の物語を紡いでいく。あるがままの自分を愛することが、人生を鮮やかに彩る第一歩だ。

 
 
 
 
***

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2024-12-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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