メディアグランプリ

リリカルな骨折

thumbnail


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:あき(ライティング・ゼミ9月コース)
 
 
「ほら、ここに鼻骨がはっきり写っているでしょう。問題ないですね。鼻骨の左側に骨ありますよね、これです」レントゲン写真を指差す医師の声は落ち着いている。
 
「右側、写っていませんね。多分これ……折れてます」
 
「え゛!?」
何かが失われた感覚に包まれた。写っていない骨があるという事実に胸が締めつけられる。
 
診断は眼窩底骨折。機能に影響はないので、治療は不要という。「折れやすい骨なんでね。男の人なんか大体折れてますよ」という、ホントか嘘かわからないステレオタイプで慰められて、診察が終わった。
 
転んで骨を折るという人生3回目の経験は、自分が老いていることを鮮やかに突きつけてきた。なぜなら、転んだ理由が思い当たらないし、自分を守ることもできなかったからだ。
 
初めての骨折は小学生の時で、鉄棒から落ちて肩の骨を折った。地面に向かって落ちていく数秒間で、「顔は守らなきゃ!」と腕でかばい、痛みよりも「守れた」という安堵が先に来た。
 
2回目の骨折は、高校生の時。地下鉄の階段を踏み外した。「ひょっとしてうまく着地すればイケる?」との淡い期待は、足首の骨と共に、重力の前にあっさり砕け散った。それでも、自力で立ち上がって電車に乗れた自分が、少しだけ誇らしかった。
 
なのに、今回は気づいた時には、もう無様に地面に這いつくばっていた。カバンとメガネのレンズが、道路に散らばっているのが見える。「え? 今何が起こったの?」手のひらも膝も痛いが、何より強烈に顔が痛い。かばう間も無く、ただ前にべちゃーっと転んだのだ。
 
「大丈夫ですか?」親切な誰かの声が聞こえ、散らばったカバンの中身やメガネを拾ってくださっている様子が感じられるが、痛すぎて顔を上げることができない。
 
「さあ……どうでしょう」自分なりには精一杯の正直な答えだが、こんな答えを聞かされたって困るだろう。こういう場合、正しい答えは「あ、はい、大丈夫です!」または「すみません、救急車呼んでください」だ。
 
口の中に砂が入っている。転んだ時、私口開けてたんだろうか? そんなことより、立ってお礼を言わなくちゃ。自分の足が妙に頼りなく感じる。
 
なんとか立ち上がった時には、親切な人はどこかにいなくなっていた。せめてお礼を言いたかった。あの人の優しさだけが、この日唯一の救いとなった。
 
幸い、転んだ場所が家の前だった。バラバラになったメガネとカバンを拾い集め、すごすごと帰宅する。両手のひらはすりむけて血が出ていた。この分だと、膝も同じことになっているだろう。よし、とりあえずは傷の手当てだ。
 
消毒液、塗り薬、各種絆創膏、傷の手当は慣れたものだ。痛いは痛いが、これなら、2週間くらいで治るだろうと見当がつく。
 
手と足の手当てを済ませた後、洗面所で自分の顔を見つめながら、「これが年齢を重ねるってことなんだろうか」とぼんやり思う。かつての自分なら、転ぶ前に防げていたはずなのに。
 
鼻の頭がすりむけて血が滲んでいる。道路の粉塵が傷の中についている。とりあえずこれを洗って取らなくちゃ……って、いったーーーーーーーーーい!
 
飛び上がるような痛さに、思わず声が漏れ涙も出てくる。痛さに震えながら、顔にのめり込んだゴミを洗い落とす。鼻骨は折れていないようだ。とりあえず、打撲の手当に冷湿布を顔に貼り、冷凍庫からアイスパックを出して、その上に乗せた。
 
脳神経外科に行ったのは2日後。来院時は痛みも引き始めていたし、むしろ目の周りの内出血の方がビジュアル的にはホラーだった。そこで、骨折の事実を告げられたのだ。
 
その日から、同じ考えが何度も頭に浮かぶようになった。
 
「なぜ何もわからないうちに転んでしまったんだろう」「また転んだらどうしよう」「きっと次はもっとひどい怪我になる」そんな不安が何かの拍子にふと押し寄せてくる。傷が順調に治っていくのとは反対に、気持ちはどんどん沈んでいった。
 
年齢を重ねるということは、守れる力を失うことなのかもしれない。かつて自分を守るために動かせた手も、今は擦り傷とあざのせいで、髪の毛を洗うこともできない。老いが着実に訪れていることを、痛感した。
 
ただ、このままひとりで鬱々としていても仕方ない。そう考えて、友人に一部始終を打ち明けた。
 
「……それは、なんというか、リリカルな骨折だね」
「リリカル?」思わず聞き返した。叙情的な骨折?
 
でも、その言葉は、私の心にすっと入ってきた。「確かに」と微笑む。そう、今回の骨折には、確かに詩的なムードが漂っている。
 
転ぶ直前、私はふと空を見上げた。その冬の青さは、ただただ澄んでいて美しかった。太陽の光が頬に触れる感覚が心地良くて、なんとなく走り出した瞬間につまづいたのだ。
 
季節の小さな変化に気を取られる――そんな風に老いていく自分を、少しだけ愛おしいと感じる。
 
転ぶのは恥ずかしく、痛い。でも、それを避けられない現実として受け入れる年齢になった。老いは、詩のように世界を見る繊細さと、助けてくれる親切な誰かの手の温かさを、そっと教えてくれる。
 
大丈夫。ゆっくり、リリカルに生きていく時が来たんだよ。空の青さや風の柔らかさを味わいながら。転ぶことさえも、人生の詩の一節として受け入れながら。
 
 
 
 
***

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「天狼院カフェSHIBUYA」

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-20-10 RAYARD MIYASHITA PARK South 3F
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先 レイヤードヒサヤオオドオリパーク(ZONE1)
TEL:052-211-9791/FAX:052-211-9792
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-18-17 ENOTOKI 2F
TEL:0466-52-7387
営業時間:
平日(木曜定休日) 10:00〜18:00/土日祝 10:00~19:00



2025-01-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事