メディアグランプリ

一年前の自分を超える難しさ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:川瀬健二(ライティング・ゼミ9月コース)
 
 
「はい、じゃあ順番にライトバンに乗ってください」
僕は促されるまま後部座席に座り、高台の土手から下を眺めていた。
 
折り返し地点に向かって、右に走る人たち。
そこを通過して後半戦、ゴールを目指して左に走る人たち。
さっきまで一緒に走っていたのに、ライトバンに乗っている自分。
「なんでマラソンしに来て、車で運ばれているんだろう」
大人になってから、こんなに惨めな思いをするとは思わなかった。
 
人生で初めて、フルマラソンに挑戦した。
一年間ずっと練習をしてきたから、少しばかり自信はあった。
最初は順調な滑り出しに思えたが、折り返し地点を通過したあたりで左膝に激痛が走った。それでもペースを落として走り続けたが、やがて歩き出し、ついにはそれも困難になった。25㎞を過ぎたあたりで、僕はリタイヤした。運営スタッフが準備していたライトバンで、荷物を預けていたスタート地点まで搬送してもらうしかなかった。
 
スタート地点に戻ってからも、あまりに膝が痛すぎて着替えるのもひと苦労。
「きつかったねー」と笑顔で帰るランナーたちを横目に、自分は足をひきずりながら、手すりにつかまりながら、地下鉄の階段を降りていた。
 
元々、フルマラソンなんて無理があったのだ。
練習したといっても、せいぜい15kmぐらい。
それでも何とかなるだろうと思っていた自分が甘かった。
まだ冷たい3月の北風が身に沁みた。
寒くて、惨めで、屈辱的な一日となった。
 
その一年後、僕はまた同じマラソンレースのスタート地点に立っていた。
天気は快晴、風もなく絶好のコンディションだった。
また膝が痛くなるのではないかという不安が、頭をよぎる。
大丈夫、全てはこの日のために練習を重ねてきたんだ。
 
前半は抑え気味で行こうと思っていたが、テンションが上がっているせいか、ついスピードを上げてしまう。予想以上に体も軽く、気持ちよく走れていた。
昨年棄権した地点を通過しても、まだ余裕があった。
 
しかし前半に飛ばしたせいか、30kmを超えたところからキツくなってきた。
左膝の痛みはなかったが、足はどんどん重くなってくる。
「いっそのこと、ここでもう止めちゃおうかな。昨年よりは進歩したよな」
「いや、あり得ない。どこで止めても棄権には変わらないだろ」
心の中で葛藤を繰り返しながらも、前半のスピードはもう既にない。
 
給水ポイントがくると歩いてしまう。
もはや走っているというよりは、もがいている感じだ。
「もうほんと、辛すぎる」
リベンジを挑んだことを後悔し始める。
いい歳してフルマラソンなんか走って、意味あるのか?
汗が潮となり、鼻水は垂れるし、もうぐちゃぐちゃだ。
 
でも残り5kmになった時、ふと脳裏に浮かんだのは、妻の笑顔だった。
忙しい日々の中で支えてくれた彼女の「怪我しないでね」という優しい声。
仲間たちの「明日は頑張って!」という温かい励まし。
一つひとつの回想が僕を包み込み、足を前に進めた。
 
自分は何のためにここへ来たのか?
自分を変えるっていう覚悟は本物なのか?
マラソンを始めた理由は、健康だけじゃなかったはずだ。
苦しいことから逃げずに向き合うために、走っているんじゃないのか?
忘れもしないあの屈辱を晴らすために、僕は頑張ってきた。
必ずゴールして、一年前の自分を見返してやろうと心に誓って。
 
そして、残り1km。
ゴールが近づくにつれて、周りの観客の声が聞こえる。
拍手と喝采が、すべて自分に向けられたエールのように感じられた。
 
ゴールした瞬間、周囲の景色がぼやけた。
感極まって、涙が溢れていた。
前日から考えていたガッツポーズをすることは、すっかり忘れていた。
目標タイムには程遠い結果だったが、それもどうでもよかった。
「完走させてくれてありがとう」
大切な人たちに一人ずつ、心の中で感謝していた。
そうだ、この人たちがいたから、僕はゴールできたんだ。
 
もし一年前に運よく完走できていたら、きっと自分に酔いしれていただろう。
翌日になったら、周りに自慢しまくったに違いない。
「フルマラソンなんて、本気でやればできるんだよ」なんて言いながら。
 
そんな自分を、少しだけ超えることができた。
フルマラソンを完走できた満足感よりも、応援してくれた人たちへの感謝の気持ちと、一年前より自分のメンタルが少しだけ成長したことが嬉しかった。
 
初めてフルマラソンを完走したあの日から6年が経った。
僕は54歳になった。
哀しいけれど、フィジカル面では年々衰えを感じる。
 
イチローがテレビで話していた。
今でも毎日、現役時代よりも厳しいトレーニングをしていると。
昨年までできていたことができなくなる。
体力を維持するためには、全盛期よりトレーニング量を増やす必要があるのだ。
 
人生100年時代、長生きできる確率は上がった。
医療が発達して、病気になりにくい生活をおくることができる。
お金さえあれば、健康が手に入るのかもしれない。
 
しかし一年前の自分を超えることは、年々難しくなっていく。
だからこそ、人生の後半へと折り返す僕は思う。
美しい人生とは、衰えに抗い続けることだ。
そのために、己に打ち克つ心の強さと、感謝の気持ちを持ち続けたい。
 
 
 
 
***

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「天狼院カフェSHIBUYA」

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-20-10 RAYARD MIYASHITA PARK South 3F
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先 レイヤードヒサヤオオドオリパーク(ZONE1)
TEL:052-211-9791/FAX:052-211-9792
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-18-17 ENOTOKI 2F
TEL:0466-52-7387
営業時間:
平日(木曜定休日) 10:00〜18:00/土日祝 10:00~19:00



2025-01-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事