メディアグランプリ

ちいさきイノチが山となるとき


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:としあん(ライティング・ゼミ3月コース)
 
 
 私が写真学校に通っていたころ、横浜から湘南へかけてフィールドワークの授業があった。学生同士で撮り歩きながら、潮の香りが混じる通りを散策し、ローカルな食堂にも足を運ぶ。港町ならではの新鮮な海産物を看板に掲げた店が並び、いかにも「湘南名物」と謳うメニューがここぞとばかりに目を引いた。そんなとき、ふと見かけた「しらす丼」の文字。地元名物を味わって帰ろうという流れで、私たちは一軒の食堂へと入ったのだ。
 
 ところが、学生のひとりが注文を待つあいだ、落ち着かない様子でうつむいているのに気づく。香港から来ていた留学生だった。彼は、ビーガンだったのだ。それまで、彼がビーガンということはぼんやりとは知っていたが、「魚も口にしない」ということまでは深く考えていなかった。その日はうっかり、彼も私たちに合わせてしらす丼を頼んでしまったようだった。やがて運ばれてきた丼を前に、彼は顔色を変え、「僕これ、食べられない」と言う。真っ白なごはんの上に、あふれそうなほど盛られた生まれたての稚魚たちの群れ。それを見た瞬間、彼にはそれが「死体の山」にしか映らなかったのだろう。結局、彼の丼は一口も減らずに下げられた。
 
 そのとき、私は奇妙な衝撃を覚えた。「ああ、たしかに、ビーガンは肉だけでなく魚もダメなのか」と、初めて腑に落ちた。そして同時に、あれほど小さく、まだ育ちきっていない魚の命を、一度にこんなに盛りつけることに、なぜ自分が何の疑問も抱いていなかったのかと考え込んだ。いつもなら「海の恵み」「新鮮で美味しい」などと喜んで食べていたものが、急に現実の生々しさを伴って迫ってきたのだ。
 
 しらす——炊きたての白米に、これでもかと小さな魚が載せられる光景。私には、そこに透けて見える無数の小さな目が、どうしても「命の痕跡」に思えてならない。彼らは、ほんの少し前まで海の中で泳ぎ回り、やがてやってくる不意の捕獲など予期することもなく、ただ懸命に生きていた。それがある日突然、一網打尽にされ、湯の中で茹で上げられ、白い丼の上に山のように盛られている。顔のある個体がそのままの形で積み上げられているからこそ、余計に痛々しい。静かに目を閉じることすら許されないまま、まるで「美味しさ」の象徴のように晒しものになっているのだ。
 
 現代はSNSを開けば、サバンナの弱肉強食の映像が大量に流れてくる。群れを追う肉食獣、追いつめられ逃げ惑う草食動物、そして噛みつかれて動かなくなる一匹。そのリアルすぎる死のシーンに目を背けたい気持ちと、どこか本能的にリロードして何度も見てしまう好奇心がせめぎ合う。胸が軋むような痛みと残酷なまでの興奮。けれど、それらはあくまで画面の向こう側の出来事で、映像の再生が終われば、私たちはスマートフォンを閉じて日常へ戻る。なぜそんな死を何度も見てしまうのか。そこに眠るのは、人の奥底にある野生の名残か、それとも他者の死を“娯楽”として消費する奇妙な倒錯なのか。
 
 しかしながら、死が「数」になった瞬間、私たちの感覚は急速に鈍磨していく。何万もの死者、数え切れないほどの犠牲者――災害や戦争のニュースでそうした数字を聞いても、具体的な想像力はなかなか働かない。一人ひとりの顔や、そこで失われた生活までは追いつかない。集計され、切り取られた死者数はただのデータとなり、私たちはそこに生じる圧倒的な喪失感を、むしろ遠ざけようとするかのように受け流してしまう。
 
 だが、その「数」が、一体ずつ目の前に積み上げられたとしたら、私たちはどう感じるだろう。無数の亡骸が地面を覆い、そこから漂う生臭い匂いにさらされ、皮膚にじかに触れそうなほど近づけられたなら。そこでようやく、一匹一匹、一人ひとりの命が、自分と同じ重さをもつ存在だったと気づくのかもしれない。しらすを丼のうえに山盛りにした光景は、ある意味、その極端な図式を縮小版の形で提示している。私たちは数百匹、数千匹の小さな魚の死を、わずかな食事の場に凝縮させているのだ。
 
 植物にも命がある。米も、納豆も、大地や太陽の光を受けて育ち、いずれ刈り取られる。その点だけを取り上げれば、しらすと変わらないのではないかという意見もあるだろう。しかし、そこに晒される「形」は決定的に違う。野菜や穀物は、日常生活の中で見慣れた姿とはいえ、すでに原型がわかりにくく処理されることも多い。肉や魚介にしても、スーパーでは「部位」をぼかした形でパックに詰められ、本来どんな姿の動物だったかをあまり意識させないように売られている。「罪悪感フリー加工」とでも呼ぶべき手法が、人間に都合のいい形で普及しているのだ。
 
 けれど、しらすはそうはいかない。彼らの目も、背骨も、ヒレも、まるごと見えてしまう。なぜ私たちは、それほど露骨に命の痕跡が残っている食べ物を「可視化された死体の山」としてではなく、「美味しそうな名物」として受け入れられるのか。もしかしたら、日常に蔓延する映像や情報のパッケージ化が、私たちの「生々しさ」に対する感度を奪っているのかもしれない。「リアル」を前にしたときの違和感や驚きを、いつしか鈍らせてしまったのだ。
 
 思い返せば、私はかつてパッケージツアーで東南アジアを訪れたことがあった。有名な観光地をバスで巡り、ガイドブックに載る定番スポットを片っ端から消化する。だが、不思議なことに、そうして見聞きした風景は、帰国してしまうとすぐに色あせてしまった。しかし、わずかな自由時間に迷い込んだ裏路地の屋台や、通じない言葉を笑いまじりに埋め合わせた身振り手振りのやり取りは、ずっと鮮明なまま記憶に残っている。人為的に整えられた世界よりも、少し混沌とした「生の手触り」のある場所ほど、記憶の底で強く息づいているのだ。
 
 しらすにも、そうした「生々しさ」がぎゅっと凝縮されているように思う。だからこそ、それを丼の上で目にしたとき、私はときに言葉を失う。あまりにリアルすぎる彼らの死に、笑顔で箸を伸ばす気持ちにはなれないのだ。けれど、それは私のただの感傷なのかもしれない。なぜなら、多くの人々がしらす丼を見ても、そこに残酷さを感じることなく、むしろ喜びや食欲をかき立てられるからだ。
 
 留学生の彼は、あの日のしらす丼を一口も食べずに下げさせた。あのときの沈黙は、私にとって強烈なメッセージとなって胸に残っている。数多の稚魚たちの命を「ごちそう」として受け止めるのか、それとも「死体の山」として目をそらすのか。私自身、社会の多数派からは外れた感覚を抱えているのだろうか。それとも、私以外のほとんどが、すでに何かに麻痺しているのだろうか。
 
 いずれにせよ、あのざわつきだけは、確かに私の中に生き続けている。それは、しらす丼を目にした瞬間に生じる、本物の「リアル」への違和感だ。それを忘れてしまえば、いつのまにか何万人の死も、何千匹の死も、単なるデータの羅列にすり替わってしまうような気がするのである。私は今日も、あふれるSNSの情報を遠巻きに見ながら、あの日の彼としらす丼の記憶を思い返す。あの丼に乗っていた無数の瞳と出会ったとき感じた心の痛みこそが、私にとっては疑いようのないリアルなのだ。
 
 
 
 
***

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「天狼院カフェSHIBUYA」

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-20-10 RAYARD MIYASHITA PARK South 3F
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先 レイヤードヒサヤオオドオリパーク(ZONE1)
TEL:052-211-9791/FAX:052-211-9792
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-18-17 ENOTOKI 2F
TEL:0466-52-7387
営業時間:
平日(木曜定休日) 10:00〜18:00/土日祝 10:00~19:00



2025-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事