獣は春に蘇る
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:ほり こずえ(ライティング・ゼミ3月コース)
※この記事はフィクションです。
夜の川の音がまだ耳に残っている。
最初は雨かと思ったが、そうではなかった。築50年の古民家を改造した建物は、機密性の高い最新住宅とは違って、外と内がゆるやかに繋がっている。建物の前を流れる川の音も、木々を揺らしながら渡っていく風の音も、障子戸を閉めた室内で、寝袋に入っていてもよく聴こえた。
川の音の中で、森の動物のように眠った。
日曜の朝、古民家の庭先で歯を磨きながら、芽衣はこの場所にいる自分自身に驚いていた。正確に言えば、昨日T県から新幹線に乗り、F市に向かっている時から驚き続けている。
何が私をこの場所に向かわせたのだろう。平日の仕事で疲労しているにも関わらず、片道約460キロの距離を移動するこのエネルギーは、自分の中のどこから湧いてくるのだろう。
「おはようございます」
振り向くと、20代半ばくらいの、髪をおかっぱにした小柄な女性が同じく歯を磨きながら立っていた。
芽衣はとっさに名前を脳内で検索した。
昨日初顔合わせで自己紹介しあったばかりなので、顔をキイにして検索しても名前がヒットしない。
「おはようございます。結構寒いですね」
「T県はどうですか? まだ寒いですか?」
会話するうちに思い出した。彼女は「みっちゃん」だ。
みっちゃんは、去年まで獣医師として働いていたが、鳥インフルエンザ対策で鳥が大量に殺処分される現場に関わったことがきっかけで、獣医師を辞めてしまった。
彼女の話は衝撃的だった。テレビニュースでは鳥が大量に処分された、という事実しか伝わらないが、実際にその場にいた彼女の口から聞くと、大量の鳥たちが次々と殺され死骸が積み上がっていく異様な状況を、初めて想像することができた。
現場は冬の夜で、あまりにも寒かったので、これから処分する鳥を腕に抱いて暖をとった、とみっちゃんは表情のない声で淡々と話した。
芽衣は、少女の面影が残る小柄なみっちゃんが、暗い夜に防護服を着て、震えながら鶏を抱き抱えている姿を想像した。それは、殺戮から腕の中の命をなんとか守ろうとする、無言の抵抗の姿のようにも見えた。
神奈川県の山間にあるこの古民家では、月に1回、1年間をかけて、自然の力を生かした農や、暮らし方、考え方を学ぶコースが開催されている。元々はオーストラリアで始まったある種の学問体系で、今では全世界に広がっていた。
今年集まった9人の受講生の自己紹介は、どれも個性豊かだったが、共通しているのは、皆自分の生き方に何か疑問を感じている、という点かもしれなかった。
8時からみんなで朝食をとった。基本、肉や魚を使わないビーガン料理だ。その日農場で採れた野菜や、その辺りの野草なども使われる。
味付けもあっさりしていて、濃い味に慣れた芽衣の口には物足りなく感じたが、不思議と満足感はあった。
「みんな、自分が普段何に従って日常を組み立てていると思う?」
講義が始まるなり、講師のSさんから問いかけられた。講義初日の昨日もそうだったが、受講生に意見を求められるのに芽衣はまず面食らった。小中高大学と学校に通ったが、先生から意見を求められる機会はあまりなかった。ただ与えられる講義を受け身で聞いていればそれで良かったが、ここは違う。
芽衣は、急いで頭の中で思考を組み立て始めた。
「自分で考える」回路は錆びついていて、思ったように回転しない。
「スケジュール帳を見て、毎日仕事をしますけど」
受講生の一人が答えた。50代の男性で、数ヶ月後には仕事を辞め、農業を始める予定だという。
「そうだな。要するに「時間」に従ってるだろ? 現代人は「時間」ていう人工的なものに従って生きてるんだよ。対照的に、狩猟採集生活をしてる人たちは、自然に従って日常を組み立てるんだ。風向きとか、鳥の声とか、自分を取り巻く自然からいろんな情報を読み取って、行動を組み立てる」
芽衣は愕然とした。そう言われればそうだ。自分の意志で毎日行動しているように思っていたが、実際は「時間」に追われて、いや支配されて生活している。
「現代人は、そういう感覚を失ってるんだよな。病気になったらどうする? すぐ病院行ったり、薬局行って薬買ったりするだろ? 本来はまず自分の体に聞くべきなんだよ。今何が自分にとって必要か。そうすりゃ医者に行く前に、ちょっと働きすぎてたから休もうとか、あるいは体が冷えてるから温めてみようとか、なんか気づくはずなんだよ。
だけど、そういう感性をなくしちゃってる。生きる力が弱くなってんだよな。」
目立たなくしていようと思っていたが、芽衣はなぜかいても立ってもいられなくなって、気づいたら発言していた。
「あの、そういう感性を取り戻すには、どうしたらいいんでしょうか? パソコンに囲まれてオフィスワークを毎日していると、どうしても自然から遠ざかってしまうんですが」
少し考えてから、Sさんはこういった。
「辞めるしかねえな!」
どっと笑いが起こった。一刀両断の回答に、芽衣も思わず笑ってしまった。
「でもさ、今までの拠り所を捨てることによって、悪いことって起こらないと思うんだよ。お金のことは、必要な時に必要な仕事に出会うんじゃないかな」
窓の外では冬の名残の雪が降り始めた。
9人の生徒と講師のSさんがいる10畳ほどの板張りの部屋は、古ぼけた石油ストーブと薪ストーブで暖まっている。
世界は音を立てて変わり始めている。
戦後の価値観には逆風が吹き出し、経済は逆回転を始め、地震が世界中のあちこちで起こっている。
芽衣の頭の中も、急速に音を立てて組み変わり始めていた。
それはさつきの意志とは関わりなく、勝手に始まったシステム交換のように感じられた。
長く眠っていた自分の中の感性が、蠢き出したのかもしれない。
ふと、そのように芽衣は思った。
安全な街から危険なジャングルに、急速に変貌し出した世界を生きるために。
いや、世界はそもそも最初からジャングルだったし、私はその中で生きる一匹の獣にすぎないのかもしれない。
獣の感性が、私をこの場所に連れてきたのかもしれない。
薪がはぜる音がする。
数千年前の狩猟採集民族も聞いたかもしれない、原始的な音。
みっちゃんも、穏やかに笑っている。
午後には、雪が止んだので農園の見学に出かけた。
少しずつ春の野草が育ち始めていた。山の際の水田には、無数のオタマジャクシがひしめいていて、受講生達を驚かせた。
芽衣は、風を感じて、土の匂いを嗅ぎとろうとしてみた。
生まれたばかりの一匹の獣のように。
***
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