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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:小川美樹(ライティング・ゼミ3月コース)
 
 
急いでいた。
四丁目の交差点で案の定、足止めを食らう。地下を走ったほうが良かったか。いや仕事帰りの人の流れに逆らうほうが時間がかかる。
じりじりと信号が変わるのを待っていると、和光の時計が7時を指すのがわかった。7時に店が閉まってしまう! 遅くなると連絡はしたけれど、閉店間際、迷惑な客だろう。
急がないと!
信号が青に変わった。
いい年をした大人が息を切らせて小走りしている。この大人の街には全然似合わない。
でも、いいのだ。
急げ急げ。
どうしてもほしい鞄があった。
本革の、軽くて丈夫な、仕事用の鞄だ。一目惚れだった。
ショーウインドウに飾られたそれは、たくさんの鞄のなかでもひときわ目を引いた。
色は黒で、どんな場所、どんなシチュエーションにも馴染みそうなフォルムだ。都心の取引先でも、田舎の工場でも、ラグジュアリーなホテルでも、威勢のいい下町でも。
それが今日、やっと手に入るのだ!
小走りの私の周りを、飛ぶように景色が過ぎていく。くるくると人をよけながら、ずんずん進んでいく。
新橋のオフィスを定時ぴったりに飛び出して、ちょうど今3丁目を走りぬけた。仕事で疲れているはずだが、足取りはとても軽い。
仕事終わりと見える女性の集団とすれちがう。色とりどりの服装、おしゃれをした彼女たちの手元をちらりと見る。
どんなバックもあの鞄にはかなわない。それに私が買うのは、彼女たちのようなブランド品ではない。職人が丁寧にひとつひとつ作り上げた匠の技の結晶、メイドインジャパンの鞄だ。
窓越しに一目ぼれしてから数か月。何度も店に通っては、まだ自分には早いとあきらめ、いや、やはりほしいと眺め、私にとっては安くない値段について何度も何度も検討した。迷いに迷ってやっと決めた。
そして店員に購入の意思を伝え給料日まで取り置きしてもらった。こんなことは初めてだ。
2丁目の大通りから少し入ったビルの1階にその店はあった。
ガラス越しにしんと鎮座した様々な鞄たちが見えた。男性用の大きなビジネスバッグ、デザインの凝ったエレガントなバッグ。どれもが柔らかな光の下でつやつやと光っている。
店に、着いた。
足を止める。息を整える。
そして何度訪れても緊張して気後れしてしまう、金属の重厚なドアを開けた。
ここから先は高級な革の香りがする、別世界だ。
1歩中へ入り、子供のようにわくわくして店を見回した。
つやつやと輝く、持ち主との出会いを待つ鞄たち。
「いらっしゃいませ」
店の奥から担当の店員が現れた。私よりかなり若い、けれど私よりずっと落ち着きのある、この店にふさわしい女性店員。何度も下見に来ている私はいったいどう思われているだろう? 
つい言い訳じみた言葉を口にした。
「あの、遅れると連絡したのですが予想よりさらに遅くなってしまって、すみません」
「いえ、大丈夫ですよ。さっそくお持ちいたしますので、少々お待ちください」
穏やかに少し言葉を交わすとその店員はすぐに店の奥に消えた。
匠の技も革の質ももちろんだが、店員の接客や店の雰囲気も、すべてが信頼に値すると感じさせてくれる。
品物を買うだけじゃない、すべての価値に対して支払いをする、そう思わせてくれる店だった。
「お待たせしました」
丁寧に運ばれたその鞄は、私の到着を待っていたとばかりに美しく輝き、喜んで見えた。まるで飼い主を待つ賢い犬のように。
黒の1枚革を使った、持ち手も黒の、大きめだけれど軽いシンプルな鞄。ポケットはひとつだけという潔さ。その内側は、皮本来の茶色が魅力的だ。
尻尾を振るシェパードの姿が重なった。
「いかがですか? 試しにお持ちになりますか?」
店員が笑顔で言う。
どきどき。どきどき。
いい年して! とまた思う。体は正直だ。うれしすぎて心臓が高鳴る。息を止めて、そっとバッグを手にとった。
まっすぐでしなやかな、その鞄はすぐに私の手なじんだ。強い存在感ある手触りだ。
迎えに来たよ!と心で話しかける。
見れば見るほどにシェパードだ。ふさふさの尻尾、ぴんとした耳、きりりとした鼻筋、強そうな体、警察犬になれるほどの賢さと誠実な性格。そのすべてが鞄に備わっている気がするのだ。
この鞄となら、通勤ラッシュも、どんなに難しい仕事も乗り越えられる。クレーマーの気難しい顧客も、打ち上げで皆で飲む瞬間も。一緒に飛び回る姿が想像できる。広い道を散歩するように、ドッグランを走り回るように。
新しい、私のパートナー。
素敵ですね! とやっと口にした私に、店員がありがとうございますとほほ笑む。お包みいたしますね。
慣れた手つきで私から鞄を受け取る。私の愛犬は、流れるように袋に入れられ、きれいにラッピングされていく。ご機嫌に尻尾を振りながら。
誰かに聞いた、人はそれが自分だと思うものになるのだとういう。今日からこの鞄が似合う自分だと思うようにしよう。
そんな価値のある自分が、これからの自分だ。
忠実な愛犬を受け取り、店を後にした。スキップするような足取りで。しっかりリードを握るように紙袋を手にして。
銀座の街が、いっそう明るく見える。手から愛犬の息遣いを感じるようだ。
足取り軽く、地下鉄の改札に向かう。
改札の手前で、嬉しそうな犬の鳴き声が聞こえた気がした。
 
 
 
 
***

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2025-05-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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