人は見た目によるもの、よらぬもの。
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記事:としあん(ライティング・ゼミ3月コース)
六本木ヒルズ、森美術館──この現代アートの殿堂には、唯一「窓」のある展示室がある。
その窓から見下ろす東京の街は、まるで緻密なジオラマのようだ。幾何学的なビル群の隙間に電車が走り、遠くには東京タワーの赤が控えめに存在感を示している。どんなアートよりも完成度が高く見えてしまうこの“リアル”を、あえて展示空間に取り込んだのが、2008年開催の「チャロー!インディア」展だった。
ムンバイ出身のアーティスト、ヘマ・ウパディヤイ。彼女が再現したのは、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」。ブリキやプラスチックなど、実際の路上から拾ってきた廃材を使い、バラック群や寺院、電柱までを緻密に再現したまさに“都市のパッチワーク”と呼べるような模型だった。
その作品を、窓の上部に吊るように設置し、下からは実際の東京の夜景が広がるという構図。まるでムンバイのスラム街が東京の上空に浮かんでいるかのようだ。
雑然としたスラムのミニチュアと、整然とした東京の風景。一見、正反対にも思えるが、ウパディヤイはその上下の重なりで、都市の過密、拡大、格差という“共通の現実”──都市のスラム的側面を静かに示していた。
そんな空間で私が目を奪われたのは、一人の女性だった。
視線は窓の先をじっと捉えている。
おお、まさに「感じている」人だ。ムンバイと東京、その文明の対比を身体全体で受け止めているのだろう。
黒い帽子に、黒いサングラス。全身も黒づくめ。だが、ところどころに煌びやかな装飾が施されており、ただの黒ではない。「語る黒」だった。
着る人によっては重くなりがちな黒を、まるで詩のようにまとうその姿に、私は勝手ながらこう頭の中でつぶやいた。
「これは何か面白い話が聞けそうだ」
彼女の背後からそっと近づき、耳を澄ませる。
芸術論か、都市論か、はたまたインドと東京の重層性についての洞察か──胸が高鳴る。
すると彼女は、静かな口調で学芸員を呼び止め、指先で窓の向こうの高層ビル群をまっすぐ指しながら、静かに言った。
「向こうが新宿でしたか?」
……ズコッ。
期待していた脳が、静かにずっこけた音がした。
そのあまりにも素朴な問いに、緊張気味に構えていた学芸員も肩がふっとゆるみ、「ええ、あちらが新宿ですね。で、こちらが…」と観光案内モードに移行していった。
人は見かけによらぬもの──その言葉の意味が、私の中でしっかりと根を下ろした瞬間だった。
そんな“見た目”のギャップといえば、もうひとり思い出す人物がいる。
南麻布の「セガフレード・ザネッティ」というカフェに、朝よく現れる、ある著名なデザイナーだ。
その店は、広尾商店街と有栖川公園をつなぐ細道にあり、周囲の大使館や高級マンションを借景に、まるで海外のカフェをそのまま東京に運んできたかのような場所だ。
注文時の返事はいつも「Si!」空気には、すでにエスプレッソが混じっている。
彼は、いつも黒のセドリックに乗って現れる。今どき滅多に見かけない、角ばった年代物の黒いセダンだ。
フェラーリや最新の欧州車に乗っていてもおかしくない人物が選ぶ、あえてのセドリック。この選択には、逆に強い“美学”を感じさせる。時代遅れのようでいて、まったく古びて見えない。むしろ、その無骨さが彼の佇まいを引き立てるのだ。
助手席には黒い犬。本人も黒ずくめ。白髪混じりの長髪に、切っぱなしのロングコート、素材感のあるつばの長い帽子も黒だ。
席は決まって1階の真ん中。借景に透ける未来に思いを馳せるかのように、静かにコーヒーを楽しんでいる。彼と同じ空気を吸いながら飲むコーヒーは、さながらファーストクラスのワインのようだった(飲んだことはないが)。
しかし、そんな彼に気づかない人もいるのだ。
店の前が工事中だったある朝、彼がいつものようにセドリックを停めると、警備員が赤い誘導棒を振りながら駆け寄り、少しイラついた様子で言った。
「ダメだよ、こんなとこに停めちゃ。工事してんだから。どかしてどかして!」
もちろん彼は動じない。警備員を一瞥もせずに、コートの裾を翻してカフェへと入っていった。
パリのランウェイを沸かせ、ファッション界を震撼させた男が、今、誘導棒に追い立てられている。
彼の威光も、警備員の前ではただの“場違いな老人”に映ったようだった。
人は見かけによらぬもの。
いや、逆か。
見かけで“誤解されることもあるもの”と言うべきか。
黒ずくめ──一方は煌びやかな装飾で語る黒、もう一方はボロとも取られかねない沈黙の黒。
黒づくめの女性を見て、私は芸術論を期待し、
黒づくめの著名なデザイナーを見て、警備員は車をどかせと言った。
どちらも、本人には何の責任もない。
帽子も、服も、車も、犬ですら。
勝手に語り出すのは、いつも“見る側の脳”なのだ。
目つきが鋭いあの人は、ただコンタクトが乾いているだけかもしれない。
遠くを見つめ涙を浮かべている彼女は、ただあくびを噛み殺しただけかもしれない
この世界は、私たちの“思い込み”をくるりと裏返す。
それはきっと、私たち自身が引いた輪郭の脆さに、そっと気づかせるためなのだ。
***
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