私たちはみんな知らぬ間に浴びるほど泥水を飲み込んでいた。
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:岬 あん(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
※この記事はフィクションです。
旅館に着くと仲居が私と娘に後をついてくるよう促した。浴衣を選んで欲しいとのこと。夫と息子は先に部屋でくつろいでいると良いと言う。
案内された棚にはサイズ別に分けられたさまざまな種類の女性用の浴衣が並べてある。帯も色とりどりだ。気に入ったものを一つ選ぶと、仲居は男たちの浴衣のサイズを私に尋ねた。男性用の浴衣の柄は種類がないらしい。
こんな時、私の心はざらっとする。
浴衣を選べて楽しかった。でも、このサービスを私は素直に喜べない。
「わあ、嬉しい」と口を開いた途端、泥水を飲まされるような心地になるのだ。実際に私は何を飲み込まされたのか。うまく言語化できなかった。
ただ、男性には浴衣を選ぶ権利はなくて、きっと彼らも文句を言わない。
女性はそれを好むかどうか別として着飾る権利とおそらく義務がある。
そして男たちの浴衣をも代わりに部屋へ持ち帰る役割が求められる。
男性も女性も、「こういうこと」には慣れている。誰からも疑問の声は上がらない。
私は黙って受け取った。何も浮かばなかったからじゃない。幼い頃から黙って飲み込むことに慣れているからだ。慣れすぎて、どう言語化していいいのかわからないのだ。
たかが浴衣ひとつ。大したことじゃない。
小さいことでもそう言い聞かせ飲み込み続けると、だんだん「こういうこと」がどういうことか感覚できなくなる。ざらつきに気付けなくなる。
そして、いつか自分も誰かにこれを普通のこと、当たり前のことだと強いるようになるのだ。
不思議なことに。
「どうして女子は髪が伸びても結べばいいのに、男子は切らなきゃダメなのか。理不尽だ」
この旅に出る少し前。高校の頭髪検査で指導を受けて、息子が怒りながら帰ってきた。
小さい頃から髪を切ることを嫌がる子だった。これまでどうにか中高生はそういうものだから、きまりだからとだましだましやってきたのだった。
学校は彼に校則を守れない何か特別な「理由」があるのかと尋ねた。
息子はその校則にこそ合理的な「理由」があるのかと反論する。
過去、頭髪検査に関して生徒側の起こした裁判の判例を熱心に調べ上げ、徹底抗戦する構えだった。息子にとって都合の良い判例は見つからなかったようだけれど。
私の心はまたもや、ざらっとしていた。息子に対してではない。
なのに飛び出したのはこんな言葉だった。
髪型に口を出されるのなんて、あとたった数年だよ。卒業すれば自由。
大したことじゃないじゃん。
君はただ切るのが嫌なだけだと親も先生もわかってる。
けど周囲はそうじゃない。みんな我慢して守ってるのにずるいってなるんだよ。
この学校は身だしなみがなってないって言われちゃうんだよ。
もっともらしいことを言って、私は息子の疑問をはぐらかしていた。
かつて私もよくわからないルールをいっぱい飲み込んできた。
でも本当にそれは良い経験だっただろうか。
子供の頃の私も、息子と同じように思ってきたのではなかったか。
理不尽だなって。
人を従わせるに足る、納得させられる「理由」がないのが問題なのに、どうしてそれを不問にし、従わないことに特別な「理由」を求めるの? って。
それなのに今、私は彼の疑問には何一つ答えずに、学校の味方をしている。
他の子への影響なんてものまで口にして。恐怖や罪悪感を抱かせて。
私自身の思いを無視し学校の思いを代弁して説得にかかっている。
人にこれが普通だ、当たり前のことだと強いる側になっちゃったことに気づくのだ。
この社会で子供が苦しまないために、と心から願いながら。
ずるい。ずるいなあ。
今の社会が理不尽なのは、私たち一人一人が小さいことだと侮って飲み込み続けたせいなのに。
変だよって言ってこなかったせいなのに。
ざらっとしたって思うだけでは伝わらない。別にいいんだと思われてそのままになってきた結果だ。
たくさん、たくさん飲み込んだ泥水が身体から滲み出す。
彼のおかしいことをおかしいと訴える勇気を応援することもできたのに、社会との対立を恐れて息子の口を塞ぎにかかる。
私の、この手が。
ふと手の先を見ると、口を塞がれているのは息子じゃなかった。彼はされるがまま黙るような子じゃない。
そこにいるのは小さな女の子。子供の私だ。
いつかわかる。あなたのため。でしゃばるなと口を塞がれ、大人たちに言われるがまま泥水を飲んだ、私。
当時の私に違和をぶつけるための言葉なんて見つけられなかった。
何より怖かったんじゃないの。大人に見捨てられることが。
おかしなことを言う面倒なやつだと弾かれることが。困らせて呆れられることが。
それなのに、拒否する勇気がなかった自分が悪いのだと詰っている。大人になった私が、私を。
何よりも先に私は、彼女を抱きしめてやるべきではなかったか?
泥水を飲ませたやつに立ち向かう前に。
「いいよな、女子は。女子だけずるい」
私から浴衣を受け取った息子は私の後ろの娘を睨んだ。すっきり整えられた髪は彼の鋭い視線を隠さない。
娘はバツが悪そうに目を逸らし、浴衣を後ろ手に隠した。
彼女には彼の気持ちがわかるのだ。兄にはあって自分には与えられないという悲しみを知っているから。
「男が浴衣になんかこだわるなよ」
夫のからかいに息子は口をつぐむ。
あ。今、二人の子供は泥水を飲んだ。それはきっと無自覚に、飲まされた。
ずるいものに立ち向かう勇気を折られ、わきまえて髪を切った息子のうっすらとした憎しみは矛先違いの相手に向いている。
違うよ。口をつぐませたのは女じゃない。ずるいのは女じゃない。泥水を飲ませたのは……。
今、私はこれをうまく言葉にできるだろうか。
彼らに、届くように
***
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