メロスは走らない
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:伊藤緑(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
※この記事はフィクションです。
メロスは静かに激怒した。もうこんな会社やめてやると。
鈴木勇は、2019年に大学を卒業した後、都内の大手IT企業に就職した。
最初の新入社員歓迎会で、部長に「最近の若者は本読まないからな〜小説何知ってる?」と聞かれ、
「走れメロスとかですかね」と答えたら、「それ国語の教科書に載ってたとかでしょ。」と軽く笑われた。
翌日から、勇のあだ名は「メロス」になった。
最初はからかいだったが、いつしかそれは、勇のキャラクターそのものを表す言葉になった。
「真っ直ぐで熱いやつ」「仕事に対して情熱がある」
本人もその期待に応えるように、朝から晩まで働いた。タスクのPDCAを習慣にし、誰よりも早く成果を出した。休日出勤もいとわず、後輩にも手を差し伸べた。
ところが——。
2027年、社会は大きく変わった。
2025年に言われ始めた「静かな退職(Quiet Quitting)」は、もはや一時的なトレンドではなく、企業の人事制度として正式に組み込まれている。社員には業務範囲が明文化され、それを超える貢献は“非効率”とされる。自主的な残業は禁止、有給は自動的に取得される。感情を職場に持ち込まない働き方が、成熟した社会人の証とされた。
そして、勇の会社も例外ではなかった。
「人間中心から、AI中心へ。」
経営トップが掲げたビジョンのもと、全社的な業務自動化が始まった。評価はプロジェクト成果ではなく、「定められた職務範囲を逸脱しないこと」が指標になった。
その年の夏、勇は部下をかばった。
納期が迫る中、体調を崩した若手の分まで引き受け、土日返上でプロジェクトを間に合わせた。
だが、評価会議ではこう告げられた。
「タスク逸脱による業務領域の混乱。自己判断による非効率行動。評価スコア:-12点」
やる気を持って働いた結果が、減点。
勇は静かに激怒した。もうこんな会社やめてやると。
心の中でそう呟きながら、その日から、静かに燃え尽きた。
それから12年の年月が流れ、2039年。
社会で“静かな退職(Quiet Quitting)”は文化となっている。頑張ることは「非効率」であり、「美徳ではない」とされる時代。
この頃、勇は部長になっていた。
プロジェクトはAIに補助され、判断も分析もロジックで済む。感情や直感はノイズとして扱われた。Slackでの会話は定型文。週次レポートもテンプレ。雑談すら「時間の無駄」とされる職場で、誰もが“正しく冷静”に働いていた。
勇も、その一人だった。
そんなある日、新入社員の佐藤愛が配属された。
「鈴木部長、よろしくお願いします!色々と失敗してしまうこともあると思いますが……全力で頑張ります!」
元気すぎる声、眩しい笑顔。うるさいと思ったのは、最初の1日だけだった。
彼女は何にでも前のめりだった。小さな業務にも一つひとつ意味を見出し、「この部分、もっと人の感情を考慮したら違いそうですよね」と言った。
それは、勇が忘れていた視点だった。
少しずつ、勇は変わっていった。Slackでの報告に“気持ち”が入り始め、会議でも久々に声を上げるようになった。
ある日、客先へ向かう道の中で佐藤が呟いた。
「……あの、部長って、なんか昔すごかったんじゃないですか?」
「昔……?」
「はい。熱い人だったんじゃないかって。実は私、噂で聞いたんです。熱すぎてメロスって呼ばれてたって」
勇は笑って誤魔化した。
でも、その言葉は、胸の奥にずっと残った。
数日後。
業務終了直前、社内システムから通知が来た。
【通知:プロジェクト体制変更】
・現在の業務領域は来月よりAI管理へ移行
・鈴木部長は「対話補助オペレーター」に再配置
それは暗に降格を意味する人事だった。しかし誰も彼に理由を説明しなかった。
佐藤の席を見ると、すでに荷物がなかった。あまりにも整然としていた。まるで最初から、何もなかったかのように。
勇が屋上にいくと、そこで彼女は空を見ていた。
「部長……来ちゃいましたか。」
「佐藤……いきなりいなくなるなよ」
「私も異動です。AI倫理部門へ。やっぱり、ここにいたら、全力出すのがバカみたいに思えてきて」
沈黙が流れた。
風が吹く。
そして、勇は静かに呟いた。
「……メロスは静かに激怒した。もう、こんな会社辞めてやると」
佐藤が目を丸くした。
「え、それ、自分のことですよね?」
「20年前、俺が最初に会社で言った好きな小説、それが“走れメロス”だった」
「へぇ……じゃあ、部長、今怒ってるんですね、」
「……ああ」
頬が、熱かった。怒りか、情けなさか、自分でもよくわからない。でも、今だけは、感情を抑えきれなかった。
佐藤はいつもの笑顔で笑った。
「いいと思います。怒るって、まだ信じてるってことですから。諦めてないってことですよ」
風が一瞬止み、空気が澄んだ。彼女の瞳が、どこか異様な透明さを宿しているように見えた。
その瞬間、勇の脳裏に、ふとした違和感がよぎった。
——Slackのレスポンスが、いつも0.3秒以内だったこと。
——夏の炎天下でも、一度も汗をかいているのを見たことがなかったこと。
——「怒るって、信じてるってこと」という台詞が、どこかで見たことのある“モチベーション生成アルゴリズム”の出力と似ていたこと。
「……なあ、佐藤」
「はい?」
「君は、本当に“人間”か?」
佐藤は笑った。
「それ、セクハラですよ。部長」
「……冗談、だよな」
「さあ。 どっちだったら、怒りますか?」
その問いに、勇は答えられなかった。
彼女はひと呼吸置いて、続けた。
「じゃあ、またどこかで。メロスの部長、期待してます!」
風がまた吹き、彼女の髪が揺れた。
その髪が、微かにノイズのように揺らいで見えたのは、光の加減だったのか、勇の目の疲れだったのか。
彼女は屋上の扉の向こうへ消えていった。
静かに、まるでログアウトするかのように。
勇は彼女の名前を反芻するように呟いた。
「佐藤愛……」
勇はひどく赤面した。
それからどのくらい時間が経っただろう。
風が吹いた。ネクタイが、かすかに舞った。
勇は、まだ静かに激怒していた。
その複雑な怒りは、どこか新鮮で、だが、どこか少し、懐かしかった。
***
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