マグと暮らす日々
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:山本知歩(ライティング・ゼミ 7月コース)
マグカップは、同居人のようなものだ。
特別に大事に扱っているつもりはないのに、気づけばいつもそばにいる。朝、ぼんやりした頭をコーヒーで起こすときも、夜にハーブティーを飲んで体をゆるめるときも、手にしているのはたいてい同じマグだ。冷蔵庫の扉を開けるときよりも、玄関の鍵を探すときよりも、私はきっと多くの時間をマグと過ごしているのだろう。
小学生のころ、クリスマスプレゼントに親が買ってくれた小さなマグカップがあった。赤と緑のチェック柄で、子どもの手には少し大きすぎる取っ手。冬休みの朝、そのマグにココアを注いで飲むと、粉が完全に溶けきらなくて、底に甘い塊が残っていた。スプーンですくって口に入れる瞬間が、冬の温かい余韻のようで好きだった。
中学生になってからは、友達とテーマパークに行くことが増えた。修学旅行で行ったディズニーランドでは、仲良しの友人たちとおそろいでキャラクターのマグを買った。みんなで「これで毎朝ココア飲もうね」なんて言いながら、それぞれの家に持ち帰った。現実には毎日は使わなかったけれど、部屋の本棚に飾ってあるだけで、「わたしたちは一緒に楽しい時間を過ごしたんだ」という印のように見えて心強かった。修学旅行先の京都では、班ごとにおそろいで買った土産物屋のマグカップもある。正直、柄は少し渋くて「これほんとに使うかな?」と思ったけれど、帰ってきて友達の家に集まったとき、みんな同じマグを並べてお茶を飲んだ。その時間がなんだか大人びていて、ちょっと誇らしかった。
高校生・大学生になると、マグは勉強机の上の必需品になった。レポートを書きながら、夜更けにインスタントコーヒーを飲むとき、マグがそばにあることで「まだ大丈夫、もう少し頑張れる」と思えた。部活の先輩からもらったマグや、友達が誕生日に選んでくれたマグは、それぞれに相手の笑顔や会話の記憶と結びついていて、飲み物以上の温度をわたしに渡してくれた。テスト前の徹夜の机の上にも、友達と泊まり込みでレポートを仕上げた夜にも、そのマグはいつもあった。今思えば、きっと大人になりきれない自分を許してくれるような存在だったのかもしれない。
社会人になってからは、事情が少し変わった。最初の会社では、ノベルティのロゴ入りマグを渡された。「新人はこれを使うんだよ」と先輩に手渡され、少し味気ない気がしたけれど、そのときはなんとなく従った。残業が続く日々の中で、そのロゴ入りマグにインスタントコーヒーを注ぎ、冷めてはレンジで温め直した。繰り返すうちに、ロゴの掠れが自分の頑張りの証みたいに見えてきた。誰かに褒められるわけでもない深夜の作業を、そのマグだけは静かに見ていたように思う。
やがて少し落ち着いた頃、自分で選んだマグを買うことにした。商店街の小さな器の店で出会った、作家もののマグだ。少し高かったが、手に取った瞬間に「これなら毎日を支えてくれるかもしれない」と思えた。白地に薄い青の釉薬が流れて、ところどころ濃淡がある。持ち手は指に馴染むように丸く削られていて、手にすっと収まる。残業の深夜、パソコンの光に照らされながらそのマグを両手で包むと、不思議と心が落ち着いた。画面の数字やデザインの線に追われていた夜、そのマグがそっと「あともう少し」と支えてくれていたように思う。あれはまさに、深夜の相棒だった。
同棲を始めてからは、マグの風景がさらに変わった。引っ越しのダンボールを開けると、自然に「自分の」と「彼の」が決まっていった。別に打ち合わせたわけではないのに、不思議とそうなる。ある日、洗い物をしながらふと「私たちの暮らしには、もうひとりの同居人がいるんじゃないか」と思った。流しに置かれた二つのマグは、並んでいるだけで静かに関係を物語っている。
飲み物によってマグを使い分けるようにもなった。朝のコーヒーには少し大きめの白いマグ。午後に紅茶をいれるときは、淡い花柄のマグ。夜寝る前のハーブティーには、透明なガラスのマグが合う。冬になると、厚手の陶器のマグでスープを飲む。両手で包むと、指先から肩のあたりまでじんわりと温かさが広がる。どのマグを選ぶかで、自分の体調や気分が可視化されているような気がする。少し疲れている日はガラスのマグが多い。頑張りたい朝は白いマグが定番になる。気分を整えてくれる道具は、暮らしの小さな鏡なのかもしれない。
そんな日常の中で、特別な存在になったマグがある。母が陶芸教室でつくった、青い手捻りのマグだ。引っ越しのときに、ペアで持たせてくれた。取っ手は少しいびつで、片方は丸く、もう片方は少し尖っている。同じようにつくったはずなのに、全然違うかたちをしているのがおかしい。でも、そこが愛らしい。毎朝コーヒーを注ぎ、唇をあてるたびに、どこかで母に見守られているような気持ちになる。離れて暮らしていても、マグを通じてつながっているような、不思議な安心感がある。彼と二人でそのマグを使うと、両親に紹介されたときのことまで思い出す。器ひとつが、家族の距離をやわらかく縮めてくれる。
考えてみれば、マグカップというのはただの器だ。割れたら終わりだし、特別な機能があるわけでもない。でも、人が日々を過ごす中で何度も手にするからこそ、そこに時間や思いが染み込んでいく。学生の頃はキャラクターが自分を励まし、社会人になってからは作家のマグが深夜を支え、同棲してからは二人分のマグが暮らしを映し、母のマグは遠くの家族と私をつないでいる。マグカップは日常にあまりにも溶け込みすぎて、時々その存在を忘れてしまうけれど、ふとしたときに「この暮らしを見守ってきたのは、このマグなんだ」と気づくことがある。
マグカップは、ただの器ではない。私にとっては、同居人のような存在だ。大げさではなく、ほんの静かなかたちで。湯気の向こうに、今日の気分やこれまでの時間が重なって見える。そうやって暮らしのそばにいるものを、同居人と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう。
《終わり》
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記事:(ライティング・ゼミ7月コース)
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