お茶の時間は大人の遊び
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:川戸恵子(ライティング・ゼミ7月コース)
そうだ,お茶にしよう。
ウン十年前に嫁入り道具として誂えてもらった着物を前に,そう思った。
着物はすっかりタンスの肥やしとなっている。このままだと殆ど袖を通さないままになってしまいそう。それはもったいない。第一,用意してくれた母に申し訳ない。少しでも日の目を拝ませてあげよう。お茶を習えば着物を着る機会が増えるかも。
きっかけは,そんな「着物救済措置」的な思いからだった。
着物を着るお稽古事なら日本舞踊やお琴などもある。未経験のものを習ってみたい気もした。ただ,40過ぎて新たに始める,しかも着物を着たいからという動機で始めるのは,どうもハードルが高い。
その点,お茶ならば若い頃に親に言われて(しかたなく)習っていたので馴染みはある。お茶とお花を嗜んでおくのが「花嫁修業」とされていた時代のことだ。仕事や育児に追われて中断してしまっていたが,もう一度習ってみるのもいいかもしれない。
そんな動機で,ある茶道教室に通うことにした。
若い時に教わっていた先生も気さくな方だったが,今回弟子入りさせていただいた先生も話好きで面倒見のいい方である。
お茶というと世間一般では,「堅苦しい」「先生が厳しそう」「女同士にありがちなめんどくささがあるのでは」といったイメージがあるかもしれない。が,以前の先生の時も今の先生も,全くそんな固さはない。言い方は悪いが,ごくふつうのご年輩の先生だ。
数ある茶道教室の中には「キビシイ先生」もいらっしゃるようである。いろいろと話には聞く。それを思うと,私は先生運に恵まれていると言えるだろう。
さて,月に2回行われるお稽古の同じ時間帯には,私の他に3名の生徒が来ている。皆さん,私より年上の「お姉さま」ばかり。
「年数通ってるわりに,なかなか身につかへんわあ」
とどなたかがおっしゃれば,皆,わが身もそうだとうなずく。「オホホ」より,「とほほ……」である。
それを聞いて先生は,
「いいのよぉ,忘れても。何回でも教えてあげるから」
「そんなにすぐに完璧に覚えられたら,私が教えることがなくなるでしょ? ゆっくり覚えてね」
「来年のこの時期にも同じことするから,その時にちょっとだけ思い出せたらいいんじゃない?」
と言ってくださる。
堅苦しさも,厳しさも,めんどくささもなく,いたって和気あいあい。そんな言葉がぴったりの時間を過ごして20年近くになる。
どの先生から教わるかも大事だが、誰と一緒に学ぶかも大事だ。この先生,この仲間だからこそ続けていられるのだと思う。
お稽古では,お点前をする「主人」を生徒が順番に担当する。季節やお道具によっていろいろな決まりごとはあるが,わからなかったり間違っていたりすると,先生が指摘してくださる。
月に2回のお稽古では先々週のことなどすっかり忘却の彼方になっているが,しばらくすると次第に思い出せる。先生から「お点前をするのは物忘れ防止になっているのよ」と言われ,一同そうかそうかと納得している。
一方,お菓子とお茶をいただく「お客」の側にもそれなりにお作法があるが,慣れてくるとそんなに難しいことではない。季節を感じさせる美しい和菓子に「わあ」「ひゃあ」「ほおお」と歓声を上げる余裕も出てくる。そうなるとお菓子をいただく時間は至福の時。この時ばかりは60・70代も,茶道部の高校生と変わらない。
ただ年月を重ねるうちに,お茶室への敬意やお茶を点ててくれる人への感謝をもち,一緒に並ぶお客どうしの配慮を心がける気持ちが自然と身についてくる。お茶というのは,人と向き合い,人を大切にすることなのだという思いが強くなる。
そういったことは,単にお点前の順番を覚えるのとは違って,習い始めてすぐにわかることではないような気がする。何度も繰り返しお稽古をしていくうちに,いつの間にか体得していくのではないだろうか。
それが,茶道の奥深さであり,進んでも進んでもなかなかたどりつけないことのように思う。
「稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一」
と、千利休さまもおっしゃっている。いつまでも尽きない道だと思う。
ということで,お茶にはけっこうはまってしまった。おかげで最近,人に趣味を聞かれた時は「お茶」と答えるようになっている。熱心な生徒ではないし,お点前が完璧になったわけでもないのだが,ただ楽しんでお茶を続けているということには嘘偽りはない。
そもそものきっかけは着物だったけれど。
その着物だが,ずいぶん着た。生徒の中には着付けの先生もいらっしゃるので,着物についての知識や着付けのコツなどを教わることもできる。
ふだんのお稽古は洋服(スカートと白いくつ下をはく)でよいのだが,毎年お正月に開かれる「初釜」の行事には着物が必須である。そのおかげで,持っていた着物はずいぶん活躍した。
少し誤算だったのが,今あるものの有効活用だけでは物足りなくなってしまったことだ。これは去年着たから今年はこっち。という具合にとっかえひっかえしてきたのだが,とうとう昔の着物だけでは「着回し」が難しくなってきた。それに,若い時に選んだものなので好みも似合う色も変わっている。当然のことながら,体形も少し変化した。そこで着物と帯をいくつか新調した。豊かな時間の代わりにお財布は寂しくなってしまったが,これもやはり趣味のうち。豊かな時間を過ごせているのだからと思い直すことにする。
落ち着いたお茶室で,しゅんしゅんと湯気の立つ音を聞きながら,お菓子をいただき,お茶を飲み,掛け軸や活けてあるお花を愛でる。昔の人と同じように「一期一会」を大切にする時間。心落ち着くひとときだ。
家のことやら孫の守やら親の介護やらと,何かと時間に追われ,気ぜわしい生活を送る私たち年配の女性にとっては,たいへん得難い時間なのである。この時だけは,主婦であることや母や祖母であることから放たれ,女子高生のようにお菓子にときめき,話に花を咲かせていられるのだ。
若い時に教わることは吸収も早く,忘れにくい。たとえ忘れても思い出すのが早い。一方,歳をとると覚えておくのが難しかったり,記憶に残らなかったりすることの方が多い。そんなときは老いを感じ,正直少し情けなくなる。
しかし,老齢に差し掛かった今だから楽しめることもある。お道具類の由来や質感,製法技術の緻密さなど,今この年齢だからこそ感じ取れたり,ありがたみがわかったりするのだ。季節によって使うお道具が異なり,お道具によってお点前も違う。毎回違った楽しみ方ができる。こんな贅沢な文化を愉しむことこそ大人の遊びだ。
ゆるく,楽しく,ほどほどに。
まあぼちぼちやりましょか。
そんな具合で,おばさんたちは笑いさざめきながら,今日もせっせとお茶を点て,お菓子に歓声を上げるのだった。
≪終わり≫
***
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