「絶句」がラポールを生んだ日
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
佐藤謙介(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
(本文)
目が覚めると、あたりが真っ暗だった
電気をつけようと手を伸ばしても何も見えない。
夕方まで仕事をして帰ってきてソファーでうとうとしてしまっただけ、のはずなのに。
「お母さん、電気ついてないよ」
「何言ってるの、まだ明るいじゃない」
その一言で彼女は理解した。暗いのは夜になったからではない。自分の目が、見えなくなっているのだと。
これは30代の女性Aさんが体験した出来事だ。
そして、この話を私が聞いた日が、私のマネジメントを根底から変えた日でもあった。
「信頼関係を築けますか?」という問いに、あなたは自信を持って答えられるか
マネジメントをしている人なら、誰もが一度は突き当たる壁がある。
「なぜ部下は本音を話してくれないのだろう」
「上司に本当のことを言っても、理解してもらえない」
「顧客が何を考えているのか、いまひとつつかめない」
人と「本当の信頼関係」を築くことは言葉にするのは簡単でも実際には非常に難しい。
私は障害者支援の仕事を10年以上続けてきたが、この仕事で最も重要なスキルこそが「信頼関係を築く力」だと確信している。
心理学やカウンセリングの世界では、この状態を「ラポール形成」と呼ぶ。
一言で言えば、「相手が本音で語ってくれる関係性ができている状態」のことだ。
このラポールを作るためのテクニックとして、よく以下の三つが紹介される。
ミラーリング…相手のしぐさや動作を鏡に映したように真似る
ペーシング …相手の呼吸や話すリズムに合わせる
バックトラッキング…相手の言葉をそのまま返して同意する
この言葉自体は聞いたことが無くても、技術のほうはなんとなく聞いたことがある方も多いと思うが、もともとは心理療法でカウンセラーが患者とラポール形成を行うために開発されたテクニックが、ビジネスの世界にも広まっていったものだ。
障害者雇用の現場でも、精神障害のある人と関わることが多いため、こうした専門的な技術は広く知られている。私自身、何冊もの本を読んで学んできた。
しかし、これが現場ではうまくいかないのだ。
「この人には、どうせわかってもらえない」という壁
なぜテクニックが通じないのか。答えは単純だ。
彼らはそもそも「私と信頼関係を築きたい」とは思っていないからだ。
もっと正確に言えば、「健常な人に自分のことを理解してもらえるとは思っていない」のだ。
私はこれまでに数百人の障害のある方たちと関わってきたが、表面的には打ち解けたように見えても、心のどこかに「健常者であるあなたには、私の本当の気持ちはわからない」という壁がある。
最後の一線だけは超えさせてもらえない、そんな経験を何度も繰り返してきた。
それほど、ラポールを形成するということは難しい。
そして私は、そのことを頭では理解していながら、ある女性との関係で完全に行き詰まっていた。
半年間、ぶつかり続けた女性
私が障害者雇用の仕事を始めて2年ほど経ったころ、企業の中で障害者雇用を専門に担う部署のマネジャーに転職した。
入社前からその部署には30名ほどの障害者の方たちが在籍しており、身体障害、知的障害、精神障害など、さまざまな障害を持つ方が働いていた。
そのなかに、30代の視覚障害のある女性がいた。仮にAさんとしよう。
Aさんは視野の中央部が黒く抜け落ち、輪郭部分だけが見える状態で、全体の視野の約8割が欠損していた。白杖(視覚障害者が使う白い杖)なしでは日常生活を送ることが難しく、知的障害のある社員のチームリーダーを務めていた。
私が入社してそのチームのマネジメントを始めると、すぐに彼女との衝突が始まった。
私「作業効率を上げるために、こうしたほうが良いと思います」
Aさん「やり方を変えるとスタッフが混乱します。反対です」
私「スケジュールを組み替えて、作業プロセスを改善したいのですが」
Aさん「何度も言っていますが、変えることには賛成できません」
そしてついには、こう言われた。
「佐藤さんは、この子たちのことがわかっていますか? 佐藤さんがこれまで相手にしてきた人たちとは違うんです。勝手な考えでこのチームのやり方を変えるのはやめてください」
正直に言えば、私はAさんのことが好きになれなかった。
私はただ、チームをより良くしたかっただけだ。それなのにことごとく反対される。気がつけば心のなかで「面倒くさいタイプの人だ」と決めつけていた。
そんな関係が、半年ほど続いた。
「そういえば、あなたのことを聞いたことがなかった」
ある日、また私たちは現場でぶつかった。
私はもうほとほと消耗していた。
しかし、同時に「ここで引き下がったら、このチームは変わらない」という気持ちもあった。
私は覚悟を決めAさんを別室に呼び出して、ゆっくり話を聞くことにした。
そのとき、ふとあることに気がついた。
「そういえば、Aさんと仕事以外の話をしたことが一度もないな」
これまでの会話はすべて「仕事の進め方」についてだった。
実は私は、Aさんという人のことをほとんど何も知らなかったのである。
そこで私は、彼女がこの会社に入ったきっかけを聞いてみることにした。
「そういえば佐藤さんに、私のことを話したことがなかったですね」
Aさんは少し間を置いてから話し始めた。
昼寝から覚めたら、世界が暗くなっていた
Aさんは生まれつき視覚障害があったわけではなかった。
数年前まで普通に目が見えていたらしい。
ある日の夕方、Aさんは仕事を終えて帰宅し、疲れてリビングのソファーでうとうとしてしまった。
しばらくして目を覚ますと、あたりが真っ暗だった。
「もう夜になってしまったのか」
電気をつけようと手を伸ばしてもよく見えない。
母親が帰ってきているはずだと思い「お母さん、電気ついてないよ」と声をかけた。
すると母親から「何言ってるの、まだ明るいじゃない」という返事が返ってきた。
その瞬間、Aさんはわかった。
暗いのは夜になったからではない。自分だけが暗いのだと。
なんとAさんは、ほんの少し昼寝をしただけで、目が見えなくなっていたのである。
それから母親と急いで病院へ行き、3か月以上の入院生活が始まった。
しかし、原因はわからなかった。なぜ目が見えなくなったのか。いつ治るのか。医師にも答えられなかった。
失明してから数週間後、視野の端にかすかな光が見えるようになった。その光は少しずつ広がり、やがて視野の周辺部だけが見える状態まで回復した。
退院後も半年間、自宅で療養を続けた。
白杖の使い方を学び、近所を少しずつ歩く練習を繰り返した。かつて勤めていた会社は退職し、視力を失ってから2年間はそんな日々の積み重ねた。
ようやく一人で外出できるようになったとき、就職活動を始めた。そしてたどり着いたのが、この会社だったのだ。
「あの時、やっとわかってくれたと思ったんです」
Aさんの話を聞き終えたとき、私は何も言えなかった。
突然目が見えなくなる恐怖はどれほどのものだったのか。
原因不明と告げられたときの苦しみは。
これから目の見えない人生を歩まなければならないとわかったときの絶望は。
そのときの彼女の感情が頭の中を次々と駆け巡った。
私は「絶句」するしかなかった。
「教えてくれてありがとう」と感謝の言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。
しかし後日、Aさんは私にこう言ってくれた。
「あの時、佐藤さんの反応を見て、私は『やっとわかってくれた』と思ったんです」
目が見えないはずの彼女が、私の表情も見えないはずの彼女が、彼女の話しに何も返すことができなかった自分から「わかってくれた」と感じたというのである
それからAさんとの関係は、劇的に変わった。
私自身の態度が具体的にどう変わったのか自分ではわからない。しかしAさんは私の提案に前向きに応じてくれるようになり、チームをどうすれば良くできるかを一緒に考えてくれるようになった。
チームの生産性は目に見えて向上し、その後は知的障害のある人たちのチームとは思えないほどの成果を生み出していった。
ラポールはテクニックでは作れない
私はこの経験から「ラポール形成」の本質を身をもって理解した。
ラポールは技術では作れない。
それも相手が最も大事に思っている「価値観」、相手が見ている「世界観」に対する共感が必要なのである。
それはもしかしたら喜びや嬉しさではないかもしれない。
辛さや悲しさ恐怖と言ったマイナスの感情を伴ったものかもしれない。
重要なのは、相手が一番重要だと思っていることに気づき、そこに深く共感すること。
それができれば、言葉にしなくても相手には伝わるのである。
「ラポール」という概念を最初に提唱した20世紀のアメリカの心理学者、カール・ロジャースは「ラポールを築くには『共感的理解』が必要だ」と言っている。
まさに私が体験したのは障害を受傷した時の彼女の「絶望」に対する強い共感だった。
それを私がしたからこそ、私は彼女とラポールを築くことができたのである。
あなたの周りに、まだ本当の話を聞いていない人はいないか
これはあなたにも、きっとあなたのマネジメントにも応用できる。
部下、上司、顧客、あなたが関わる人たちの中で、その人が最も大切にしている価値観に気づき、それに共感していることを示すことができたとき、相手はあなたに対して強いラポールをもって接してくれるはずだ。
ミラーリングやペーシングといったテクニックを否定するわけではない。
しかしその裏側にある「共感的理解」という本質を理解したうえで使うのと、テクニックだけを駆使するのとでは、まったく異なる結果をもたらす。
あなたの周りにまだ一度も「その人が本当に大事に思っていること」を聞いたことのない人はいないだろうか。もしかしたらその人との関係を変えるのに必要なのは新しいテクニックではなく、ただその人が大事にしている「価値観」や「世界観」にあなたが気づき、その話を聞くことかもしれない。
❏ ライタープロフィール
佐藤謙介(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
大手人材ビジネス会社でマネジメント職に就いた後、独立起業するも大失敗し無一文に。その後、友人の誘いで障害者支援の仕事に携わる中で、社会の不平等さに疑問を持ち、「日本の障害者雇用の成功モデルを作る」ことを目指して特例子会社に転職。350名以上の障害者雇用を創出する中で、マネジメント手法の開発やテクノロジーを活用した仕事の創出を行う。現在は、企業向けに障害者雇用のコンサルティングや講演を行いながら、個人の自己変革を支援するコーチとしても活動している。
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