赤毛のハナ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: 福乃 玲 ( 2026年4月開講・名古屋会場 )
小学二年生から四年生までの二年間、私は父の仕事の都合で、ウィーンのインターナショナルスクールに通っていた。
各国から来た子どもたちが集まる学校だった。
基本は英語だが、各国の言語が飛び交い、肌の色も名前も、昼食の匂いもみんな違った。
最初の登校日、私はこどもなりに緊張していたらしい。
らしい、というのは、自分ではその日のことを断片的にしか覚えていないからだ。
ただ、母は今でも時々、その日の話をする。
授業が終わり、教室から出てきた私が、二人の女の子と肩を組んで歩いてきたというのだ。
一人は長い赤毛のハナ・ポープ。
もう一人はおかっぱで金髪のハナ・ウォード。
当時、クラスには「ハナ」が二人いた。
母は、その姿を見て心底ほっとしたらしい。
言葉も十分に通じない異国で、自分の子どもがちゃんと馴染めるのか、不安だったのだと思う。
けれど子どもというのは不思議で、言葉が完璧でなくても、遊ぶことはできる。
私はすぐに、その学校と、あの街が大好きになった。
石畳の道。
路面電車。
スーパーに並ぶ見慣れないお菓子。
友達の家の匂い。
日本とは少し違う、教室の空気。
毎日が新鮮だった。
だから、日本へ帰国することが決まったとき、私は全然うれしくなかった。
日本が嫌だったわけではない。
でも、私はあの学校を離れたくなかった。
友達と別れたくなかった。
帰国が近づくにつれ、朝起きるたびに気持ちが重くなっていった。
そして最後の登校日。
朝から憂鬱だった。
学校へ向かう車の窓から街を見ながら、「今日で最後なんだ」と何度も考えていた気がする。
教室に入ると、みんながいつもより少し優しかった。
たぶん私も、ずっと変な顔をしていたのだと思う。
そして、その日の午後、クラスでお別れ会を開いてくれた。
みんなが一人ずつ、私にプレゼントを渡してくれた。
その中で、仲良しだったハナ・ポープは、小さな黒い箱を差し出した。
とても可愛い箱だった。
私は「なんだろう?」と思いながら、その場で蓋を開けた。
中には、ピンクのリボンで束ねられた髪の毛が入っていた。
一瞬、意味が分からなかった。
でも次の瞬間、私は気づいた。
あの長い赤毛だった。
彼女は、自分の髪を切って、私にくれたのだ。
前日まで長かった髪が、その日おかっぱになっていた理由を、そのとき初めて理解した。
私は泣いた。
もともと涙はこらえきれなくなっていた。
でも、あの箱を見た途端、完全に駄目になった。
仲良しだった二人のハナも泣いていたと思う。
不思議なことに、私はハナ・ポープの赤毛ははっきり覚えているのに、ハナ・ウォードと最後にどんな会話をしたのかは、もう思い出せない。
けれど、思い出せないということ自体が、三十年という時間なのかもしれない。
私は箱を抱えたまま、二人のハナと抱き合った。
泣き声と笑い声が混ざった、少しぐしゃぐしゃな時間だった。
そして、「こんなふうに誰かに大事に思われることがあるんだ」と、胸が苦しくなった。
あれから三十年近く経つ。
私は大学に通い、就職し、結婚し、子どもを産んだ。
引っ越しを何度もした。
そのたびに、大量の物を捨ててきた。
けれど、あの黒い箱だけは違った。
どこへ行くときも、必ず一緒に運んでいる。
段ボールを開けるたび、私は少しだけ十歳前後の自分に戻る。
そして思う。
当時まだ十歳にもならない彼女は、どうしてあんな贈り物を思いついたのだろう。
高価なものではない。
むしろ、お金では測れないものだった。
だからこそ、三十年経っても消えなかった。
彼女は、私に教えてくれたのだ。
贈り物とは、値段ではなく、「あなたを大切に思っている」という気持ちそのものなのだと。
今、私は誰かに贈り物をするとき、真剣に悩む。
相手が何を好きか。
どんなものなら喜んでくれるか。
その場面を想像しながら選ぶ。
それでも、まだ彼女にはかなわない。
あんなふうに、自分の一部を差し出すような贈り物を、私はまだしたことがない。
いつか大人になった彼女に会いに行くのが私の密かな夢だ。
きっと素敵な女性になっているだろう。
彼女はもう母国のイギリスへ帰っているかもしれない。
あるいは、別の国で暮らしているのかもしれない。
名前だけを頼りに探すのは、きっと簡単ではない。
それでも私は、ときどき本気で考えている。
某テレビ番組に応募して、探偵さんと一緒に探してもらおうか、と。
夫にその話をしたら、
「いいじゃん! 海外案件、欲しいかもね。みんなで行こうよ!」
と、いつも通り全力で賛成してくれた。
そうやって面白がりながら背中を押してくれるところが、私は結構好きだ。
もし本当に再会できたら、私は「あの箱、まだ持ってるよ」と伝えたい。
三十年経っても、あなたの贈り物は、ちゃんと誰かの人生の中に残り続けているのだと。
私は、その再会の日を楽しみにしながら、
その日まで、恥ずかしくない生き方をしていたいと思う。
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