メディアグランプリ

どうしても許せないこと——あるいは、トマトとウスターソースの悲劇について


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:歩楽三(2026年5月開講 新・ライターズ倶楽部)

 

 

人にはそれぞれ、他人から見れば、何ら取るに足らないことであっても、「どうしても許せないこと」があるのではないだろうか。

ある人にとっては、本にごちゃごちゃと書き込みをすることかもしれないし、またある人にとっては、靴の踵を踏んでズルズル歩くことかもしれない。あるいは、割り込み乗車や、映画館でのスマホ操作かもしれない。

 

僕にとっては「生のトマトにウスターソースをかけること」である。

 

くし切りにされた、美しいルビー色をした果肉が、皿の上にそっと置かれている——それだけで、すでに十分に美しい。それなのに、あろうことか、そこへ黒々としたウスターソースをドバドバと回しかけるなどという蛮行が、まったく信じられないのだ。

 

誤解のないように言っておくが、僕は決してウスターソースという調味料そのものが嫌いなわけではない。むしろ好きな部類だ。スパイシーで、酸味があり、深いコクを持つあの黒い液体は、トンカツや焼きそば、あるいはコロッケといった、油分と熱を帯びた料理に対しては、これ以上ないほどのパートナーだ。熱いトンカツにジュワッとかけて、白いご飯と一緒にいただく幸福感——。ウスターソースはそういう場所でこそ、その真価を発揮する調味料なのだ。

 

それに、ハンバーガーやBLTサンドイッチに挟まっているスライスされたトマトに関しても、まったく問題がない。パティの肉汁やベーコンの脂っこさ、そしてマヨネーズやマスタードといった力強い味覚の嵐が吹き荒れるバンズという密閉空間の中で、トマトは一服の清涼剤として見事な役割を果たしている。例えて言えば、「調和」という名のオーケストラの中で、トマトはさわやかなフルートの音色を奏で、全体を引き立てているのだ。

 

——そうではなく、嫌いなのは、「皿の上に単独で鎮座する生トマト」に対する、ウスターソースの身勝手なテロ行為なのだ。

ウスターソースは自己主張の塊である。考えてもみてほしい、繊細でみずみずしい生のトマトにそれをかけてしまえば、トマトはもはやトマトではなく「ウスターソースの味付けがなされた水分の塊」へと成り下がってしまう。僕が許せないのは、ソースの味ではなく、「素材が本来持っている繊細な良さを無視し、強烈な自分の味で一方的に塗り潰す」という、無神経で暴力的な行為そのものなのだ。

 

 

僕がここまで生トマトの尊厳にこだわるのは、ある夏の日の記憶にまで遡る——。

 

実は、昔の僕はトマトが嫌いだった。

青臭くて、中途半端な酸味もあって、噛むとニュルりとするあのゼリー状の種も……どうにも気持ちが悪かった。

父はそのトマトへウスターソースをかけていたが、食卓でそれが出てくるたびに憂鬱だった。一度食べさせられたが、ただでさえ気持ち悪い上に、さらにスパイシーな液体が加えられて、我慢ならない味だと思ったものだ。

 

それが、ある真夏のうだるような日のこと……。

セミの鳴き声がジリジリと響き渡り、型落ちした扇風機の生ぬるい風では涼しさもへったくりもあったものではない昼下がり。小学校から帰ってくると、ひどく喉が渇いていて、どうしても冷たくて甘い「果物」が食べたくなった僕は、母が不在の中、こっそりと台所の冷蔵庫を開けた。冷気の中にあったのは、まだ十分に熟し切っていないが、みずみずしさを放つ、ちょっと青いところが残るトマトだった。

 

普段なら絶対に見向きもしないトマト。しかし、その時の僕は無性にそれに惹きつけられた。僕はその赤くて所々青い塊のひとつを手に取り、流水で軽く洗うと、そのままガブリとかぶりついた。

 

「……おいしい!」

 

衝撃だった。薄い皮がプチッと弾けた瞬間、口いっぱいに広がったのは、かつて毛嫌いしていた青臭さではなく、冷涼な水分と、驚くほどの豊かな甘みだった。熱を持った体に、冷たいトマトの果汁が染み渡っていく。

 

その日、その瞬間、あの真夏の台所で、僕の中のトマトの概念が根本から覆った。

トマトは「野菜」ではない——。

太陽の光をたっぷり浴びて育った、ジューシィで立派な「果物」のひとつなのだ、と。

 

果物であるならば、すべてが腑に落ちるのではないだろうか。誰が桃に醤油をかけるだろうか? メロンにマヨネーズをかけるだろうか? かけないだろう。(ん……? いや、最近はそうとも言えないのかもしれないが……)

果物とは、本来そのものが持つ自然の甘みと香りを楽しむべきものである、と僕は思う。

手を加えるとしたら、せいぜい冷やすか、ほんのちょっと塩を振るか(これもあまり好きではないが)、その程度で十分なのだ。

だからこそ、生のトマトにウスターソースをかけることは、苺のショートケーキの上にトンカツソースをかけるのに等しい。味覚と素材への冒涜なのだ。

 

そして、この「生のトマトにソースをかけることへの嫌悪感」は、単なる食の好みというだけでなく、僕の人間社会における、ある種の「精神性への嫌悪感」へも繋がっている。 人間関係においても、あのウスターソースのような存在は、いたるところに潜んでいるのだ。

 

 

その後、中学生になった僕は、確か平和に関する作文を書いたときに良い評価をもらい、学校を通じて市か何かの作文コンクールへ出すことになった。そして、さらに推敲した作文を国語の先生へ提出するために、職員室へ足を運んだ。

ところが、そこで不運にも僕の原稿用紙を覗き込んできたのは、その作文の指導とは本来何の関係もない、学年主任でもある老齢の英語教師だった。

 

彼は僕の文章を一読すると、まるで素晴らしい閃きを得たかのような得意げな顔をして、こう言ったのだ。

「良い作文だね。でも、最後に『人間1人の命は地球よりも重いのだ』と書き足しなさい。そうすればもっと良くなる」

 

僕は唖然とした。「人間1人の命は地球よりも重い」——どこの偉人が言ったのか知らないが、手垢のついた上滑りなその言葉は、僕の作文の文脈とも、中学生である僕の感性とも、まったく噛み合っていなかった。ただ道徳的に「正しそう」に聞こえるだけの、空虚で押し付けがましい定型句だ。

しかし彼は、自分のその陳腐なアイデアをすっかり気に入っていた。「いいか、これを書けば絶対に響くから」と、半ば強要するように僕の作文に口を出してきたのである。

 

後から本来の担当であった国語の先生が現れ、やんわりと跳ね返そうとしてくれたものの、彼は頑として自分の主張を曲げなかった。僕の作文であるにも関わらず——。

国語の先生も「本人の文章ですから」と何度か抗ったが、相手が学年主任ではそれ以上強いことも言いづらかったようだ。そして、老教師は滔々と自分の考えを僕に説き続けたのだ。

最後はそんな説教を聞き続けるのも馬鹿馬鹿しくなって、彼の言う通りに作文を直して提出した。その時、明確な感情ではないが、ただ、何か大切なものが失われてしまったような気がした。

 

「これはもう僕の作文じゃない……」

 

職員室の机に置かれた原稿用紙は、ただのゴミにしか見えなかった。

綺麗に赤く、でも所々が薄緑色だったはずの僕のトマトは、彼の満足げな「指導」という名のソースによって、ドス黒く塗り潰されていたのだ。

 

 

その時、僕が感じた強烈な違和感と嫌悪感。

それこそが、頭から「ウスターソース」をかけられたような感覚だった。

 

僕が自分自身の心から絞り出し、ようやく形にした言葉たち。それは未熟で不格好かもしれないが、間違いなく僕自身が育てた「みずみずしいトマト」だった。

そこに彼は、「感動的で、立派な教育的指導をした」という自分自身のエゴを満たすために、どこからか借りてきたドギツい「ウスターソース」を、僕のトマトの上にドバドバとかけたのだ。

 

「指導」や「道徳」というソース自体は、時と場合によっては必要なものかもしれない。しかし、中学生が自分の感性でようやく形にした繊細な自己表現の上に、有無を言わさずぶちまけていいものではない。素材の味を殺し、すべてを同じ黒いソースの色に染め上げようとするその教師の無神経さに、そして、それを許してしまう学校という社会に、僕は軽く絶望感を覚えたものだ。

 

 

大人になり社会に出ると、この「他人のトマトに無断でソースをかける人間」は、結構そこら中に生息していた。中でも最悪だったのは、某元上司だ。

 

僕はその上司の下で、あるプロジェクトのリーダーを任されていた。

 

詳しいことは省くが、複数部門にまたがる難易度の高い案件だった。文系の僕が調整役となり、技術者のメンバーたちと社内外を奔走し、時にはぶつかり合いながら、泥臭く積み上げてきた仕事だ。共に汗と涙を流し、新たな地平を切り拓こうとするキラキラしたものだったと思う。

 

そんな僕たちのモチベーションをゴリゴリと削いでいったのが、あの上司だった。前回の指示を平気で覆し、「遅い、早くしろ、失敗したらどう責任を取るのだ」を繰り返す。コロコロと変わるその場しのぎの指示のせいで、僕たちは何度も手戻りを強いられた。チーム内には疲労と不満が充満し、プロジェクトは何度も暗礁に乗り上げそうになった。それでも僕たちは歯を食いしばって、彼の的外れな意見をかわし、お互いをカバーし合い、ついになんとか一定の成果を上げることができたのだ。

 

担当役員への説明の場、関係部署の人間も多数出席する中で、プロジェクトの成果発表を行った。担当役員からは労いの言葉もあり、チームメンバーのこれまでの苦労がひとまず報われたと安堵した。

 

——その時、あの横槍上司が、こう言ったのだ。

 

「このプロジェクトは私が指示してやらせたんです。メンバーも私の指示によく応えてくれたと思います」

 

怒りで少し手が震える。

リーダーシップや「指示」というソースも、プロジェクトの土台作りの段階では必要だったはずだ。しかし、彼がやったことと言えば、現場を混乱させ、進行を遅らせただけではないか。

僕たちがどれだけの思いでこれを形にしたと思っているのか。僕たちが土を耕し、水をやり、丹精込めて育て上げ、ようやく実を結んだ、みずみずしい「果物」。

 

上司のあの発言は、そのようやく実ったトマトの上に、最後の最後でどぎついウスターソースをドバドバとぶちまける行為そのものだった。

自分では何も生み出していないにも関わらず、後からやってきて、強烈で不快な自己主張で私たちの成果を真っ黒に塗り潰し、手柄という名の味を自分のものとして上書きしようとしたのだ。

 

 

「私が指示した」というあの言葉は、今思い出しても内臓に響くような嫌悪感が込み上げてくる。

そして、そのことをきっかけにして、会社に対する気持ちも急激に冷めていった。

もちろん、それまでにも理不尽なことが無かったわけではない。

サラリーマンは上司の機嫌を取ってナンボという現実も分かっている。

ただ、もしかすると僕がサラリーマンには向いていなかっただけなのかもしれない。

飲み込んできた理不尽が積もり、ついに拒否反応が出た、ということだろうか。

 

会社組織の中であちこちからソースをかけられ続け、ついには守り続けていた僕の「トマト」の中心まで汚そうとした一言……。「私が指示した」は、僕にとって、ラクダの背を折る最後の一本の藁だった。

 

結局、長年勤めた会社ではあったものの、自らの尊厳を損なってまでその場所にいることに価値を感じなくなり、サラリーマンをやめた。それに対して後悔はない。一方で、これまで会社で過ごした時間も無駄だったとは思わない。ただ、自分の「トマト」を守るためには、一番良い方法だと思ったのだ。

 

 

今は、ひたすら自分の「トマト」をみずみずしく実らせるため、日々土いじりをしているようなものだ。書きたいものを書き、描きたいものを描く。誰かにソースをかけられる心配もなく、不格好でも、未熟でも、自分が育てたものを自分の手で収穫できる。実はまだまだ青いかもしれない。でも、それだけで、十分すぎるほど満たされている。

 

 

「トマト」の尊厳を守ること。それはただの味覚の問題ではない。

他者をありのままに尊重すること。そして、自らの尊厳を守ること。

その両方のための、譲れない一線なのだ。

 

「ソース」をかける前に、ちょっとだけ考えてほしい。

その「トマト」は、本当にあなたのものなのかを。

 

《終わり》

 

ライターズプロフィール

歩楽三(ぶらぞう)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2026年1月ライティング・ゼミに参加。5月よりライターズ倶楽部参加。

演歌の似合う北国育ち。東京都在住。

長らく勤めた会社を2024年に退職しフリーランスへ転身。

現在は、世田谷近辺の居酒屋をぶらぶら巡っている、遅咲きのゆるゆる漫画家。

割と節操なく、気ままに、エッセイ、SF、ペットものなどの漫画を描いたり文章を書いたりしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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