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私がヤングケアラーなら、母は毒親なの?


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:ひーまま(2026年ライティング1年完全習得パスポート)

 

「あんたのライティング読んだで。めちゃくちゃおもろかったわ! 

作家になれるんとちゃうか?」と、母が言った。

 

私が還暦を迎えた日、どうにも人生がすっきりしない。

 

何故? そんな疑問から心理学やワークショップ様々なことにチャレンジしてみて、これは私のつらかった幼少期の経験からくるトラウマなんだ。と見えてきた。

 

これはどうしても、自分の人生整理しなくちゃ終わらない。

 

そう感じて、天狼院書店のライティングゼミに思い切って申し込んだのだ。それがすでに3年前の6月の事だ。

 

毎週の締め切りを必死に追ってきた。

 

自分自身の物語を紐解いていくと、つらかった記憶に圧倒されることもあった。

 

それでも、こつこつライティングを続けてこられたのは、天狼院のライティングゼミだったからだと思う。

 

「ヤングケアラー」の言葉が社会の中で認知されてきて、子供が大人の代わりに家事や親の世話をすること。と言う意味合いを、淡々と語れるようになってきたことも私には助けになった。

 

で、である。

 

私の子供時代の気持ちを何とか母親に理解してほしいと、書き溜めてきた文章を、本当に口から心臓が出てしまうような気持で渡したのだ。

 

母が2月の誕生日で90歳を迎えたからである。

 

まだ頭も口もはっきりしている。

 

90歳まで、元気に生きていることが、実は私的には想定外だったが、母は元気に我が家の隣で、一人暮らしをしているのだ。

 

その母に、私の思の丈を書き記した文章を15個ほどまとめて渡したのである。

 

ドキドキした。

 

本当に読んでくれるのか。そんな不安もあった。

 

そして、翌日の事だ。

 

冒頭の発言が、電話で私に告げられたのだ。

 

「あんたのライティング読んだで。めちゃくちゃおもろかったわ! 

作家になれるんとちゃうか?」

 

涙を浮かべて話しかけられると思っていた、私の予想は、でっかい石でも投げられたかのように、砕かれた。

 

(いやいや、私はね、3年もかかって、やっとヤングケアラーだった時のことを文章にしたんだよ。おもろかったって?)

 

私の3年は、遠い空の彼方へ消えていったような気分になった。

 

電話での母の言葉は底抜けに明るく、反省や悪気は一切感じられなかった。

 

(完敗だ……負けました……)

 

母は大まじめに「続きも書いてみ」と言う。

 

父の人生もすごかったが、母の人生もすごい。

ヤングケアラーだった私の人生も、その意味できっとすごいのだ。

 

私は、つきものが落ちたような気持ちになった。

 

3年かけてライティング修行してきて本当に良かった。

 

自分自身を俯瞰してみた。

 

読んでもらえるように言葉を選んだ。

 

自分を振り返ってみると、苦しみの中にクスリと笑えるようなことを見つけるのが、私のライフスタイルだったことが見えてきた。

 

そしてヤングケアラーの母から「めちゃおもろい!」の言葉をもらったのだ。

 

いやいや、それならね、続きを書いちゃうよ。

 

そんな気持ちになったのだった。

 

それから数日して、母は足の痛みがひどく、入院することになった。

病院で様々な検査をしてもらったが、どこにも異常がないという。

 

母の元気の素は、イケメンと優しい言葉だ。

 

その二つともが入院先の病院にあった。

 

痛いときに、すぐに飛んできてくれる看護師さんに、家族は本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

母の口から思わず「いつも世話になって、ほんまにありがとう」の言葉が出るようになった。

 

コロナ以来、病院のお見舞いは一日30分以内となり、面会は家族に限られているという。

 

数日に一度のお見舞いで、ありがとうの言葉である。

入院する前に、ライティングの文章を渡せていて本当に良かった。

 

病室を訪ねると、小さなノートが欲しいという。

 

「この間のあんたの文章読んで、わたしも思い出したことあるねん」

「忘れんように書いときたいねん」

 

私は心の中で(ほんまかいな)と思いつつ

「うんうんわかったよ。しっかり子供のころの事もおもいだして書いといて」

いそいそとノートを届けたのだった。

 

お見舞いに行くたびに、母のノートには子供のころの思い出が書かれていった。

 

おもに、どれほど自分が賢くて褒められてきたのか。

 

自慢話が続くのだが、戦争のころの話しになると、当時幼稚園生だった母が、大阪の空襲をみて怖かったことや、5歳下の赤ちゃんだった妹を守ってミシンの下に隠れたことなど、時代を感じる出来事がふえてきた。

 

昭和20年。終戦の時は9歳だったことが私にもリアルに伝わってきた。

 

戦後の食糧難でいつもお腹がすいていたこと。

 

アメリカに負けて、英語を頑張って習ったこと。

 

その英語の勉強が功を奏して、父と出会う「新大阪ホテル」のフロントガールになったことなど。

 

母の中身は当時のまま、かわいい女子高生だ。

 

私のライティングから、母がライティングを始めるなど想像もしていなかったが、入院生活も楽しそうでさえある。

 

入院生活もひと月を過ぎて、足の痛みもなくなってきたという。

今週の金曜日が退院に決まったのだ。

 

妹と、母が帰ってきて不自由なく過ごせるようにと、介護用品のサービスを使って電動ベッドをダイニングに移動した。

 

トイレとお風呂がすぐだから、まだまだ一人暮らしを楽しめるだろう。

 

妹と二人で、ゴミ屋敷になっていた実家を掃除しながら、あの7歳の私が5歳の妹を守って家事をしてきたこと、助けてくれる大人がいなくて泣きながら怖い夜を過ごしていたこと、母のライティングのおかげで、なんだかそのころの記憶に少し光が差してきたような気がする。

 

ヤングケアラーの私の母は、果たして毒親だったのか?

そんな疑問がわいてきた。

 

90歳まで底抜けに天然で、自分を大事にしてきた母を私は毒親と思えなくなっている。

 

父と母が出会って私たち姉弟がいるのだ。

 

ヤングケアラーだった私も、父と母も苦しかった。

 

それでも、もしかしたらその「苦しみ」の種は「よかったね」の種になって、「美味しいね」の実がなるかもしれない。

 

私はその「実」を食べられるような気がしてきている。

《終わり》

 

 

 

 

 

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