鳥取砂丘で財布を落としたけれど、見つかった話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:みちよ(ライティングゼミ名古屋会場)
「鳥取砂丘に行きたい」
15年ほど前のこと、付き合っていた彼がそう言った。
「一度も行ったことがないから」と。
わたしも行ったことはなかったが、特に興味があるわけでもなかった。
それでも、反対する理由もなかったので、彼の希望に沿ってその旅は始まった。
鳥取砂丘の駐車場に到着し、わたしはバッグを持っていくか一瞬迷った。
けれど、そんなものを持っていたら砂丘を歩くのに邪魔だ、という結論にすぐに至った。
しかし、貴重品を車の中に置いていくのは不安だった。
それで、バッグから財布だけを取り出し、履いていたジーンズの後ろポケットに入れた。
それは彼が誕生日にプレゼントしてくれた、バイカラーで三つ折りの、小さな財布だった。
財布は後ろポケットに無理なく収まった。
駐車場を降りて少し歩くと、そこは多くの人と土産物屋で賑わっていた。
ラクダがいて、一緒に写真を撮るサービスなんかもあり、「砂丘に来た」という実感が一気に高まった。
そうした光景を横目に見ながら、わたしたちは砂丘の「入口」から中へ入っていった。
そこには、広大な砂の山が広がっていた。
何をするでもない。
ただ上り、そして下りる。それだけだ。
それなのに、砂、砂、砂の世界を、わたしは確かに堪能していた。
子供連れは手で砂を掬っては落とし、砂と戯れていた。
わたしも時折、手で砂に触れ、その形のない流れを確かめた。
わたしが一歩踏み出すと、足跡が砂に残る。
しかし次の瞬間、上から流れてくる砂が、足跡をあっさりとかき消してしまう。
砂は、流れる。水のように。そしてすべてを飲み込み、なかったことにしていく。
わたしは、外国にあるもっと広大な砂漠に思いを馳せずにはいられなかった。
こんなふうに砂だけが支配している世界が、どこまでも続いている場所があるのだ。
そして、こんなところで暮らしている人も、世界にはいるのだと思った。
そうして、初夏の日差しにうっすらと汗をかいて、慣れない砂丘の足場に疲れが出始めたころ、わたしたちは砂丘の「出口」から出た。
そして、何の気なしに後ろポケットの財布を確かめた。
平らだった。
あるはずのふくらみが、なかった。
――財布がない。
何度触っても、ない。
前ポケットだったか。それともブラウスの胸ポケットだったか。
しかし、どこを探っても財布はなかった。
わたしは意を決して言葉にした。
「財布を落としたみたい。砂丘で」
彼のほうが、むしろ血の気が引いたように見えた。
二人で引き返し、砂丘の中へ戻っていった。
喉元まで出かかっている「見つかるわけがない」という言葉を、飲み込んで。
もちろん、見つかるわけがなかった。
この広大で、すべてを飲み込む砂丘の中で、
ちっぽけな財布が見つかるはずなどない。
「財布には何が入っていたの?」と彼が尋ねた。
「現金が三万円ほどと、免許証、クレジットカードが二枚……」
言いながら、その重さを自分でも理解していく。
彼は、さらに血の気が引いたように見えた。
わたしたちは、落とし物が届けられていそうな場所を探した。
しかし、「管理事務所」のようなものは見当たらなかった。
土産物屋をいくつか回り、財布の落とし物が届いていないか尋ねた。
「砂丘で財布を落としまして……」
深刻なことのはずなのに、口にすると、どこか気恥ずかしく、
少し滑稽でもあるように感じられて、言いながら思わず照れ笑いが浮かぶ。
しかし、みな首を振るばかりだった。
最後の望みをかけて、わたしたちは交番に向かった。
交番の駐車場らしきところに車を停め、入口へ向かう。
しかし、様子がどこかおかしい。
閉まっている。中も暗い。
そのとき、
「今、不在のようですよ」と声がした。
見ると、交番の入口の横の石段に、ひとりの男性が腰かけていた。
「僕も待っているんですけどね。いつ戻ってくるのか……」
「そうなんですね。わたしたちも用があるので、少し待ってみます」
その男性は白い服を着ていて、年のころはわたしと同じくらいに見えた。
交番を不在にするなんて。
わたしのほかにも、困っている人がいるではないか。
わたしは財布をなくした不安と苛立ちを、不在のポリスにぶつけることにした。
「全くひどいよね。これじゃ交番の意味がないじゃない。職務怠慢だよ」
そう言ったところで状況が変わるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
立ったり、座ったり、少し歩いたり。
落ち着かないわたしの横で、先客は苛立つ様子もなく、じっと座っている。
辛抱強い人だな、とそのときは思った。
横で待っていた彼が、時計を見ながら言った。
「もうすぐお昼だな。十二時になっても戻らなかったら、いったん昼を食べて、また来ようか」
「うん……けど、落とした財布が見つからないと、わたし、ごはんも食べられないんだけど」
――そのとき。
先客が、驚いたように口を開いた。
「あの、失礼ですが……どこで財布を落とされたんですか?」
「鳥取砂丘です。」
先客は、はっと息を呑んだ。
「その財布って、どんな財布ですか?」
「バイカラー……いろんな色の縞々で、三つ折りの、これくらいの大きさの財布です」
「中に何が入っていますか?」
「現金と、免許証やクレジットカードです」
「あの、お名前、お伺いしてもいいですか。僕、財布を拾ったんです」
――えっ。
名前を告げると、先客は財布を取り出した。
それは、まごうかたなき、わたしが落とした財布だった。
先客は財布の中の免許証を確認し、今わたしが告げた名前と同じであることを見て、
「よかった」と言って立ち上がり、笑って財布を差し出してくれた。
わたしは中をさっと確認し、現金もカードも無事であることを見届けた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
彼が「お礼、お礼」と小さく言うので、
とっさに三千円を取り出し、差し出した。
「これ、届けていただいたお礼です。本当に、お待たせもしてしまって。
でも、同じ用事で長いこと隣で待っていたなんて、何だか面白いですね」
緊張がほどけたわたしは、少し饒舌になっていた。
先客は「本当にね」と笑い、
三千円を受け取って、去っていった。
これが、鳥取砂丘で財布を落とし、そして見つかった話である。
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