エリザベス女王くらい気品ある彼氏
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: みちよ (ライティング・ゼミ名古屋会場)
30年位は前のことと思って聞いてほしい。
大学生になってまだ間もないころ、
あたしたちは高校時代のなじみの友達と集まったんだ。
そこで、ジュンコが、彼氏ができたっていう話をした。
正直、びっくりしたよ。
あたしたちのグループは高校でも美術部や放送部に所属している子が多くって、
どっちかっていうと地味な部類だったから。
そのメンバーでそんな話が出ると思わなかったから、ドキドキしたよ。
ジュンコの話はこうだった。
「彼とデートでマクドナルドに行ったの」
あたしたちの住んでるのは田舎で、当時はマクドナルドだってなかった。
大学生になって、電車に乗って大阪や神戸まで出るようになってから、
やっと身近なものになったくらい。
だから、デートでマクドナルドなんて、何だか、かっこよかった。
「それでトイレに行って、流した後、別のボタンがあるのに気がついて、押してみたの。覗き込んで見てたら、便器の下の方からノズルが出てきて、そこから水がピューって吹き上げてきてさ。止め方もわからなくて、わたし、びしょびしょになったの」
あたしたちは大ウケしたよ。
「それ……おしり洗うやつでしょ? ウォシュレットっていう笑」
「デートで何やってんのよ、知らなかったの笑?」
あたしにはウォシュレットというものの経験がなかったから、
いまいち乗り切れない部分もあった。
だけど、会話の流れと、
びしょぬれで慌てて水を停めようとしているジュンコを想像するだけで、
面白かったんだ。
ジュンコの話はそれだけじゃなかったよ。
「それで、席に戻ったら、彼に、どうしたの、なんで濡れてるのって聞かれたけど、別にって言ってごまかしたの。で、そのあと彼がトイレに行って。けど、戻ってきた彼を見たら、なんと彼もびしょぬれだったの」
それで、あたしたちはさらに大ウケしたんだ。
だって、バカなカップルだよ、これ。
二人ともウォシュレットでびしょびしょだよ!
「ホント、その彼とお似合いだよー」って言って、ジュンコもフフフって笑って、
さらにみんなで大笑いした。
「彼氏ができた話」が、こんなおバカな話だったとは、
あたしはなぜかちょっと安心した。
そして、もう一度、高校生のときみたいに、おなかがよじれるくらいみんなで笑ったよ。
面白いネタを仕入れたあたしは、早速、それを大学のサークルで話したんだ。
「バカな話だよね~。お似合いのカップルだよね~」って。
そうしたらクニヒロ先輩が言ったんだ。
「……それって、『エリザベス女王のフィンガーボウル』じゃないか?」
「えっ? 何ですか、それ?」
先輩の話はこうだった。
「外国からの賓客が宮廷の晩餐会に招かれたときのこと。
テーブルの上に出されたフィンガーボール(水を入れて指を洗うための器)を、
その客人が誤って飲み物だと思って飲んでしまった。
それを見た家臣が、その賓客を田舎者だとバカにして笑いそうになっている――
エリザベス女王はすぐにそれを見て、
自分も同じようにフィンガーボールを飲んだ
そうすることで、
客の失敗を「失敗ではないこと」に変え、
外国からの賓客に恥をかかせないようにしたんだ」
それを聞いて、あたしはあの日のおなかがよじれるほどのバカ笑いをちょっと恥じたよ。
ただのバカな話、だと思っていたのに、
もし彼氏がジュンコの失敗に気が付いて、
しかもジュンコに恥をかかせないために、
わざとびしょぬれになったのだとしたら、
それは恐ろしく気品と配慮のある、皇室クラスの彼氏じゃないか。
あたしは、世界の裏表がひっくり返ったような、
ネガがポジになったような錯覚を覚えたんだ。
もちろん真相はわからないよ。
けれども、あたしはその解釈を信じたい。
それがあまりにも美しいから。
同時に、どこか滑稽でもあるから。
そして、もしかしたら気品のかたまりのようなふるまいかもしれないのに、
目に浮かぶのはやっぱり、トイレであたふたして、
びしょびしょになっている二人の姿。
ただのずぶぬれカップルだよね。
エリザベス女王のまわりで起こった出来事も、
案外こんなふうだったのかもしれない。
フィンガーボウルを飲むという行為が、どれほどのものか、
現代のわたしたちには正確にはわからない。
けれどももしかしたらそれは、ウォシュレットでびしょぬれになるのと同じくらい、
「ものを知らない者の、ばかげた振る舞い」だったんだろう。
しかし、本当に大事なのはそこじゃない。
「それを見て、とっさに同じことをする」ことだ。
――そんな発想、あたしにはない。
ウォシュレットでびしょびしょになった恋人を見たら、私ならきっと
「えっ、使い方間違えたの?」
と突っ込んでしまうだろう。
だからこそ、それができるジュンコの彼氏はすごいと思うし、
そんな彼氏と付き合っているジュンコは、きっと幸せだと思うんだ。
これはあたしの勝手な想像にすぎない。
二人ともただウォシュレットを知らなかっただけの、
おバカなカップルだったのかもしれない。
それはそれで、十分にいい話だ。
けれどもあたしは、
ジュンコの彼が、その一瞬エリザベス女王だった、
という可能性を、
やっぱり信じていたいんだ。
今頃ジュンコは幸せにしているだろうか。
そうであると願って、この話を終える。
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