勝ったのは観客だった。選手ではない《週刊READING LIFE Vol.360「本当は“神様”だったのかも」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:山田THX将治(天狼院・ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
『願わくば、引き分けてくれ!!』
PCモニターには、ボウ(蝶)タイ姿のレフリーが、両対戦者の間に立ち、リングアナウンサーが、今まさに判定結果を告げ様としている処だった。
日付は、2026年5月2日土曜日。
日本時間は、既に22時を過ぎていた。
そう、
私が観戦して居たのは、ボクシングの世界タイトルマッチ、否!
日本ボクシング史上、空前絶後のビッグマッチだ。
何しろ、放送権料の高騰(と、言っても、世界標準に為っただけ)に依り、地上波・BSを含めて、全ての無料中継が為されなかったのだ。
それで私は仕方なく、テレビのモニターではなく、小さなPCモニターで観戦することと為ったのだ。それも、多額の料金を払って!!
思わず、こう謂う時にこそ、普段から受信料を徴収している国営放送に、頑張って貰いたいとも思ったが……
私のボクシング観戦歴は、60年を超えている。
何しろ、ボクシング好きの祖母の影響で、初めてテレビ観戦したのが1965年のこと。対戦カードもしっかり覚えていて、50戦無敗の世界バンタム級チャンピオン、“黄金のバンタム”ことエデル・ジョフレ選手(ブラジル)と、前フライ級の世界王者で日本のファイティング原田選手だった。
手に汗握る試合は判定に持ち込まれ、僅差で原田選手が“黄金のバンタム”に初黒星を付けたのだった。
当時、6歳だった私は、グローブを付けた両拳で、互いに撃ち合うスポーツに、何故ボクシングという名が付いたのか、不思議に思ったものだ。
明治生まれの祖母は、ボクシングのことを‘拳闘’と呼んでいたし。
何となく、‘拳闘’の方がシックリ来るし。
中学生に為ると、英語の授業が始まったことも有り、ボクシングは‘Boxing’と英語表記されることを知った。
然し次に、英語で進行形を習ったので、
『何故‘Box(箱)’の進行形が‘拳闘’なのだ?』
と、新たな疑問を頭の中に生じさせた。
私は勝手に、ボクシングはロープを四方に張り巡らせたリングで戦うことから、リング上の直方体の空間を“箱”に見立てて命名されたのだろうと、勝手に思考した。
現代なら、PCのキーボードを叩けば簡単に答えが出て来ることだろう。それに最近では、生成AIを遣えばもっと細かな情報を導き出せることだろう。それも、レポート形式にして。
PC等、SF映画の世界にしか無かった1970年代では、学校の図書館へ行って百科事典を調べるしか無かった。
何事も知りたがりの中学生だった私は、大きな公立図書館へ行き『語源辞典』なる物で、調べてみた。
出てきた結果は、ボクシングの起源である古代ギリシャで、拳のことを‘箱’と同じ語彙で表現したことが、ボクシングの競技名の由来と知った。
然し、『語源辞典』には二稿目が有り、両肘を曲げ顔の前で腕を立てる姿、俗に言う(ガードを固めた)‘ファイティングポーズ’を箱に見立てたことに由来するとの、別説が記載されていた。
別説の根拠として、レフリーが試合をリスタートする時の掛け声が、プロの場合は、
「ファイト」
だが、アマチュアの試合では、
「ボックス」
と、言うことが記載されて居た。
これは、別説の流れだとも書いてあった。
‘拳’を‘箱’と同じ語彙で有るからと謂う前説の方が、説得力を感じたものの、中学生だった私は、別説を取ってみたいと感じていた。
別説の方が、誰かに説明する際に、感心されそうな気がしたのだ。
然し、両腕を立てた、要するにガードを固めた形では、攻撃することが出来ないのもボクシングだ。
即ち、攻撃をすれば防御の形が崩れる訳だ。
言い換える為らば、攻防の駆け引きこそが、ボクシングの醍醐味と謂えるとも思ったのだ。
事程然様に、ボクシング観戦にのめり込んだ私は、何時しか一端のボクシング通を装う様に為った。
その後の半世紀強、私は、国内外を問わず多くのボクシング名試合を観て来た。
多くは、ノックアウト(K.O.)での決着が付いて居た。
判定で勝負が決することも有った。然し、判定決着は、時として異論が挟み込まれた。判定と謂っても、所詮は生身の人間(ジャッジ)の主観だからだ。
極稀に、引き分けに依る決着も有った。
タイトルマッチの場合、引き分けはチャンピオンのタイトル防衛と為る。即ち、引き分け試合は、王者には勝ちと同じなのである訳だ。
私は勿論、ボクシングを観戦する際には、チャンピオン・挑戦者の何れかを応援し、叶う事なら贔屓側のノックアウト勝ちを願っている。
判定で有っても、大差の判定を。
その方が、安心して観戦出来るし。
間違っても、引き分けを望むこと等、考えたことも無い。
正確には、考えたことも無かった。
2026年5月2日の夜迄は。
冒頭の願いにさせた5月2日の試合とは、これ迄四階級で世界チャンピオンと為り、現在のスーパーバンタム級(55.338kg)では、世界の四団体(WBA・WBC・IBF・WBO)統一王者・井上尚弥選手と、三階級を制覇した前バンタム級世界チャンピオン(WBC・IBF)中谷潤人選手との対戦だった。
両選手の対戦が、日本ボクシング史上に於ける世紀の対戦と謂われるのは、その成績を見れば明白だった。
“モンスター”と呼ばれている井上尚弥選手は、それ迄32戦無敗。
一方の“ビッグバン”と渾名される中谷潤人選手も、32戦無敗だった。
両選手は、引き分けすら無かった(ジョフレ選手は3回の引き分けが有った)のだ。
これだけ、パーフェクトな戦績を持ち、更に複数階級を制し、複数団体のベルトを保持した選手同士の試合等、日本国内では前代未聞なのだ。
それも、日本人選手同士の試合で。
正直な処、不敗同士の対戦だったことを、試合が白熱した途中で思い出し、私は、
『この素晴らしい両ボクサーの、不敗が続いて欲しい』
と、思わずファンの我儘が、
『引き分けてくれ!!』
と、本音の形に為った迄のことだった。
数多くのボクシングを観戦して来た私は、中々ノックアウトに至らない、正確には至りそうもない試合を、存分に楽しんでした。
素晴らしいスピードと攻防を備えた両選手は、相手の防御(ボックス)の隙を狙い、拳(ボックス)を叩きこまんと対峙していた。
決定的なパンチは決まらなかったが、息も吐(つ)かせぬ攻防だった。
毎戦、一方的な強さを見せる両選手は、相手の巧みな防御を見て、互いの手の内を読み合っている様だった。
ボクシングなので短い時間だったが、それはまるで名棋士同士の長考の様に感じられた。
現代で例えるなら、藤井聡太六冠と伊藤匠二冠の名人戦を観ている気分だった。
井上チャンピオンも中谷挑戦者も、互いの攻撃を読み対処し、攻撃で空くであろう防御の隙を探っている様だった。
将棋と違ってボクシングに長考は無いが、両選手の攻防は、藤井六冠・伊藤二冠の長考を、僅か3分に凝縮した濃厚さだった。
フルラウンド(12R)47分間の長考戦に、長年の‘拳闘’ファンである私は、これ迄に無い程の満足感を得ていた。
勝敗等、どちらでも良かった。
それよりも、謂い知れぬ満足感から、両選手を最大限に賞賛したかった。
それが思わず吐露した、“引き分け”と謂う願望だったのだ。
大感動の儘、ラップトップPCを閉じた私は、このタイトルマッチを実現してくれたプロモーターに感謝したくなった。
それ以上に、不敗の最強者同士と謂うタイミングに感謝した。
そして、
『もしかしたら、このタイトルマッチは、神様からの贈り物だったかもしれない』
と、思い始めていた。
長年続けて居れば、佳い事が巡って来るものだ。
判定に依り、井上尚弥チャンピオンの防衛と為ったこのタイトルマッチ。
神様から贈り物として受け取ることが出来た私たちボクシングファンは、もしかしたら、勝者なのかも知れない。
心に残った感動と満足感は、勝者の証なのだから。
《終わり》
〈著者プロフィール〉
山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion
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