吾輩は赤ちゃんである
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:よもぎもちもち(2026年5月開講・ライティング・ゼミ)
吾輩は赤ちゃんである。名前はまだない。
吾輩には専属スタッフが二人いる。この生きものは、昼夜を問わず吾輩のために働いてくれている。ありがたい話だ。ただし、彼らは新人だ。最初からすべてできるほど優秀でもない。
スタッフには、教育が必要である。今日はそのためのコツについてお話ししようと思う。
まずは、空腹管理について。吾輩は、夜中でも彼らを呼び出すことができる。やり方は簡単で、ただ泣けばよい。泣く。しばらくすると、スタッフ一号——吾輩はこれを「母」と認識している——が、足音を立ててやってくる。この生き物は優秀で、吾輩の声に敏感に反応し、対応してくれる。しばらくすると、スタッフ二号もやってくるが、たいてい一号に遅れてやってくる。なお、ミルクを吐き戻してしまった場合も心配する必要はない。吾輩たちのスタッフは、驚くほど忍耐強い。彼らは、何度でも服をきれいにしてくれる。どうやら、洗うという行為が、嫌いではないらしい。
また、彼らは、吾輩が泣いている理由を察することができない。空腹のせいか、眠気のせいか、ただの気まぐれか。わからず途方にくれていることもしばしばである。これに関しては、彼ら自身に試行錯誤してもらい、理解させるしかない。新人教育には、根気が必要である。彼らが要求を解消してくれるまで、しっかりと泣き続けることが大事である。
なお、彼らにはサボり癖がある。吾輩たちがウトウトとまどろみ始めると、彼らは隙を見て、吾輩をベッドというものに置こうとする。これに気が付いた時は、断固として抗議しなければならない。背中の感触が変化したら、すぐさま大声で不満を訴えるように。
最後に、もっとも効果的な命令方法について伝授したい。それは、笑顔である。彼らはなぜか、吾輩たちの笑顔が大好きなようだ。笑顔を見せると信じられないほど喜ぶ。喜んで、機械を構え、何度も何度も写す。撮った写真は、どうやらすぐに他の人間へ送信されるらしい。同じ顔が、何十枚も保存されていく。一枚で十分だと思うのだが、彼らにその判断はできないようだ。こちらが気まぐれにもう一度笑ってやれば、彼らはいつまでも飽きない。実に彼らは、単純で扱いやすいのだ。
ただし、この方法は軽はずみに連用してはならない。あくまで、稀に見せること、ここぞというときに使うことが大切である。
おっと、今日は少ししゃべり過ぎた。疲れてしまったので、続きはまた今度にする。おやすみ諸君。
……とそんな妄想をしていたことを、赤ちゃん時代の子どもの写真を見て思い出した。
今私は、私の母親と一緒に、スマホのアルバムを見ている。
産まれたばかりの息子は目が大きくて、むちむち柔らかくて、赤ちゃんのいい匂いがして、どんなに苦労をしても何でも許せてしまっていた。
あれから十二年、あの頃の私たち夫婦の苦労はきっと彼の中には残っていないだろう。
中学生の息子は、お腹が空いたからといって、泣きはしない。
ただ、家に帰ってくるとすぐに、「お腹空いた~、なんかない?」と訴えてくる。
あの頃、私たちが毎日洗っていたのは、吐き戻しで汚れた肌着だった。
思春期の男子が、洗濯機に放り込むのは、泥だらけの部活着と、片方しかない靴下だ。
十二年、妻と一緒に洗濯物を洗い続けているが、洗濯物は増える一方である。
思春期の男子は、あの頃のようになぜかよくわからない理由で泣くことはない。
でも、何かの理由でよく不機嫌になっている。
それが、友人関係のせいなのか、勉強がうまくいっていないのか、ただの気まぐれか。
私たちは、相変わらず、わからない。
気になる時はあれこれ聞いてみるが、もちろん教えてくれない。
聞くと不機嫌になるので、もう触らない方がいいと思っている。
小学校高学年頃からだろうか、息子にカメラを向けると顔をしかめるようになった。
「やめて」
どうやら思春期男子は、写真に写りたくないようだ。
息子の笑顔の写真は徐々に減って、たまに撮れた写真といえば、盗み撮りのようなものばかりだ。
小さなころはあんなに嬉しそうに写ってくれたのに。
そんなことを愚痴っていると、母が古ぼけたアルバムを引っ張り出してきた。
「これ、あなたが小さい時の写真」
分厚いビニールのアルバムをめくる。
そこには、私の覚えていない私が何人もいた。
父に肩車されて、得意げな私。
幼稚園の前で、なぜか大泣きしている私。
運動会で転んだのか、膝に絆創膏を貼ってふくれている私。
写真の中にいる母は、今の私より若かった。
「あなたも、夜はちっとも寝てくれなくてね」
私の“元”専属スタッフはそう言って笑った。
吾輩もまた、赤ちゃんだった。
〈終わり〉
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