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すりガラスの向こうの、美しい気配 ——「先が見えない不透明さ」を愛おしむ生き方《週刊READING LIFE Vol.364「不透明」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:川瀬健二(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

「先が見えない時代ですね。」

 

最近、この言葉を聞かない日はない。AIの進化によって仕事が変わる。世界情勢は不安定さを増し、今日も戦争が絶えない。物価が上昇し、経済の先行きも読みにくい。昨日まで価値があった知識が、明日には当たり前になり、新しい技術が次々と常識を書き換えていく。僕たちは、その変化に取り残されないように必死だ。ニュースを読む。SNSを開く。動画を観る。AIに質問する。新しい情報を集め続ける。

 

変化の激しい時代を生きる以上、情報を集め学び続ける姿勢は欠かせない。僕自身も毎日のようにAIを使い、その恩恵を受けている。けれど、不思議に思うことがある。情報は増えているのに、不安は減らない。便利になったはずなのに、未来は以前より遠く感じる。新しい知識を得るたびに安心できるはずなのに、なぜ僕たちは、さらに新しい情報を求めてしまうのだろう。

 

そんなことを考えていた六月の終わり、鎌倉の朝は深い霧に包まれていた。玄関の扉を開けると、数十メートル先の道が白く霞んでいる。いつも見えている山の稜線も、近所の木々も、参道の先にあるいつもの風景がその輪郭を失っていた。見えるのは足元の石畳だけだった。普通なら、不安になる景色なのかもしれない。けれど、その朝の僕は、不思議なくらい落ち着いていた。遠くは見えない。だから遠くを気にしなくていい。今は目の前の一歩だけを見て歩けばいい。そう思えたからだ。

 

歩き始めると、霧の中から鳥の声が聞こえてきた。紫陽花には昨夜の雨粒が残っている。湿った土の匂いが漂い、近所の方が飼っているニワトリの声が響いてくる。視界は狭くなっている。それなのに、普段より多くのものを感じている自分がいた。見えないからこそ、耳が澄み、鼻が働き、足の裏が地面の感触を確かめている。人は、視界が狭くなると、ほかの感覚を自然に使い始めるらしい。

 

そのとき、ふと思った。僕たちは、先が見えないことを恐れているのではない。本当に恐れているのは、「未来を自分でコントロールできないこと」なのではないだろうか。だから情報を集める。未来を予測しようとする。正解を探そうとする。けれど人生は、情報が増えれば安心できるほど単純にはできていない。

 

そのことを考えさせられたのが、先日Netflixで観た『いくさがみ』という作品だった。舞台は明治維新という、日本の歴史が大きく転換した時代である。昨日まで武士として生きてきた人たちは、文明開化とともに自分たちが信じてきた価値観を突然失う。剣の腕を磨けば生きていける。忠義を尽くすことが人生だ。そんな何百年もの長い間に繰り返されてきた「当たり前」が、一夜にして通用しなくなる。彼らは混乱する。何を信じればいいのか。どんな力を身につければ、新しい時代を生き抜けるのか。昨日までの正解が、今日は正解ではなくなっている。そして役割を終えた武士たちが、新しい世から消えていく物語だ。

 

その戸惑いは、AIによって仕事や社会のルールが変わり始めた今の僕たちと、驚くほどよく似ている。もちろん、現代は明治維新ではない。命を懸けて戦う時代でもない。しかし、「これまでの常識が突然通用しなくなる」という意味では、本質は変わらない。だから僕たちは、未来の地図を欲しがる。どの会社へ行けば安心なのか。どんなスキルを身につければいいのか。何が正解なのか。

 

そんなことを考えながら、ある日、鎌倉の街を歩いていた。駅まで向かうために、いつものようにスマホで地図を開く。目的地までのルートはすぐに表示される。到着時刻も分かる。迷うことはない。本当に便利な時代になったと思う。ところがその日、歩き始めてすぐに、あることに気づかされた。スマホは「どこへ行けばいいか」を教えてくれる。しかし、「その道をどう歩くか」は教えてくれない。その違いに気づいた瞬間、この「先が見えない時代」の見え方そのものが、僕の中で少し変わり始めたのである。

 

そのことに気づいたのは、鎌倉の坂道を登り始めて数分後だった。画面の上では一本の細い線にしか見えなかった道が、実際には想像以上に急な坂だったのだ。六月の湿った空気が身体にまとわりつき、額から汗が流れる。思わず立ち止まり、振り返る。すると、登ってきた坂道の向こうに、鎌倉の街並みがゆっくりと広がっていた。風が吹き抜ける。どこからか鳥の声が聞こえる。紫陽花の葉が揺れ、その上に残った雨粒が朝日に光っている。もし画面だけを見続けていたら、この景色には気づかなかっただろう。

 

その瞬間、僕は少し笑ってしまった。人生も、これとまったく同じではないか。僕たちは未来の「地図」を欲しがる。失敗しない進路。安心できる会社。将来性のある資格。間違いのない投資。AIに尋ねれば、精度の高い答えが返ってくる。膨大なデータを分析し、「現時点では、この選択がもっとも可能性が高い」という答えを提示してくれる。だから僕もAIを使うし、これからもフル活用し続けるだろう。

 

しかし、AIがどれほど進化しても教えられないことがある。その道を歩いたとき、自分が何を感じるかである。ある仕事に就いたとき、自分は本当に充実感を覚えるのか。ある街で暮らしたとき、その土地を好きになれるのか。ある人と時間を重ねたとき、「この人と一緒に生きていきたい」と自然に思えるのか。こうしたことは、どれほど精度の高いデータがあっても、最後は自分で歩いてみなければ分からない。人生を決める重要なことほど、体験の中にしか答えはないのだ。

 

振り返れば、僕自身の人生もそうだった。会社経営は、未来を予測することが仕事だ。売上を見込み、設備投資を判断し、人を採用する。常に五年先、十年先を考えながら意思決定を繰り返してきた。もちろん、それは経営者として必要な仕事だ。けれど、会社の転機になった出来事は、不思議なことに計画書には書かれていなかった。偶然紹介された取引先。思いがけず引き受けた仕事。失敗して落ち込んだ経験。遠回りだと思っていた挑戦。

 

その一つひとつは、そのときには意味が分からなかった。むしろ、「なぜこんなことが起きるのだろう」と戸惑うことのほうが多かった。ところが何年も経って振り返ると、それらは一本の線でつながっていた。あの失敗があったから、次の仕事を受けられた。あの出会いがあったから、新しい世界が開けた。あの遠回りがあったから、今の会社がある。歩いている最中には見えない。だから人は不安になる。

 

「この道で本当に合っているのだろうか」

 

「もっと近道があったのではないか」

 

そう思うのは、ごく自然なことだ。けれど人生とは不思議なもので、歩いている最中には意味が分からなかった出来事ほど、あとになって大切な意味を持ち始める。人生は、未来を見通すことで理解できるものではない。振り返ることで、初めて一本の物語になるのである。

 

そんなことを考えるようになったのは、お寺で暮らすようになってからだった。本堂の廊下には、古い木枠にはめ込まれた一枚のすりガラスがある。最新の透明ガラスとは違い、向こう側の景色は少しだけぼんやりしている。最初は、「見えにくい窓だな」としか思わなかった。けれど季節を重ねるうちに、その窓を見る時間が好きになっていった。夏の夕方、西日がすりガラスを通ると、畳の上に柔らかな光が広がる。雨の日には、ガラスを伝う雨粒が光をにじませ、その向こうで庭木が静かに揺れる。葉の一枚一枚は見えない。それでも風が吹いていることは分かる。誰かがお寺を訪れたことも、人影だけで伝わってくる。なぜか不透明なすりガラスのほうが、心が落ち着き温かい気持ちになれる。

 

情報は少ない。それなのに、感じられることはむしろ増えている。そのとき僕は、一つのことに気づいた。人は、すべてが見えているときよりも、少し見えないときのほうが、想像力を働かせる。だから、すりガラスは景色を隠しているのではない。見えない部分を、僕たちの感受性に委ねているのである。そして、この「見えないものを感じ取る力」こそが、これからの時代に人間がもっとも大切にすべき力なのではないか、と僕は思うようになった。

 

お寺で暮らすようになってから、僕には一つだけ変わったことがある。以前より、答えを急がなくなった。会社経営では、判断は早いほうがいい。決断は遅れないほうがいい。情報は多いほうがいい。そう考えて仕事をしてきた。それは今でも間違っていないと思う。経営には、限られた時間の中で決断しなければならない場面が数え切れないほどある。だから未来を予測し、顧客と社員のために最善と思える選択を積み重ねてきた。

 

けれど人生は、経営とは少し違う。振り返ると、僕の人生を豊かにしてくれた出来事は、どれも予定どおりには起きていなかった。偶然声をかけられた仕事。たまたま飛行機で隣の席に座った人との出会い。失敗したからこそ学べた経験。あのときは回り道だと思っていた出来事が、十年後になって人生の土台になっている。歩いている途中には意味が分からない。だから焦る。

 

けれど人生は、歩いている最中に理解するものではない。振り返ったときに初めて、一つの物語になる。だから未来は、最初から全部見えていなくてもいい。むしろ、全部見えていたら、人は驚くことも、感動することもできない。映画の結末を知ってから観るのと、何も知らずに観るのとでは、心の動きはまったく違う。人生も、それとよく似ている。だから、僕は正解を探すことより、「目の前を丁寧に見ること」のほうが大切なのではないかと思うようになった。

 

ある日、お寺の境内で、一人の年配の女性が立ち止まっていた。手にはスマホを持ち、何度も地図を見返している。目的のお寺は、この近くにあるはずなのに見つからない様子だった。

 

「道に迷われましたか」

 

そう声をかけると、女性は少し安心したように微笑んだ。

 

「地図ではすぐ近くなんですが」と答えた。

 

「もう少しだけ坂を上りますよ」

 

僕はそう伝えながら、一緒に歩き始めた。しばらくすると、その女性が立ち止まり、息を整えながら笑った。

 

「思っていたより急な坂ですね」

 

その言葉を聞いて、僕も思わず笑ってしまった。やはり、地図は勾配までは教えてくれない。けれど、僕の記憶に残っているのは、その坂の傾斜ではない。並んで歩いた数分間の会話である。もし地図だけで目的地にたどり着いていたら、あの時間は生まれなかった。少し迷ったから、人と出会えた。少し困ったから、言葉を交わすことができた。少し遠回りしたから、その日の思い出になった。

 

効率だけを考えれば、迷わない人生のほうがいいのかもしれない。しかし、人の記憶に残るのは、いつも少しだけ非効率な時間である。家族とゆっくり食卓を囲んだ夜。友人と目的もなく歩いた帰り道。仕事帰りの飲み屋で交わした他愛もない雑談。どれも、生産性では説明できない。けれど、そうした時間が人生を支えている。

 

AIは、これからますます賢くなるだろう。知識を整理し、文章を書き、最適な答えを示してくれる。だからこそ、僕たち人間は別の力を育てなければならない。情報を集める力ではない。情報の奥にあるものを感じる力である。相手の表情が少し曇ったことに気づく力。「大丈夫です」という言葉を、そのまま受け取らない力。急いで結論を出さず、「もう少し話を聞かせてください」と言える力。そうした力は、AIには置き換えられない。なぜなら、それは情報ではなく「気配を受け取る力」だからだ。

 

だから僕は、これからの時代に必要なのは、答えを増やすことではなく、問いを深めることだと思っている。この人は、なぜこんな表情をしているのだろう。自分は、本当は何を大切にしたいのだろう。この出来事は、十年後の自分にどんな意味を持つのだろう。そんな問いを持ちながら生きる人は、きっと変化の時代にも流されにくい。

 

六月の終わり、鎌倉の霧は昼が近づくにつれて、少しずつ晴れていった。朝は足元しか見えなかった道の先に、山の稜線がゆっくりと姿を現す。それでも、一度にすべてが見えるわけではない。少し歩く。景色が開ける。また歩く。さらに遠くが見えてくる。人生もきっと、それくらいの速度でいい。未来を急いで見通そうとしなくてもいい。今日という一日を丁寧に歩けば、その先の景色は、歩いた分だけ少しずつ見えてくる。

 

だから、もし未来が不安になったら、新しい情報を探す前に、一度だけ顔を上げてみてほしい。スマホの画面を閉じ、目の前にいる人の表情を見てみる。今日吹いている風を感じてみる。そして、自分が歩いている道の勾配を感じてみる。人生を豊かにしてくれるものは、その道を歩いた人にしか分からない。

 

鎌倉のお寺の古いすりガラスは、今日も静かに光を通している。向こう側は、相変わらず少しだけぼんやりとしている。でも、それでいい。透明だから美しいのではない。少し見えないからこそ、人は想像し、人を思いやり、新しい一歩を踏み出すことができる。僕たちは、未来をすべて見通すために生きているのではない。見えないものに耳を澄ませ、目の前の人の気配を感じながら、一歩ずつ歩いていくために生きている。

 

明日も、僕はスマホで地図を開くだろう。目的地を知るために。けれど歩き始めたら、一度だけ画面を閉じようと思う。その先には、地図には載っていない坂道があり、風があり、人がいて、そして、すりガラスの向こうにしか見えない、美しい気配が待っているのだから。

 

 

≪終わり≫

 

❒ライタープロフィール

川瀬健二(かわせけんじ)『READING LIFE編集部ライターズ倶楽部』

1898年創業の印刷会社にて4代目社長を12年間務め、現在は取締役会長。2027年新会社設立に向け、鎌倉の寺院に住みながら仏教哲学を勉強する日々。古くから伝わる生活の智恵、エシカルな暮らし、モノや想いの記憶を次世代へ繋ぐ事業を通じて、誰もがやさしく豊かに生きていける地域社会の実現を目指して奮闘している。また「サステナビリティ × 仏教哲学 × CSV(共通価値の創造)」をテーマに、企業の存在意義を再編集する独自のアプローチに取り組んでいる。

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