針を逆立てるハリセンボンたちへ。——「よく吠える」という名の切ない生存戦略《週刊READING LIFE Vol.372「弱い犬ほどよく吠える 」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:川瀬健二(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
言い返したあとで、ひどく後悔した夜がある。
あそこまで言う必要はなかった。相手は、ただ意見を言っただけだったかもしれない。それなのに僕は、なぜあんなに腹を立てたのだろう。なぜ、自分の正しさを証明することに、あれほど必死になったのだろう。時間が経ち、怒りの熱が冷めてくる。すると、その下から別の感情が顔を出すことがある。悔しかった。恥ずかしかった。認めてもらいたかった。そして、たぶん怖かった。傷つけられるのが怖かった。自分の価値を否定されるのが怖かった。「たいした人間ではない」と見抜かれるのが、怖かった。
考えてみれば、人間とは不思議な生き物だ。怖ければ身を縮めそうなものなのに、僕たちはときどき逆のことをする。声を大きくする。自分を大きく見せる。相手を攻撃する。「自分は正しい」と、必要以上に言い張る。
散歩の途中、自分よりずっと大きな犬と出くわした小さな犬が、身体いっぱいに吠え立てることがある。傍から見ている人間は、「そんなに吠えなくても」と思う。けれど、小さな犬からすれば、目の前にいるのは自分より何倍も大きな生き物だ。吠えているのは、強いからではないのかもしれない。怖いから、吠えている。そう考えると、「弱い犬ほどよく吠える」という昔からの言葉も、少し違って聞こえてくる。それは弱い者を笑うための言葉ではなく、弱さを抱えた生き物が自分を守ろうとするときに見せる、切実な姿なのかもしれない。
そして海の中には、この不思議な心の動きを、そのまま身体で表しているような生き物がいる。ハリセンボンだ。実際の針の数は、300本から400本らしい。普段のハリセンボンは、どこか愛嬌のある姿をしている。ところが危険を感じると、水を取り込んで身体を大きく膨らませ、普段は寝ている全身の棘を一斉に逆立てる。そして、身体いっぱいで訴える。
「近づくな」
「食べるな」
「俺は危険だぞ」と。
けれど、ハリセンボンは海の中を支配したいわけではない。誰彼かまわず傷つけたいわけでもない。ただ、食べられたくない。傷つけられたくない。今日を生き延びたい。だから膨らむ。だから尖る。その姿を見ていると、僕はときどき、人間のことを考えてしまう。
スマホを開けば、自分の正しさを激しく主張する言葉が流れてくる。誰かの失敗を必要以上に叩く人がいる。自分とは異なる意見に噛みつき、相手を言い負かすまで攻撃をやめない人もいる。職場では、部下に必要以上に強い言葉をぶつける人がいる。立場の弱い店員に横柄な態度を取る人もいる。そんな姿を見ると、つい批判したくなる。
「器が小さい」
「余裕がない」
「なんて嫌な人なんだ」と。
もちろん、攻撃的な行動のすべてを「実は怖いから」で説明することはできない。支配欲や習慣など、背景は人によって違う。そして、どんな事情があったとしても、暴言や威圧によって他人を傷つけていいわけではない。ただ、一つだけ覚えておいてもいいことがある。人は自分を守ろうとするとき、攻撃的になる。
そしてこれは、「あの嫌な人」だけの話ではない。僕自身にも、覚えがある。何気ない一言に過剰に反応してしまった。自分の仕事を否定されたような気がして、必要以上に言い返した。自信がないときほど、知ったかぶりをした。自分より活躍している人を見て心がざわつき、ついその人の欠点を探した。
あとになって、なぜ、あんな言い方をしたのかと後悔する。表面に出ていたのは怒りだった。けれど、その怒りを一枚めくってみると、別の感情が隠れていることがある。悔しかった。恥ずかしかった。認めてほしかった。負けたと思われたくなかった。そして、そのもっと奥には、傷つけられるのが怖かったという、とても柔らかな感情が隠れている。
「傷つきました」と言うより、「ふざけるな」と言うほうが強く見える。「自信がありません」と認めるより、「俺のほうが分かっている」と言うほうが、自分を守れる気がする。僕たちは、自分の柔らかい部分をそのまま差し出すのが怖い。だから、その上に怒りという硬い殻をかぶせる。自分を少し大きく膨らませ、言葉の針を立てる。人間の攻撃性には、ときにそんな切ない構造が隠れている。
けれど、防御には代償がある。四六時中「自分を守らなければ」と緊張していては、心を休めることができない。いつ批判されるか。いつ負けるか。いつ自分の弱さを見抜かれるか。そんなことばかり気にしていると、世界は次第に「敵だらけの場所」に見えてくる。そして厄介なのは、こちらが針を立てれば、相手も針を立てることだ。こちらが攻撃的になれば、相手も身構える。相手が身構えれば、こちらはもっと鋭くなる。そうして自分を守っているつもりが、いつの間にか周囲から人が離れていく。守ろうとした結果、孤立してしまう。
ここに、防衛の切なさがある。自分を大きく見せれば見せるほど、本当の自分を見せられなくなる。強いふりをすればするほど、「助けてほしい」と言えなくなる。「これ以上は踏み込んでこないで」と針を鋭くすればするほど、本当は欲しかったはずの人の温もりが遠ざかっていく。それでも怖いから、また膨らむ。これは、なかなか苦しい生き方だ。
僕自身の経験で言えば、この無限ループに陥りがちなのが経営者、つまり社長だ。会社では最も強いヒーローでいなければいけない。常に自分が社員を引っ張っていかなければいけない。もし社長の自分が心の声を漏らしたら、社員を不安にさせてしまう。絶対に自分の弱さを見抜かれてはいけないと思い込み、最強の社長を演じ続けてしまう。
社長だって一人の人間だ。決して最強ではないし、不得意な分野もある。その不得意な分野は自分の弱点だから、社員にさらけ出してはいけないと思い込んでしまう。実際には、社長の得意な分野も不得意な分野も、社員はよく見て理解している。本人だけが「助けてほしい」とは言えずに、自分を大きく膨らませて言葉の針を立てる。経営者だからこそ、今日忍び寄っているリスクや明日への危機感を感じ取り、無意識に針を立ててしまうのかもしれない。
では、僕たちはどうすれば、この無限ループから抜け出せるのだろう。僕が大切だと思うのは、怒りが湧いた瞬間に、一つの問いを置くことだ。
「いま僕は、何を守ろうとしているのだろう?」
それは、プライドだろうか。評価だろうか。役職だろうか。仕事のできない人間だと思われたくないという恐怖だろうか。相手に向けていた視線を、ほんの一瞬だけ自分へ戻してみる。怒りの奥へ、一段だけ潜ってみる。すると、針の根元に隠れていた柔らかな部分が見えてくることがある。
「悔しかった」
「寂しかった」
「認めてもらいたかった」
「怖かった」
それに気づくだけで、針を立てる以外の選択肢が見えてくる。ここで、とても大切なことがある。針を下ろすことと、無防備になることは同じではない。相手の気持ちを理解することと、相手の攻撃を受け入れることは違う。「この人も、何かが怖いのかもしれない」と思ったうえで、「でも、あなたに僕を傷つける権利はない」と境界線を引いていい。嫌なことには「嫌だ」と言っていい。理不尽な要求には「できません」と断っていい。どうしても傷つけてくる人からは、離れていい。針を下ろすとは、自分の身を差し出すことではない。誰かを刺さなくても、自分を守れるようになることだ。
むしろ、そこには別の種類の強さが必要なのだと思う。自分を大きく見せなくても、自分の価値が消えるわけではない。失敗しても、自分という人間まで失敗作になるわけではない。だから、必要以上に吠えなくていい。誰かを小さくすることで、自分を大きく見せる必要もない。等身大のまま、そこに立っていればいい。この視点を持つと、他人が激しく吠えているときの見え方も、少し変わってくる。
「あの人、今日は一段とイラついているな」だけで終わらず、「何をそんなに守ろうとしているのだろうか」と、一瞬だけ想像してみる。もしかすると、その人もまた、不器用に生きている一匹のハリセンボンなのかもしれない。自信満々に見えるあの人も。声の大きなあの人も。自分の柔らかい場所を見つけられるのが怖くて、必死に身体を膨らませているのかもしれない。
そう考えることは、相手のためだけではない。自分自身が、相手の攻撃性に支配されないための知恵でもある。相手が針を立てているからといって、こちらまで針を立てる必要はないのだ。人生は、どうしたって傷つく。人に笑われることもある。仕事で失敗して自信を失う夜もある。大切な人に分かってもらえないこともある。だから、ときには針が立ってしまう。それ自体を責めなくてもいいのだと思う。
ハリセンボンに針があることが悪いわけではない。危険なときには、自分を守ってくれる大切なものだからだ。僕たちにも「NO」と言う力は必要だ。怒りが自分を守ってくれることもある。戦わなければならない場面だってある。問題なのは、いつも針を立てたまま生きることなのだ。危険が去っても膨らみ続ける。目の前の人が敵ではないのに、昔傷つけられた記憶から針を向け続ける。それでは、あまりにも疲れる。だから「また吠えてしまった」と気づいたとき、一度だけ自分に聞いてみればいい。
「僕はいま、何を怖がっている?」
その問いが、自分を責めるためではなく、自分を理解するための問いになったとき、身体に入っていた余計な力が、ほんの少し抜ける。「そんなに膨らまなくても、大丈夫かもしれない」と思える瞬間がやってくる。それで十分なのだと思う。
夕暮れの風が、お寺の本堂を静かに通り抜けていく。そっと目を閉じて肩から力を抜く。次々と浮かぶ情景や思いをゆっくりと口から吐き出し、新鮮な空気を深く鼻から吸い込む。ある日突然、世界からすべての危険がなくなるわけではない。明日になれば、また腹の立つことがあるかもしれない。誰かの一言に傷つくこともあるだろう。僕自身、また針を立ててしまうかもしれない。それでもいい。そのたびに気づくだけでいい。
「ああ、今の僕は何かを守ろうとしているんだな」
そして、本当に必要な針なのかを考えてみる。必要なら立てればいい。必要がなくなったら、そっと寝かせればいい。誰かを刺すために使っていた力を、目の前の一日を丁寧に生きるために使ってみる。自分を大きく見せるために使っていた力を、誰かの話を静かに聞くために使ってみる。そう考えると、僕たちが本当に欲しかった「強さ」の姿が、少しだけ違って見えてくる。強い人とは、決して傷つかない人ではない。針を持っていない人でもない。自分には針があると知ったうえで、それをいつ立て、いつ下ろすかを、自分で選べる人なのだ。
あの小さな犬も。海の中のハリセンボンも。SNSの向こうで激しく誰かを攻撃している人も。そして、余計な一言を口にして、夜になって一人で後悔している僕も。みんな、自分なりの方法で傷つかないようにしながら、今日を生きている。そう思えば、「弱い犬ほどよく吠える」という言葉も、以前とは少し違って聞こえてくるかもしれない。
針を逆立てながら、今日まで懸命に生きてきたすべてのハリセンボンたちへ。
怖かったから、尖っていた。傷つきたくなかったから、大きく見せていた。そう気づけたなら、次に針が立ちそうになったとき、自分に一つだけ聞いてみる。
「僕はいま、何を守ろうとしているのだろう」
その答えが見つかったとき、僕たちは初めて、針を立てる以外の方法で自分を守れるようになるのかもしれない。本当の強さとは、針を立てることでも、針を持たないことでもない。必要のないときに、自分の意思でそっと針を寝かせることなのだから。
≪終わり≫
❒ライタープロフィール
川瀬健二(かわせけんじ)『READING LIFE編集部ライターズ倶楽部』
1898年創業の印刷会社にて4代目社長を12年間務め、現在は取締役会長。2027年新会社設立に向け、鎌倉の寺院に住みながら仏教哲学を勉強する日々。古くから伝わる生活の智恵、エシカルな暮らし、モノや想いの記憶を次世代へ繋ぐ事業を通じて、誰もがやさしく豊かに生きていける地域社会の実現を目指して奮闘している。また「サステナビリティ × 仏教哲学 × CSV(共通価値の創造)」をテーマに、企業の存在意義を再編集する独自のアプローチに取り組んでいる。
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