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朝日がのぼる船で

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:麦本はるか(2026年8月開講 ライティング・ゼミ福岡)

 

※この記事はフィクションです。

 

「まもなく出港のドラが鳴ります。ぜひとも1階大ホールまでお集まりください」

私は夜の大阪湾を見ながらそのアナウンスを聞いていた。

船体に大きく太陽のマークが描かれた大型フェリーさんふらわあ。夕方に大阪港を出発し、明け方に大分県別府港に到着する夜行フェリーだ。

まもなく遠くからぐおーんというドラの音が聞こえゆっくりと船は動き出した。

「私なんかが本当に社会人をやっていけるのかな」

私は徐々に遠くなっていく大阪港を見つめながら独りつぶやいた。

3日前に大学の卒業式を終えた私はこの船に乗って、入社する会社の勤務地である大分県を目指している。季節は春。夜の空は暗く、海からの鋭い風が容赦なく私のほほを叩く。

私の抱える不安はまるで目の前に広がる真っ暗な海のようだった。落ちたら最後、深い深い暗闇の世界に引きずり込まれ二度と光のあたる場所に帰ってこられなくなりそうな夜の海。

「職場環境が悪くていじめられたらどうしよう」

「自分の力が全然通用せず否定されたら怖いな」

「心を病んで会社をやめたらどう生きていけばいいんだろう」

海風で冷えた身体をぶるっとふるわせながら私はため息をついた。

 

 

さんふらわあの船内にはレストランや大浴場など宿泊に必要な設備が整っている。また色んな部屋があり、まるで高級旅館のような和室の部屋もある。

しかし私は今回最もランクの低い部屋を選んだ。40人くらいが雑魚寝で寝られる大部屋。普段寝ている布団を縦に細長くしたような布団だけがスペースに一人分用意されており、寝相の悪い人なら布団からはみ出してしまいそうだ。

この部屋を選んだのは、単純にお金が無い事。それから旅を楽しめるほど私の心に余裕が無かったからだ。

「まぁ、新社会人なんて社会の底辺なんだからこのくらいがお似合いか」

自嘲しながら大浴場に向かう途中、旅行中らしい親子連れとすれ違った。

小学生くらいの子どもと40代位の夫婦。

お父さんらしき男性は少々いかつい顔をしているが、子どもを見るまなざしはとても暖かい。家族を連れて旅行に行けるくらいしっかりと自分の手でお金を稼ぎ、自分の足でちゃんと立った立派な社会人として私の目に映った。

「それに比べて私なんて」

まだ社会人1年目の人間。いやまだ働き始めてもいない。何もなしていない。

私があの人の年齢になったとき、本当に家族を支えられるくらい働けているのだろうか。

廊下を振り返り、家族を背負う彼の背中を見ながら私は漠然とした未来への不安を感じずにはいられなかった。

 

 

夜中にふと目が覚めた。スマホを見ると午前4時。

なんだか喉が乾いた私は、眠い目をこすりながら財布を持つと他の乗客を起こさないように、そっと大部屋を出て自販機コーナーに向かった。

寝静まった船内には静かな空気が流れていて、広いロビーには私の他にほとんど乗客はいない。

お金を入れて自販機のボタンを押す。数十秒まつとウィーンという音がして紙コップに入った暖かいお茶が出てきた。

「あちっ」

お茶は思っていた以上に熱く、まだ寝起きで頭が働いていない私の手からするりと紙コップが逃げていった。

「あっ!」

私が認識するよりも先に紙コップは床に落ち、派手にお茶をまき散らした。

「やっちまった」

すると遠くの椅子に座っていた男性が私の元に駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか?」

彼はすぐに首に巻いていたタオルをとると、さっとこぼれたお茶をふき取った。

「すみません。すみません!」

私も平謝りしながらポケットからティッシュを取り出し拭くのを手伝う。

よく見ると先ほど大浴場に向かう途中で見たお父さんだ。

彼が持っているタオルをちらりと見たとき、私は驚いた。そこには「日本赤十字社」と私がこれから入社する会社の名前が入っていたのだ。

「そのタオルどうされたんですか?」

私は思わず手を止めて聞いた。

「え? このタオルですか?」

彼はお茶でびしょびしょになってしまったタオルを広げた。

「これはたしか嫁が献血に行ったときに記念品としてもらったタオルです」

お茶を全てふき取り終わると彼はゆっくりと椅子に座ってそう語りだした。私も何となく真向いの椅子に座って彼と向き合う。

「実は自分は3年前にがんになりまして。でも何とか生き延びることができたんです」

彼が話してくれたのは壮絶な闘病の記憶だった。

「入院中自分の血液の数値が下がったとき、本当にたくさんの輸血をして生き延びることができました。退院した後、その輸血は献血バスなどで色んな方が無償で血液を提供してくれているんだと聞きました」

日本で献血の事業を行っているのは日本赤十字社だ。献血バスの配車から輸血用血液製剤の製造、病院への提供まで行っている。

「自分はもう献血の要件を満たせていないので行けませんが、妻は感謝の気持ちを込めて定期的に通っているんです」

窓の外では朝日が昇り、海を明るく照らし始めていた。

「がんの間、息子とは全然遊んであげられなかったんです。でも今はちゃんと家族との時間をとりたいと思いまして大分まで旅行中なんです」

彼は朝日に照らされつつあるキラキラした海を窓から見つめながらにっこりと笑った。

でも、この笑顔にたどり着くまでには壮絶な闘病の日々があったのだ。

「ああそうか。日本赤十字社で働く人やこの人に関わってきた色んな人の思いがこの笑顔につながっているのか」

私のほほには暖かいものが流れていた。

これまで私は働くことに対して自分が傷つくかどうかばかり考えていた。働くことに関する不安はすべて自分自身のことだった。

でも働くとはそういうことじゃない。働くこととは誰かの笑顔を作り出すことだ。

会社の働く環境なんて関係ない。自分が上手く会社で働けるかなんてどうでもいい。自分自身のことよりも何よりも輸血を待つ人たちの笑顔のために働くんだ。

私の心はまるで朝の光をめいっぱい反射した海面のようにキラキラと輝き始めていた。

「私は誰かの笑顔のためにこれから社会人として働きます」

私は涙を流しながらそう宣言した。

急にそんなことを言われた彼は最初はきょとんとした表情を浮かべていたが、すぐに笑顔を私に向けてくれた。

「そうですか。頑張ってくださいね」

微笑む彼の笑顔を見ながら私は、立てた誓いを胸にしっかりと抱きしめた。

 

 

朝になり船内の人々が動き出す。

ここにいる人一人一人に人生があり、仕事がある。

どの仕事であっても誰かの笑顔につながらない仕事はない。

大分県に到着した船は陸に向かってタラップを降ろしていく。ロビーには大勢の人が荷物をもって出口が開くのを待っている。その中には昨日のお父さんが子どもを肩車し奥さんと笑顔で楽しそうに喋っている姿も見えた。

「私の仕事はこの笑顔につながっているんだ」

タラップが降りきり、人々が光が差し込む出口へ一斉に歩き出す。

「さあ私も行こうか」

お父さんの背中を追って私も新社会人への一歩を踏み出した。

 

 

 

 

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