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『「頑張って」は、宛名のない手紙』


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:AKIYO (26 年 9 月ライティングゼミ with AI)

 

「肉食べてく? ビール飲む?」

 汗だくで歩いている私に対して、投げかけられた一言だった。

 

その日は、10月だというのに記録的猛暑の日だった。昼下がりに、私は茅ヶ崎の海岸沿いの歩道を歩いていた。足元はスポーツタイツとウォーキングシューズ、頭には日よけ付きの帽子。背中のランナー向け軽量リュックはぴったりと体に沿うのでグラグラ揺れないのは都合がいいが、その分じっとりと汗ばんで、すでに気持ちが悪い。サングラスを持ってくるのだったと思うが、10月に思いつかなかったのは当たり前のことだ。ぼやきながら仲間と歩を進めていたそのとき、海岸でバーベキューをしている集団の中から、肩からタオルをかけた男性が声をかけられた一言が、冒頭の言葉だった。

「肉食べてく? ビール飲む?」

 は?ビール?

 多少の苛立ちで目を上げたその先に、赤ら顔の見知らぬ男性。

「これから80キロあるんで……」

「すごいね、100キロ歩こうなんて、なかなかできないよ! 応援するよ!」

 屈託のない笑顔を間近に見たときに、ふと苛立ちも薄れて眉間の皺が緩むのを感じた。

「飲みたいですよ〜! それよりお兄さんも一緒に歩く?」

 一言を大声で返し、手を振ってすれ違う。

 私たちが歩いているのは、100キロを24時間で歩くウォーキング大会。小田原から豊洲までの行程だが、茅ヶ崎はまだ20キロ地点の序の口だ。自分で選んで参加しているのに、いつの間にか「楽しむ」よりも「完歩できるだろうか」という不安に心を占められていた。そのことに、ふと気づいた一瞬だった。

 

 翌年。今度は私が、トングを持って波打ち際に立っていた。

「次はあの応援の側に、自分たちが立ってみない?」

 完歩した仲間とそう言い合ってから1年。冗談から始まった企画だったが、本当に出張バーベキューのセットを手配して、私たちは同じ海岸にいた。肉を焼きながら、波音を背景に見知らぬウォーカーを待つ。昼前から、ぽつりぽつりとゼッケンをつけた人が見えはじめた。

「頑張ってくださ〜い!」

 ところが、思ったほど反応がない。小さく手を振ってくれる人もいるが、多くは疲れなのか、気恥ずかしさなのか、聞こえないふうに前を向いたまま通り過ぎていく。何度声を張っても、言葉が砂浜に吸い込まれていくようだった。

 去年の私は、あの一言で気持ちが救われたのに。何が違うのだろう。

ふと思い出した。去年の私も、沿道からの「頑張って」には、ほとんど手を振り返していなかった。疲れているときの「頑張って」は、ありがたいけれど、どこか遠い。「もう頑張ってるよ」と心の中でつぶやきながら、足元だけを見て通り過ぎていた。応援する側に立って初めて、あのとき素通りした声の主たちの気持ちがわかった。

 

 試しに、真剣な表情で歩いてくるサングラスの男性に、こう声をかけてみた。

「姿勢がすごく綺麗ですよ!」

 すると男性はニヤッと笑ってこちらに目を向け、ひらっと手を振ってくれた。

 これだ、と思った。

「スニーカーの色、素敵!」

「そのコーディネート、センスある!」

「笑顔がいいですね!」

 私たちは一人ひとりをよく見て、その人だけのポイントを探しては声をかけた。不思議なことに、そうやって声をかけると、ほとんどの人が顔を上げてくれる。うつむいていた人の口元がゆるむたびに、こちらの胸までじんわりと温かくなった。

 

 「頑張って」は、宛名のない手紙のようなものだ。なぜなら、誰にでも出せる言葉だからこそ、誰の心にも届かないのだ。

 歩いている人は、言われなくても頑張っている。足の裏の痛みも、残りの距離も、本人が一番よく知っている。そこに「頑張って」と投げても、それは「みんな」に宛てた言葉で、「私」に宛てた言葉にはならない。一方、「姿勢が綺麗」は、その人を見ていなければ言えない。宛名がはっきり書かれた手紙は、疲れていてもちゃんと封を開けてもらえるのだ。

思えば、普段の暮らしでも同じかもしれない。職場で、家で、私たちは「頑張って」「お疲れさま」を一日に何度も口にする。悪い言葉ではない。でも、そこに宛名は書かれていただろうか。相手のどこを見て、その言葉を選んでいただろうか。

 

 片付けをしながら、私はあの日の男性のことを思い出した。

「肉食べてく? ビール飲む?」

 そういえば彼は、はじめから私に目を合わせて話しかけてきた。汗だくで、修行僧のような顔をして歩く私を見て、たぶん思うところがあったのだろう。あれは、あの日の私たちに宛てた、ちゃんと宛名のある手紙だったのだ。

 

 次の大会では、私はまた歩く側に戻る。20キロ地点の茅ヶ崎で、きっとまた心は不安に占められているだろう。もし沿道から「頑張って」と聞こえてきたら、心の中でこっそり宛名を書き足して受け取ろう。そして、もし誰かがビールを差し出してくれたら、今度こそ一口……いや、それはゴールまで取っておこう。

 

≪終わり≫

 

 

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