不合格なんてこわくない、こわい、こわく……?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:藤尾ひびき(26 年 9 月ライティングゼミ withAI)
「わたしは……どこまで落ちるんだろう」
冷たく揺れる大きな箱。
ため息とともに言葉がこぼれた。
洗濯機は、無機質な音を立てて回っている。
シャツはそのうちきれいになるのに、わたしの気持ちは一向に落ち着かなかった。
「はぁ……」
当時、昼間から話せるのは母だけだった。
誰かに話を聞いてほしかった。
ほんの少し、スマホを持つ手が止まった。それでも、そっと画面に触れた。
「働かざる者食うべからずって言うでしょ」
母はいつもそう言って電話を終える。
思うように働けずにいたわたしには、その一言が重かった。
結婚を機に引っ越し、パートを始めた。けれど、それも束の間。妊娠を機に退職した。
実家は遠く、夫も仕事で忙しい。働ける時間は限られていた。
一方、母は子育てをしながら長年勤め上げた人だった。
わたしだって求人登録や応募はしていたが、短時間勤務では採用の見通しが立たなかった。
そんななか、ママ友とのランチは楽しみだった。
慣れない土地でようやくできた、気兼ねなく話せる唯一のママ友だった。
「最近、歩くのが楽しいみたいで、目が離せなくて」
「ずっと一緒にいると疲れるけど、昼寝ができるのだけは最高だよねぇ」
他愛もない会話を交わす、いつものランチだった。
デザートを口にすると、彼女は嬉しそうに言った。
「この前ね、資格取ったの! 就活も順調だし、あとは保育園の空き待ち!」
「……そうなの? おめでとう!」
「そろそろ働いた方がいいかなって」
「そ、そろそろ……」
「人気の園は未満児から入らないと、空きがないこともあるんだって」
(ぜんぜん知らなかった)
彼女の息子は夜泣きがひどいと言っていた。
(いつ……勉強してたんだろう)
聞きたかったけれど、言葉は喉の奥で止まった。
「すごいね……!」
後日、わたしもこっそり医療事務の資格試験に挑戦した。
結果は――不合格。
落ち込んでる暇はなかった。
離乳食、お風呂、寝かしつけ、洗濯、掃除、夫の送迎……
いつのまにか足元に来ていた娘が、お気に入りのぬいぐるみを差し出した。
「まーちゃ、あいっ」
一緒に遊ぼうのお誘いだ。
「ああ、もう、ダメだ……」
わたしには、両立なんて無理だった。
それ以来、もう何もクリアできない気がしていた。
それから数年。上の子が小学校に上がる頃、近所の介護施設で働き始めた。
無資格でできる仕事は限られていたが、職場の支援を受け、研修を修了した。
すると訪問介護も担当できるようになり、学んだことが仕事につながる喜びを知った。
四年後、事業所の移転で通えなくなり、退職した。
通勤路が、ただの散歩道になった。
金木犀の香りだけが、変わらず漂っていた。
「あんたまた仕事辞めたの?」
電話越しの母は相変わらず元気だった。
――どうせなら、自分の興味のある分野でキャリアを積みたい。
そう思い、金融関係の求人に目を向け、派遣会社に登録した。
「未経験? 資格もない?」
担当者はフッと鼻で笑い、以前にも経験した工場の仕事を紹介した。
(あの時みたいに、資格でもあれば……)
将来の選択肢を広げようと、SNSで見かけたFP3級に興味を持った。
ネット受験なら、日程も選べる。
(これにしよう!)
いざ勉強を始めると、覚えることが多かった。
「わたしに、できるかなぁ」
十年前とは、生活も変わっていた。
子どもが成長しても、まとまった勉強時間は取れなかった。
医療事務の試験に落ちた記憶が蘇る。
(また、ダメかもしれない……)
そんなとき、夫が歯を磨きながら動画を見ていた。
夫は仕事柄、毎年試験を受けている。
(器用な人だなぁ)
「……ああ、そうか。よし、わたしもやってみよう!」
タッ、タッ、タッ。
家事の合間に問題集アプリで一問解く。
作業中も、解説動画を流しっぱなしにした。
三日坊主にならないか、不安だった。
けれど、洗濯物を畳む時間も、自然と学びの時間に変わっていった。
そして、半年後――無事、合格した。
「ぃよっしゃああぁぁぁああ!!!」
久しぶりに手にした「合格」の二文字。
これで一歩前に進める気がした。
もちろん、合格したからといって、希望する仕事に就けたわけではなかった。
それでも、合格した勢いに乗って、介護福祉士の試験にも挑戦することにした。
過去問を解くたびに、かつての仕事の風景が蘇ってくる。
車椅子への移乗、食事の介助、利用者さんへの声かけ。
忘れていた知識が、思いのほか自分の中に残っていた。
結果は――合格。
落ちていくばかりだと思っていた。
けれど、いつの間にか、少しずつ積み上げていたのだ。
夜、食器を洗いながら、ふと母の言葉を思い出す。
あの頃は、働いていなければ価値がない――そんなふうに聞こえていた。
今でも家事の合間に動画を流し、新たな目標に向かって問題集を開く。
解けなかった問題に、もう一度向き合う。
「何も……しないよりはいい」
脱衣所から、カタカタカタと洗濯機の回る音が聞こえてくる。
「よく回る洗濯機だねえ」
あれから何年経つだろう。
三度の引っ越しを乗り越えた洗濯機は、まだまだ健在だ。
勢いよく回る音に、わたしも負けていられない気がしてくる。
ぴこーん。
静まり返った部屋に、スマホの正答音が響いた。
⦅終わり⦆
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