書店人に告ぐ2.0
天狼院書店店主の三浦でございます。
思えば、大きな反響を呼んだ「書店人を告ぐ」を書いたのは、もう二年以上前のことでした。
そのとき、僕はまだ天狼院をオープンしていなくて、「自分の書店が欲しい」とただ我武者羅にその夢に向かって突き進んでいたのでございました。
実際に、書店を開いてみて、理想と現実の差を思い知ったことももちろんあります。
けれども、それ以上に、書店というビジネスに、あの時以上に大きな夢を乗せることができるようになりました。
それは、ひとえに、いつも天狼院に来て頂くお客様、応援いただいている皆様のおかげでございます。
あらためて、御礼申し上げます。
ちょうど1年ほど前、僕は天狼院書店をオープンさせるために、池袋の金融街を駆け巡っておりました。
元々、僕には十分な資金がありませんでしたら、銀行から開店資金を融資してもらう必要があったからです。
僕の「半沢直樹」を求めて、様々な金融機関を訪れているうちに、天狼院書店の「事業計画書」は、プロの目に研磨されていきました。
ある説によると、書店業は、もっとも融資が受けにくい業種の中のひとつだというのですが、それはあながち否定出来ないのではないでしょうか。
何せ、粗利率が低い。
そして、どう見ても、市場が拡大している業界ではない。
ただ単に情熱に任せて、「僕を信じてください」とドラマじみてやったところで、銀行員の方は鼻白むだけでしょうし、しっかりと合理的に説得しなければ融資は受けられません。
それを突破するために、僕は天狼院の事業計画を練りに練ったのですが、もうこの時点ではすでに「事業計画書」の中のビジネスモデルは、新たな業態と言っても差し支えないレベルまで達しておりました。
最終的に、融資の担当者の方にこう言って頂きました。
「もしできるのであれば、私がこの事業計画書を持って、起業したいと思いました。それは冗談ですが、それくらい、この新しいビジネスモデルは行けると思います」
銀行ももちろん、本気です。
ほとんど、本一冊ほどになった資料をつぶさに精査してくれました。精査した結果、そして僕の人物を見て、融資を決定してくれたのですが、資料を精査してもらったあとに、こう言われたことがとても強く印象に残りました。
「それにしても、なぜ、書店は返品率を下げようとしているのですか? 業界についてもいろいろ調べてみたのですが、全体で返品率を下げる方向に向かっていると聞きました。粗利率が高くないこのビジネスにおいて、返品できることが唯一の武器ではないですか」
僕は溜飲が下がる思いをしました。
まさに、僕がそれまで思っていたことと銀行員の方が思ったことが全く一緒だったからです。
「やはり、そう思いますか?」
ええ、と銀行員の方は頷きます。
返品率を下げて、売上が上がるということはまずありえない。
なぜなら、売り場はダイナミズムを失うからです。
返品率を低くするように目標を設定すると、どうなるでしょうか。
書店の現場担当者の立場で考えてみましょう。
上司から返品率を低くするように指示を受ける
↓
売れているかどうかに関わらず、商品が売れるまでその商品を展開しようとするようになる
↓
商品の回転率が下がる
↓
店全体の売上が落ちる
それでは、なぜ、「商品の回転率が下がる」と「売上が落ちる」のでしょうか?
それに関してはお客様の視点で考えてみるとわかりやすい。
運悪くその売場に展開されたのは欲しくない商品だった
↓
また行っても欲しくない商品が展開され続けている
↓
買わないで店を出る
↓
自分には合わない書店だと認識して以降店に来なくなる
これを蓄積していくと、「塩漬け」商品が徐々に売り場を占めるようになって参ります。
お客様にとって魅力に欠ける商品が陳列されつづけ、その占有面積が徐々に増えてくると、鮮度が悪い、ダイナミズムを失った売り場が出来上がります。
それはお客様にしてみれば、当然、つまらない売り場になる可能性が高くなるので、書店に足を運ばなくなります。
進化論的な自然淘汰の原理から考えても、返品率を下げる方に向かうのが間違いなのは明らかなことでしょう。
弱者がチャンスを得続けて、強者が現れる芽を潰すとすれば、生物界はダイナミズムを失い、滅亡へと至ることは当然です。
つまり、返品率にターゲットを据えることは、どう考えてもデフレ・スパイラル的な縮小へと向かうことになるだろうと思うのです。
これに、前に述べさせて頂いた「必然的縮小」、つまりは地デジ化によって番組表がテレビで見られるようになりテレビ雑誌が部数を落としたり、スマホの登場で時刻表を買う人が減ったりするような、ライフスタイルの変化による、必然的な縮小を掛け合わせるとどうなるでしょうか。
「必然的縮小」×「返品率負のスパイラル」=「縮小の加速」
そうなることは、火を見るより明らかなことです。
これは書店だけでなく、出版社にとっても由々しき事態であるに違いありません。
なぜなら、本当は他の有望な商品を試したいのに、返品率をナーバスに気にするあまりに新しい商品を投入できずに、機会をロスすることになるからです。
それではなぜ、この業界は返品率を下げることに必至になっているのでしょうか?
無駄な印刷を防いで環境保護を考えているから?
出版点数を減らすため?
書店に目利きを育てるため?
そのいずれでもありません。
たとえ、そのいずれかが理由として挙げられたとしても、それがメインの理由ではない。
ぶっちゃけて言ってしまえば、取次の商品輸送に関わる諸々の経費を抑えるためです。
返品が40箱あったものが25箱に減れば、当然、その分だけ輸送コストが下がります。運賃だけでなく、箱を開けて仕分けする人件費、雑誌なら断裁、書籍なら出版社への返品の手続きなど、システム化されているとは言え、膨大な作業が削減されることになります。
取次にとって、返品によって得することは何一つありませんから、当然、それを減らす方向に行く。
返品率が上手く下がれば、取次の利益率は上がります。これを上手くコントロールすると、減収増益というわけのわからない財務的通信簿が出されることになる。つまり、売上が下がったのに、儲かりが多くなるというかたちに持って行くことができる。
まさに、デフレ・スパイラル的構造の出来上がりです。
その構造上、儲かるのは、取次だけです。書店は売上が下がっても、儲かりが多くなるなんてことはありません。
それではなぜ、書店は取次の利益向上に加担しているのでしょうか。
普通に考えれば、何かインセンティブを与えられているから、ということになるでしょう。
そのとおりなのです。
返品率が下がると、インセンティブとして報奨金のようなものが付与されます。
もっと言ってしまえば、「取次によって指定された商品」をたくさん売れば、ご褒美がもらえる制度がある。
逆に、返品が多くなると、ペナルティーとして報奨金から相殺される仕組みまである。
つまり、多くの書店はこんな構造の中にいるのです。
取次によって、返品率の目標値を与えられる
↓
そして、ご褒美つきの商品が提示される
↓
その商品をたくさん売るとたくさん「お小遣い」がもらえる
↓
その商品が売れないとお小遣いから差し引かれる
↓
だから、その商品をたくさん売るようにつとめる
大きな問題にお気づきでしょうか。
この過程の中に、お客様が不在なのです。
取次は輸送に関わるコストを下げることが至上命題となっていて、書店は「お小遣い」をもらうことが目的となっている。
その「お小遣い」の原資がどこから出てくるかといえば、多くの場合、実は取次ではなくて、出版社なのです。
このシステム上、お客様の利益がまるで考えられていない。
おさらいしてみましょう。
取次は返品に関わるコストを下げるために、返品率を下げようとする
↓
返品率を下げるために、書店にお小遣いをちらつかせる
↓
書店はお小遣い欲しさに、お小遣いの多い商品を多く売り場に陳列する
↓
返品率が上がるとお小遣いを減らされるから、返品を控えるようになる
↓
返品を控えると必然的に注文が減る
↓
出版社が商品を流せなくなる
↓
売り場がダイナミズムを失う、つまり、つまらなくなる
↓
お客様が来なくなる
↓
さらに全体の売上がおちる
これほどきれいでわかりやすい、「負のスパイラル」構造はあまりみかけないかも知れませんね。
体制や仕組みが崩壊しようとするとき、人は退廃へと向います。
西太后などが登場した、清朝末期がまさにそうで、イギリスの利益のために、中国はアヘンづけにされて骨抜きにされ、挙句は戦争をしかけられ、香港を奪われるというひどい仕打ちを受けました。
そう、この取次から書店へ付与される「お小遣い」はまさに「阿片」だと僕は思うのです。
これに手を出しては、書店は骨抜きにされる。そして、足腰が立たなくなって、もはや、もう二度と「杖」なしでは立てなくなる。
「お小遣い」を与えられることによって、これからの書店の運営にとって何よりも大切になる、ビジネスマンとしての「商魂」が失われてしまうからです。
たとえば、僕が新入社員として、人を雇うとして、書店経験者とスーパーの鮮魚売り場の人がいたとすれば、同じスペックだとすれば、迷うことなく鮮魚売り場の人を雇うでしょう。
なぜなら、「お小遣い」と「返品」という仕組みによって「商魂」が養われる機会を失っている書店経験者よりも、毎日腐る前に売り切る努力をして必然的に「商魂」を養われている鮮魚売り場の人の方が、ビジネスをやる上で明らかに有用であるからです。
商品知識に関しては今の時代、何とでもなりますが、「商魂」は速成できるものではありません。日々の鍛錬と高い意識がなければならない。
そして、ひとつ、誤解なきように断っておくとするならば、僕はこの記事によって、取次や出版社を批判する意図はほんの少しもないということです。もし、僕が取次にいる立場ならば、かたちは違ったとしても、結果として同じ方向に行くだろうと思うからです。
なぜなら、企業にとって、利益を増やすことは至上命題であるからです。
企業を存続させ、社員の生活を守ろうとすることは、企業の本能的に絶対的な正義であるからです。
特に、「必然的縮小」に向かっている業界ならば、なおさらのことです。減りゆく売上から、何とかして純度の高い利益を抽出しようとするのは当然のことです。
僕は、これを書店員に向けて書いている。
ここからが本題です。
全国の「書店員」に告ぐ。
いや、聞く耳を持ち、業界の未来に今なお希望をいだく、全国の「書店人」に告ぐ。
取次の論理に乗って、返品率を下げることを目標としていたいだろうか。
付与される小遣いを、何とか引き出そうと躍起になっていないだろうか。
その代わりに、書店にとってもっとも重要なものを失っていないだろうか。
たしかに、売上が下がる中、粗利率が少ない業界にとって真水のごとき「小遣い」は、苦境を凌ぐためには今日の救いのように見える。
けれども、おそらく、きっと、いや、絶対に、だ。
絶対に、その「小遣い」は書店の足腰を弱らせることになる。
もはや、未来にその足で立てなくなるだろう。
人から与えられる「小遣い」に頼ることなく、自分の頭で考え、自分でリスクをとり、自分で道を切り開くことでしか、おそらく、未来は開けない。
方法はひとつしかないと僕は思う。
それは、取次や出版社の方向ではなく、徹頭徹尾、お客様の方向をみるということだ。
そして、ひとつ、重要なのは僕は評論家でも、ジャーナリストでもなく、小さないながらも業界の前線に立つ、書店経営者だということだ。
まずは「隗より始めよ」。
そう、僕から始めてみようと思います。
お客様の利益を考えた時に、返品率を下げるのではなく、むしろ上げる方に向かったほうがいいという結論に達しました。
すなわち、入れ替えの速度を上げて、お客様にとっていつ来ても新しい書店というイメージを持ってもらうことが、お客様にとっても面白いだろうと考えました。
僕がこれから目指そうとしているのは、こんな書店です。
「今日、この時にしか出会えない書店」
つまり、アンチ・ユビキタス書店。「いつでも、どこでも、誰にでも」ではなく、「今だけ、ここだけ、あなただけ」の書店を目指す。
いつ来ても、何らかの新しい発見ができる書店を目指す。
そのためには、商品を常にダイナミックに変える必要があります。
たとえば、10日前来た時とメインステージ「黒船来航」に載っている本が、ほとんど変わっているくらいの変化をつけたいと思っております。
僕はそのことによって、お客様満足が高まるだろうと思っております。
常に移り変わるというある種の緊張感を持っていただけるので、他では味わえないLIVE感と緊張感を抱いてもらえると思います。
お客様にとって、面白い書店なら、必然的に売上が上昇する。
僕はこの方法を試してみようと考えております。
そのために、今、天狼院独自の発注システムの構築を急いでおります。と、行っても、数百万円の設備投資をするわけではございません。
僕は本と自分の頭によって、未来を切り拓いてきたので、今回もそれで行こうと思います。
まもなく、仕組みが完成します。
「今日、この時にしか出会えない天狼院」がまもなく完成します。
お客様におかれましては、ぜひ、ご注目ください。
絶え間なく、棚が変化していくだろうと思います。
BASICのように動かない棚と、黒船のように劇的に動く棚ができるだろうと思います。
その変化によって、天狼院にダイナミズムを注入しようと考えております。
このダイナミズムが根づくと、天狼院はアンチユビキタス的に他のどこでも出会うことのできない「面白い」場所になるだろうと、僕自身、楽しみにしております。
これからの天狼院にご注目ください。ご期待ください。
そして、改めて全国の書店人の方々に言いたいと思います。
「それは、おまえのところみたいな小さな書店だからできるのだろう」
「自分は経営者じゃなくて一書店人だから関係ない」
と思った方、どうぞ、この先を読むことなく、このページを閉じてください。そう思った方に何を言っても意味がない。
お互いに時間の無駄です。
そうではなく、「それなら自分には何ができるだろうか」と思った方に申し上げます。
まずは、「小遣い」に頼るのはよしましょう。
そして、自分でリスクをとって、自分の頭で考えましょう。
それしか方法がないと思っております。
そして、実際には僕はそれしかやっていません。