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「死」に鈍感だった葬儀屋が人生の終わりを意識した瞬間


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記事:北村 有(ライティング・ゼミ朝コース)
 
5年間、葬儀屋につとめていた。
そのあいだ、リアルな「死」というものを体感した経験は一度しかない。
 
入社後、半年ほど経ってから葬儀式の打ち合わせ・担当を1人で任されるようになった。どこの業界も変わらないだろうが、万年の人手不足だ。新入社員だろうとなんだろうと、使える手は使い切らないと仕事がまわらない。
当時の私は23歳。
20歳男性の葬儀を担当した。自殺だった。
 
遺族、とくに両親の悲しみは深すぎるほどに深かった。
それもそうだろう。私は当時もいまも変わらず独身だが、生まれてきた子供に先に死なれる喪失感を想像してみることはできる。
同年代の自殺というパワーワードに圧倒され、細かい事情までは忘れてしまったが、会社に新卒入社した矢先だということだけは、なぜか未だに覚えている。
 
もともと、私は「死」というものに鈍感だ。
肉親を亡くしたことは今までに一度だけ。大好きだった祖父の葬儀を数年前に経験したが、実感がわかずに今に至る。こうしている間にも、田舎の畑でワンカップでも呑んでるんじゃないかと思ってしまう。
身内の死に対してもこうなのだから、他人の死に敏感になれという方がむずかしい。
 
20歳である彼の死に対しても、言葉は悪いが、ただの事象として受け取っていた。
誤解を承知で言うが、我々にとってはどこまでも仕事なのだ。
仕事として真摯に向き合う。それ以上にも以下にもならない。
 
大体の打ち合わせを終え、通夜式当日。
親族以外にもたくさんの弔問客が訪れた。
まだ若い彼の突然の死だ。自殺であることを公にはしていないものの、わかる人にはわかるだろう。厳かな空気のなかに、うわさ話特有のひそひそ声が混じっているように思えてならなかった。
 
たくさんの人であふれた通夜式とは打って変わり、翌日の告別式は遺族のみで執り行われた。
喪主をつとめる父親、横に寄り添う母親の意気消沈とした様子に、ただただ、時間の流れがはやく彼らを癒してくれることを祈っていた。
ほどなくして、出棺の時。
淡い照明のもとでぼうっと浮かび上がる白い顔、若い肌、まだ生きているように、いまにも開きそうな目元。
彼は自殺だったという。
大学を卒業し、新しい会社に入って働き始めたばかりだったという。
何が彼を苦しめてその行動に導いたのかはわからない。
静かに横たわり、棺のなかへ花が手向けられるのを粛々と待っているようなその表情。
「やっと楽になれた」という安堵でいっぱいになっているように見えて、私は瞬間、たまらなくなって式場を出た。
 
担当者としてあるまじき行為だった。
頭ではわかっていても制御できなかった。
彼は自分で選んだのかもしれない。
自分で死を選んだのかもしれない。
その瞬間になにを思っていたのか私はしらない。
彼のまわりを取りかこみ、彼の死を悼むひとたちの真ん中で、彼ひとりだけが安心している。
「死ねてよかった」と思っているのではないか。
 
なんとも名前がつけられない感情が胸に去来して溺れるように泣いた。
彼の死を悼むべきであるのに、彼自身はそれを望んでいないかもしれない。
その可能性があることをあの人たちはしらない。
 
「どうして何も言ってくれなかったの!」
 
閉じた扉の向こうで叫ぶ声がした。誰の声かはわからなかった。おんなのひと。母親か、お姉さんか、親戚のおばさんか。
 
「相談してくれたらよかったのに! ひとりで、勝手に、こんな!」
 
そのあとのことが思いだせない。
担当者として責任を持って現場に戻れたのかも、定かじゃない。
たったの20歳で、自らの意志で向こうにいった男性と、3歳しか違わない私。
新卒入社したばかりの彼と私。
なにが違ってなにが違わなかったのか。少し時と場所を変えたら、彼は私だったかもしれないのだ。
 
「どうして相談しなかったんでしょう」
答えを期待せずに、私は先輩に訊いた。先輩は私よりも少し年齢が上なだけだったが、こういった案件にももう慣れた風だった。だから、涙がひいた頃合いで、泣いてしまったことを照れ隠すように言った。
「相談できる人がいたら、こうはなってないよね」
その通りだとおもった。
 
それ以来、私にとっての「死」はリアルなものになった。
大切な人はいつか遠くにいってしまうし、自分だってぜったいにしぬ。
それを自分で選ぶのか、向こうからやってくるのも待つことになるのかはわからない。
けれど、少しくらい笑ってしねたらいいなと思っている。
 
当時20歳だった彼に、もしも会うことができたなら、あのときの担当者ですと今更ながらに挨拶をして、たくさんの話をしたい。
 
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2018-06-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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