私はかつて、「ウロコ」と呼ばれていた
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記事:高林忠正(ライティング・ゼミ日曜コース)
百貨店に入社した私は、「ウロコ」と呼ばれた。
魚のウロコの形は三角△。ウロコとは問題やネガティブ、厄介や面倒なことを意味する隠語だ。
ウロコの高林とは、「問題社員の高林」ということになる。
入社当時から私はミスを連発した。
お客さまを前にすると緊張して言葉が出なくなってしまうからだった。
アパレルやスポーツ用品の販売を担当したものの、ご用命の品物を取り違えたり、個数を間違えるのは日常茶飯事だった。
社内の決まりで、品物のお届けの際は別途、伝票を起票しなければならなかったが、しょっ中起票ミスをした。その結果、あとからお詫びとともに品物を持参しなければならなかった。
店頭にいた20代はいつも、「また何かやってしまうんじゃないか……」というヒヤヒヤ感とともにあった。
店頭から内勤に異動が決まったとき、内心「これで得意ではないことから離れられる」とホッとしたが、そうは問屋が卸さなかった。
百貨店の本業は品物を販売することだ。
接客ブランク10年で、再び現場に復帰することになった。
異動先は未経験の食品の販売だった。食品では衛生面の知識とともに、販売した品物の安全性が求められる。予備知識はほとんどゼロの状態だった。
仕事は、紅茶、ジャムをはじめとする英国ハロッズの品物を販売するハロッズフードホールのマネージャー(責任者)だった。
63名の社員はすべて女性だった。前年、たった1人の男性社員が退社してから、補充されていなかった。
店頭のマネージャーは、ヒト、モノ、カネの管理を一手に引き受ける仕事だ。
ヒトとは、お客さまへのより良いサービスのために人員を適正に配置することだ。
モノとは、その時期に合わせた売れ筋の品物を取り揃えることだ。
カネに関しては、売上高をはじめとする実績向上と、社員の人件費や一般管理費などをコントロールしなければならない。
周囲からは当然のように業務知識があるとして見なされた。
前任者との引き継ぎ時間は15分だった。
「あとは資料を見ればわかりますよ」と言われて、保留事項も含めて引き継ぐこととなった。
まるで雲をつかむような状態だった。
年間スケジュールさえ知らずに異動初日から動かなければならなかった。
開店と同時に「いらっしゃいませ」と言っても、そのあと何をしてよいかまったくわからなかった。
男性社員がいないことから、力仕事はすべて男性である私が担当することになった。品物を台車に乗せて運ぶことはすべて自分の仕事。汗だくになることから、女性社員から嫌がられた。
お客さまの品物や接客面でのクレームは、たった1人の男性社員である私がターゲットとなった。お客さまにしてみれば、私の現場ブランクや業務知識が高くないことは知る由もなかった。
何事もこの際、体で覚えながら学んでいこうと思ったが、そんな悠長なことは言っていられなかった。
「失敗は恐れない」と思ったもののお客さまからのクレーム対応はカンタンではない。
伝える言葉がふさわしくなくて、火に油を注いでしまったことも一回や二回ではなかった。
女性社員の「うちのマネージャーっていけてないねぇ」という陰口が耳に入ってきた。
彼女たちの不満も、日に日に高まってきた。
困った。毎日「どうしよう……」と思った。
「誰か助けて!!」心の声はいつもヘルプ状態だった。
側から見れば、「上司に相談すればいいじゃないか」と思われるだろう。
ところが、上司のゼネラルマネージャー、ディビジョンマネージャーに相談するたびに突っぱねられた。
「いちいち相談しないで、マネージャーだったら自分で考えろ」と言われた。
ブランクがあるから、あえて甘やかさないというのがその理由だった。
社員からの突き上げと上司からの圧力で、まるでサンドイッチ状態だった。
異動して半年、とうとう心理カウンセリングを受けるようになった。
週に2回、昼休みに隣のビルにあったカウンセリングルームに通った。
あとから聞いたところでは、神経症の一歩手前だった。
最初は私が一方的に話すだけだった。
状況は何も変わらなかった。
2週間目に入ったときだった。
カウンセラーは言った。「紙に書いてみたら」と。
具体的に何を書くという指導ではなかった。
ノートにお客さまのことばをそのまま書き留めてみた。
ただ、書くだけだった。
注文された内容も書いてみた。
社員のことばも書いてみた。
書いているときは無心だった。
1ヶ月、2ヶ月経ったころだった。不思議に気持ちが落ち着いてきた。
3ヶ月目に入ったときだった。現場での自信は決して大きくなかったものの、全体がぼんやりとだったが見える感じがした。
それ以降、漠然とだが「お役に立ちたい」という何とも言えない渇望のようなものを感じるようになった。
食品の業務知識はだんだん増えてきた。
遅ればせながら、マネージャーとしても慣れ始めてきた。
20年に及ぶ百貨店の仕事を経験して、どんな形でお客さまのお役に立てるだろうか?という主体的な感情が芽生え始めた。
決して現実からの逃避ではなかった。
日々、事実を書くことから始まった心の声だった。
ノートに書くようになって半年後、私は未経験の法人営業の社内公募に応募していた。
ノートはもはや私にとっての相棒だった。
営業でお客さまのもとに伺ったり、提案の準備しているとき、「これって、天職かも」と感じている自分がいた。
法人営業の4年間、3度の社内MVPを獲得することができたこともノートのおかげだった。
ノートが自分に気づきと工夫、何よりも勇気を与えてくれた。
「未来はノートで変えられる」
今も私はノートとともに生きている。
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