一生モノの友情は存在しない。
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記事:原三由紀(ライティング・ゼミ平日コース)
「もうみっちゃんとは会いたくない。ごめん、もう連絡しない。返事も返さない」
これは社会人1年目、23歳の秋。
高校時代からの大親友に一方的に私が言い放った言葉。
若気の至りとはいえ、これほどはっきりと友人を傷つけたことは後にも先にもない。
なにかひどい裏切りを受けたわけでも、ケンカをしたわけでもなかった。でもこのときの私はこう言うしかないような心理状態だった。
高校時代の私とみっちゃんは、仲のいいグループの中の2人というわけではなく、2人きりの仲良しだった。うんと若かった私たちは、思春期の女の子特有の、ある意味恋人同士のような友人関係だった。いつも一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒に部活して、恋も友だちについてもなんでも報告しあっていた。この友情は一生続くんだろう。おばあちゃんになってもきっとバカ話して一緒に笑い合っているんだろうと思っていた。
大学生になり、その関係性に若干の変化はあったけれど、それでもやっぱり仲良しだった。違和感を覚えたのは、社会人になってからだ。
彼女の話す就職先での楽しい出来事、新たにカッコいい彼氏ができたこと、同期や上司や先輩との話。そのすべてが自慢話に聞こえてくるようになって、気づけば素直に会話を楽しめなくっていた。
「自分の話ばかりで、私の話を全然聞いてくれない」
そう感じていた。
「なんだか見下されているような気がする」
そう思わせる彼女が許せなかった。
一番仲が良かったはずなのに、一緒にいると一番心が疲れて、私は会うたびに卑屈な気持ちになっていた。
今思えば、あの頃の私は人生にかなり行き詰まっていた。
学生時代は一生懸命に勉強をして、みんなに「すごいね」と言ってもらえる大学に入ることができた。将来はキャリアウーマンとして大企業に勤めて社会でバリバリ活躍できる予定だった。
バイトばかりしながら漫然と大学生活を送り、やりたい仕事も見つけ出せなかった私は、就職活動にも漫然と取組んだ。「そろそろ内定ないとやばいよね」そんな打算でたいして志望度の高くなかった会社の内定を受けた。
そこそこの志望度のまま、自ら流されるように社会人になった。
いざ働き始めたら、仕事は楽しくなかった。
まわりにいる先輩たちに自分の明るい未来を投影できなかった。
家族との関係にも悩んでいたし、恋愛もうまくいかなかった。
自分は人として劣っているように思えてならなかった。
輝かしいはずだった自分の未来への扉がゆっくりと閉じていくような気がした。
自己愛のかたまりで、未熟な私は、悩みのフルコースを前にすっかり悲劇のヒロインだった。
でも一方で、悩みはみっちゃんには一切話せなかった。
それまで2人きりで仲良しで、密着した関係だったからこそ、私は距離を置いて自然消滅のように離れることができなかった。
だから恋人と別れるように友だちに別れを告げた。
冒頭のメールを送って着信拒否をし、本当にそれから一切連絡を取ることをやめた。
ひとつ悩みがなくなって、すっきりした。
そこから私の人生はさまざまな変化を迎える。
仕事や人間関係に完全に心が参ってしまい、体調を崩す。やっと“普通の幸せ”や“人生のレール”を降りる覚悟ができて、新卒で入った会社は1年3カ月で辞めた。
そこからは波乱万丈。いろんなことを成し遂げたり成し遂げなかったり、成功したり挫折したりを繰り返して、心も体もずいぶんと逞しくなった。
今なら自分もまわりにいる仕事仲間も、家族も友人も胸を張って「大好き!」と言える。
普通じゃない自分の生活を愛しているし、仕事は楽しく私の人生を彩る欠かせないものになった。
友人との関係からもたくさんのことを学んだ。
ぐっと深く仲良くなった友だちほど、離れてしまうタイミングがあって、長い年月をかけて<仲の良い友だち>が入れ替わっていくことに気づく。
環境によって自分の生活も変わるし、考え方も変わる。
生活が変われば意図的ではなくても、人間関係はどんどん変化していくもの。今の自分に必要な人がふと現れたり、いつの間にかいなくなっていたり、そう入れ替わっていくものなのだと、時間をかけて私は学んだ。
悲しいけれど一生続く友情は存在しない。
体内の水分は約半年かけて、ほぼすべて入れ替わっているそう。体を構成する細胞も全部ではなくとも数年かけて再生している。
例えば高1の私と、今の39歳の私は同一人物とはいえ物質的にも違うのだ。
体の構成要素が入れ替わっているくらいなのだから、その人自身が変わるのは当たり前。
だから高1の私とピタリとあった相手が、今の私とあわなくてもそれは当然のこと。
離れることも、友だちが入れ替わることも当たり前で、なんら悪いことではないのだ。
そう。一度友だちになったからって、一生友だちでなくたっていい。
23歳の私が友だちとの関係を断絶するために放った言葉。
相手を傷つけたと同時にブーメランのように跳ね返って、自分の心にも大きな傷をつけていたことに、私は数年後気がつく。
友情は一生モノではない。
友だちは入れ替わるもの。
でも、
自ら断ち切るべきものでもない。
数年前。
私はどうしても謝りたくて、みっちゃんにメールを送った。
「久しぶりです。〇ちゃんの結婚式には来ますか? 会えたらいいなと思っています」
返事は来ないかもしれない。
今さらなんだと罵倒されるかもしれない。
それも覚悟で、謝るチャンスをもらえないかと祈るような気持ちでメールを送った。
すると、みっちゃんはすんなりと私を受け入れてくれた。
それどころか、私が苦しんでいたときに力になれなかったことを謝ってさえくれた。
そんな彼女に、私は心の底から救われた。
私は今、こう思っています。
「友情は一生モノではないからこそ、大切なもの」
友情は続くことに価値があるのではない。
出会えて、シンパシーを感じて、分かりあえた。
その事実そのものに価値がある。
だからその奇跡を、その瞬間に、最大限謳歌すべきものだと。
一度は離れたみっちゃんとの関係を修復して、心に誓ったことが2つある。
1つは、離れた友だちが戻ってきたら、笑顔でもう一度関係を築きなおせる人間でありたいということ。
人との関係は積み重なって、編み込まれて、つながっていくもの。
無理に切ったり、無理につないだりしても、結局はあるべきところにおさまる。
だったら無駄な抵抗はしないで、流れに身を任せていたい。
そしてもう1つ。
23歳の私の後悔は、今の私にこんな強い決意を残した。
「私からは友だちの手を離さない」
離されることはあっても、私からは離さない。
失敗も失言も、人を傷つけた過去も、こんな結論に出会うためだったとしたら、それはそれで悪くない。
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