「お葬式で泣くことはないだろう」と思っていた父との関係が修復するまで
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記事:鈴木ゆかこ(ライティング・ゼミ 朝コース)
「早く、早く家に帰りたい」
私は、あふれ出しそうな涙を喉の奥でぎゅっとこらえながら、家路を急いでいた。呼吸が浅く、手には自然と力が入り、握ったこぶしがふるふると震えていた。
事件は、その5分前に起きた。
家族でカラオケを楽しんだ後に、10歳の長女が私に反抗的な態度をとった。反抗期のよくある言動ではあったと思う。けれど、娘のその態度が、私の心の中にあった何かに強く突き刺さった。
「先に帰る……」
娘から投げつけられた暴言に返す言葉が見つからず、そう言い捨てるので精いっぱいだった。足早にカラオケ店を出ると、説明しがたい感情が、胸から体中へと広がっていくのを感じていた。玄関の扉を開け、家に入った途端、私は泣き崩れた。
「あんな子、うちの子じゃない! うちの子じゃない!」
長女に対する憎しみの言葉が、次から次へと溢れ出た。
悔しいのか、腹立たしいのか、悲しいのか。名前を付けることができない、言いようのない感情だけが、胸の中で渦巻いている。自分にいったい何が起きたのか、全く整理できず、混乱していた。涙と嗚咽が止まらない。
気持ちが落ち着いてから長女のもとへ行き、今の感情をちゃんと伝えようと口を開いた途端、また嗚咽が始まった。
「ママ、生まれて初めて、人からあんな態度を取られたよ。とても傷ついて、悲しかったよ」
そう気持ちを吐き出した途端、父のことが脳裏をよぎった。お父さんはいつもどんな気持ちでいたのだろう……。
「この人のお葬式で、泣けないな」
物心ついたころには、私は父のことが大嫌いだった。嫌いになった理由はいくつか思い当たるが、決定的な何かがあったわけではない。父は温厚な性格で、子供のことを怒ることがない人だった。しかし、だからと言って私や姉を可愛がっていたかというと、そうではなく、どちらかというと‟子供にほとんど関心がない人”のように私の目には映っていた。
家族との会話もほとんどなく、家にいるときは、本を読んでいるか、テレビでニュースかスポーツを見ているか、寝ているかの三択で、なんともつまらない人だと思っていた。生活を共に送っていくうちに、いつしか「お父さんは、頼りない、情けない人」という認識を持つようになった。いつも私は、父をどこかで軽蔑するようになっていった。
9歳の第一次反抗期を迎えたころには、父のふるまいにいつもいら立ちを覚えた。父に乱暴な言葉を浴びせては、酷く横柄な態度をとった。父の稼いだお金で生活していたけれど、感謝の気持ちを持ったことは一度もなく「お母さん一人に育ててもらったんだ」とすら思っていた。
父に対する侮蔑的な態度は20年以上続いたのだが、姉のところに子供が生まれたことで転機を迎えた。
初孫となる姪を、可愛くて仕方がないという風に、今にもとろけそうな表情で抱っこしている父の姿がそこにはあった。私は、父が子供に無関心だと思い込んでいたけれど、実は私もあんな風に可愛がられていたのかもしれない、と思うようになった。父への嫌悪感が和らいだ瞬間だった。
その後、畳みかけるように、父への見方が変わる出来事が起きた。結婚してすぐに夫が、父のことを「優しい人だ」とべた褒めしたのだ。それまで、娘に何を言われても言い返せない情けない人だと思い込んでいたが、それは裏を返せば、そんな侮蔑的な態度を取られても叱らない優しい人だったということだ。私は、そんなことにさえ気が付かなかった。
私のもとにも子供が生まれると、父は、孫たちの面倒を本当に良く見てくれた。子供たちが公園に行きたいと言えば、いつでも快く子守を引き受けて出かけてくれた。実家に帰ると、長女は父とテレビでスポーツ観戦を楽しんだ。次女は、自宅で暇になると、すぐにおじいちゃんに電話をかけて、長話に興じる。
父とスポーツ観戦をすることも、長話をすることも、私には未だにできないことだ。子供たちと父の交流を眺めていると、私が子供時代にできなかったことを、子供たちが代わりにしてくれているようで嬉しかった。
「お父さんのお葬式では絶対に泣けない」と思っていたころの自分には、こんな日が来るなんて、想像することもできなかった。「今父が死んだら、間違いなく涙が出るだろう」と思えるほどに父との関係は好転した。
「お父さんが死ぬ前に、好きになれた良かった」
もう、私のなかで父との問題は完全に解決していたと思っていたのだが……。
カラオケ店での長女の私に対する侮蔑的な態度が、私が父にした仕打ちをありありと実感させてくれた。実の子供からの侮蔑的な態度が、こんなにも苦しく辛いものだったなんて。娘に対しての悔しさや悲しさを感じながら、私に酷い態度を取られたあとの父の困ったような、寂しそうな表情が思い返された。
「お父さんに、謝らなきゃ。謝らなきゃ」
その瞬間、娘への激しい感情は、父への罪悪感に変わっていた。床にしゃがみこみ、肩を震わせて泣く私の背中を、夫が優しく何度も何度も撫でてくれた。
まだ、父との問題は終わっていなかった。長年にわたった父へのひどい態度をきちんと謝らなければならない。娘は私に、父との問題の大切なことを思い出させてくれたのだ。
翌日、私は実家に電話を掛けた。
プルルル、プルルル……。
呼び出し音が鳴る間「泣かずに話せるだろうか」そんなことを考えていた。
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