損得か、使命感か、唐揚げか
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:ユリ(ライティング・ゼミ平日コース)
「いや、待てよ」
商品に手が届く、すんでのところで引っ込める。
仕事帰りの近所のスーパー。入口を入ってすぐ左の冷蔵棚に並ぶ、今日買う予定の牛乳が、私を悩ませる。
110円と、158円。
平日の我が家の朝ごはんは、ここ何年もシリアルだ。実家暮らしの時は、母が作った朝食を朝から40分ほど時間をかけて食べ、しまいにはアイスクリームや饅頭などのデザートまで食べるといった私だったが、実家を出て、朝の忙しい時間に自分で朝ごはんの支度をしなければいけない立場になってからは、手軽かつ栄養バランスも良いという、シリアルの楽さにハマっている。
フルタイムの仕事をしながらも朝食をしっかり作ってくれた母には、本当に頭が下がる。
ドライフルーツ入りのグラノーラと、それオンリーでは甘過ぎるので、グラノーラと同じ量ほどのオートミールをプラス。
そこに注ぐ牛乳は、成分無調整牛乳や低脂肪牛乳ではなく、カロリー控えめかつ、鉄分やカルシウム、葉酸、ビタミンBやDまでもが入っているという、「乳飲料」と分類される、とあるメーカーの牛乳をチョイス。
「どうせ朝から牛乳を飲むなら」という考えのもと、その牛乳に辿り着いたが、料理に使うのは「成分無調整牛乳」、飲むことメインなら「低脂肪牛乳」にするなど、いちおう自分なりのこだわりを持っている。
シリアル、プラス牛乳。たまにプルーンをプラス。
私にとっての平日の朝ごはんは、サプリメントを摂取するのと同等だ。
そんな私にとって大切な朝用の牛乳がなくなったので、夕飯の買い物とともに、仕事帰りに買うことにした。
いつものスーパー。いつもの冷蔵棚。が、今日は様子がいつもと違う。選択肢が3つもある。
7月30日が賞味期限で、110円。
7月31日が賞味期限で、158円。
8月5日が賞味期限で、158円。
たいていいつもは158円オンリーだというのに、今日は珍しく、48円も値引きしたものがある。
今日は7月26日。仕事帰りの夕方。
牛乳の出番は明日の朝からなので、牛乳を消費する日数を明日からとして考えると、
4日間で、110円。
5日間で、158円。
10日間で、158円。
「7月31日が賞味期限」の牛乳は、安くもない上、日数が短いため、選択肢からは消えてもらう。
残すところは、あと2つ。
けれど、どちらを買うかの最終決断が、どうしてもなかなかできない。我が家の財布を握る私にとって、48円の値引きは大きい。
出入口付近の特設コーナーに店を構える唐揚げ屋のおじさんから、先ほどから何度も視線を感じる。
気のせいか、それとも、何を一体悩んでいるのかと不思議に思われているのか。
ひとまず、気分を変えてみよう。
夕飯の材料を探しに、一旦牛乳コーナーから離れて店内をぐるりと回ってみるものの、牛乳のことが気になって、なかなか買い物に集中ができない。今日の夕飯は、一体何にしたらいいのか……。
ヒュー・エヴェレットの「多世界解釈」
急にふと、以前テレビで聞いた言葉を思い出す。私が見たテレビドラマの中では、「選択の数だけ人生はたくさんある」、といったニュアンスで使っていたっけ。
「これもひとつの多世界解釈と言えるのかな……」
使い方が当たっているかどうかはさておき、「どの牛乳を買おうか」という、端から見れば単純かもしれないことに悩んでいることを、難しい言葉で言い換えてみると、あたかも人生の難題にぶち当たっているような錯覚に陥り、こんなことに時間を費やしている自分を肯定できる。
考え方を変えてみよう。
自分の牛乳消費量について考えてみる。
牛乳は、1パックあたり1000ミリリットル入り。消費日数で割ってみると、
4日間で、1日あたり250ミリリットル。
10日間で、1日あたり100ミリリットル。
「いや、待てよ」
7月28日と29日は土日だったので、平日のみシリアルを食べる私にとって、7月27日と30日の実質2日しか、その牛乳を消費する機会がない。けれど、その土日に仕事が入る可能性もある。しかし、牛乳のパッケージには「開封後は賞味期限にかかわらず、早めにお飲みください」と書いてあるから、開封後の賞味期限は、あっても無いようなものだ。
ドツボにはまってきた。
「いや、待てよ」
「48円値引き」という、いつもより格段に安い値段に心ときめいたけれど、「賞味期限に対しての値段」で考えると、158円の半額の79円よりももっと安い値段にしないと、適正価格にならないのではないか。
「いや、待てよ……」
時刻は19時近く。スーパーの閉店時間まで、あと少し。
もし私が買わなかったら、誰がこの牛乳を買うのだろう。
私が立ち去った後、誰かがこの牛乳を買ってくれるかもしれないし、今日誰も買わなくても、明日も明後日も、さもなくば、賞味期限の当日まで売っている可能性だってある。
けれど、私がいつも買っているこの牛乳、いつ来ても隙間なく陳列されていて、あまり売れてなさそうなことを、私は薄々気付いていた。
「私が買わなかったら、この牛乳は廃棄されるかもしれない……」
損得勘定よりも、変な罪悪感と、「私が買ったほうがいいのではないか?」という、責任感に似た使命感を感じ始める。
完全に、ドツボにはまった。
携帯が鳴る。夫からの着信だ。
「ねえ、どっちの牛乳を買ったらいいと思う?」
事の成り行きを説明したうえ、夫に聞いてみる。
「いつもの値段のを買えばいいじゃん」
あっけなく、答えが出た。
結局私は、最も平凡で妥当で、いつもと同じ値段の、「8月5日が賞味期限の158円」の牛乳を買うことにした。
行き場を失った罪悪感と使命感が、私の中でフワフワしたまま、会計レジへと急いだ。
どうかあの牛乳たちが、誰かに買ってもらえますように。
スーパーを出る直前に、唐揚げ屋のおじさんと、次はしっかりと目が合った。
買い物はもちろん、毎日は選択の連続だ。商品やメニューを選ぶといった、ごくごく日常的なことから、就職や結婚、引っ越し、病気になった際などにおける、大きな選択をしなければいけないこともある。どっちを選んだらいいのか。選ばなかった方を選んでいたらどんな結果が出ていたのか。そんなこと、知る由も無い。
選択にものすごく迷ったとき、選択肢のひとつひとつを、じっくり深く掘り下げて考えてみるのもいいかもしれない。
「どっちがいい?」と、誰かに聞いてみるのもいいかもしれないし、選択肢に無かった選択を、選んでみるのもいいかもしれない。
「どっちがいい?」
「牛乳はまだ冷蔵庫に残ってたから、それより唐揚げ買おうよ」
毎日は、未知数で溢れている。
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