祖父の死が見せてくれた「本当にしたいことをしたほうがいい」理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:吉田ひとみ(ライティング・ゼミ特講)
「そろそろ、こっちに帰って来とき」
父が関東に住む弟に連絡したのは、冬の声が聞こえ始めた頃だった。シーズンオフだったので、比較的帰りやすかったのだろう。
弟は野球で大学に進学し、一人関東に住んでいた。そんな弟を呼び戻したのは、祖父が余命いくばくもないと父が判断したからだった。
祖父というのは、私の父の父で同じ大阪市内に住んでいた。その年の年明けには「◯子さーん」と母とハグをしている姿を見せるほど、陽気な84歳のおじいちゃんだ。わたしが行くと決まって奥からアルバムを取り出して来て、戦争に行った話を聞かされた。いつも同じことを話していた。
そんな祖父にがんが見つかったのは、その年の夏前のことだった。詳しいことはわからなかった。ただ、夏休みにはやせ細った姿で窓際のマッサージチェアに座り、甲子園を見ながらうつらうつらしていたことを覚えている。その頃には、余命3ヶ月と診断された。
祖父は昔から病院が大嫌いだった。祖母がなんとか連れて行こうとしたが、「病院なんか行かへん!」と言い張った。祖母が一度、「検査うけるだけやから」と連れて行き、そのまま検査入院となったとき、祖父からものすごい勢いでこう言われた。「俺をだましたんか!!」
「こんなに嫌がってるのに、無理やり連れていけんやろ」それから、祖母は病院に連れて行くことをやめ、かかりつけ医の往診に切り替えた。
お見舞いに何度か行った。
部屋の柱には、日付と時間が書いたシールが何枚も貼られている。いつ、何時に点滴をしたのかが書いてあるシールだ。
次第にご飯が食べられなくなっていた。大好きなビールも飲めなくなっていたが、それでもおちょこ1杯ぐらいは飲んでいた。
弟は、関西に帰って来てから、ほぼ祖父のところにいた。弟は祖父の自慢だった。高校野球で有名になり、のちにプロ入りした選手との甲子園でのツーショット写真を訪問看護師さんに見せては、いつも自慢していたそうだ。
「もう、そろそろやと思う」父が言った。週末に見にいってそう感じたという。次の週は会社を休み祖父のところに行き、様子を見ては自宅に帰り、を繰り返していた。
そんなある日、携帯に連絡が入って来た。突然だった。しかし、わたしはなぜかその日、仕事が定時で終われるようにした上、引き継ぎを完璧に段取りしていた。病院のリハビリテーション室のタイムカードをピッと押して、わたしは早々に引き上げた。カードには17:01のスタンプが押された。家族でわたしの誕生日を祝った翌日のことだった。
祖父宅には、家族全員が揃った。父は長男で、お姉さんと弟が2人いる。祖父にとっては自分の一家全員と、長男家族全員が揃った形だ。
祖父は、布団に寝ていた。声をかけてもわずかに反応するだけだった。足元にはペットボトルにお湯を入れた祖母のお手製湯たんぽが2つ入れてあり、足の指には酸素飽和度を測る機器が取り付けられていた。手は上むきのL字型で布団から出ていた。何度布団に入れても出すのだ。不思議なもので、死ぬ間際には赤ちゃんと同じ寝姿になる。赤ちゃんは皆、手は上L字型もしくはバンザイで寝る。実はこの形は非常に理に適っていて、最も機能的に呼吸がしやすい手の向きなのだ。
わたしは、作業療法士だ。
今まで何度も病院で患者さんが亡くなる間際のシーンに直面してきた。もちろん、がんの人もいた。患者さんが亡くなる前というのは、終日点滴や酸素吸入器につながれて、足やお腹はパンパンに腫れ、胸水や腹水があると管を刺して抜く。正直言って、苦しむシーンばかりを見て来た。
だから、今まで「死」というものは苦しく、怖く、そして辛いものだと思って来た。
しかし、今にも目の前で死を迎えようとしている祖父の姿からは全く感じないのだ。祖父は、深くゆっくり呼吸していた。足にはむくみがあるが、顔も手もお腹も枯れ木のようにただ細いだけだ。
水を飲ませてあげたいが怖いという祖母と一緒に、スプーンで少し水を飲ませてあげた。しかし、ほんの少量にもかかわらず、むせた。この時、わたしは本当にもういよいよだと思った。
近くには少し前に祖母がもらって来たという大人用オムツがあった。祖父が歩けなくなったのは数日前からだが、なんとその前日までトイレに行っていたというのだ。その日の朝まで意識がはっきりしていた祖父は「オムツなんかはくか!」と、毛布をかませた1人がけのソファーによじ登り、祖母が毛布を引っ張ってトイレまで移動させ、ソファーからトイレに乗り移っていたというのだ。10枚ほどあったオムツは大半が残っていた。
やがて、祖父は声かけに反応しなくなった。往診のお医者さんはもうすぐだ。お医者さんが来るまで頑張るんやで。祖母や叔母がそう声かけた。
医師が到着した。「〇〇さん!」と呼ぶ。
「はーい」振り絞るような声で祖父が返事をした。祖父が声を出したのはそれが最後だった。
「なんか、まだ生きてるみたいやなぁ」叔父が言った。周りの空気がとても暖かく、穏やかだ。誰も取り乱さず、ただただ祖父を囲んで見つめていた。まったく怖くない。静かで、本当に眠っているだけのようだった。
自ら望んで病院で死を迎えたい人はいないだろう。しかし、高齢者が自宅で亡くなることは少なく、病院や施設で看取られることがほとんどだ。そこには様々な医療介入があり、慌ただしく「家族ではないもの」の出入りがある。
自宅で死ぬということ。住み慣れた家で、安心できる身内に囲まれ、医療介入がない「死」をわたしはこの時初めて見た。そこには、今までの「怖い、苦しい、辛い」シーンは一切なく、穏やかで暖かな空気が流れていた。
20代中盤のわたしの目の前には、自らの尊厳を守り意思を貫き通すことの大切さと、「死は怖くない」ということを体現してくれた偉大な祖父の姿があった。
あなたも、「本当にしたいこと」「したくないこと」を今一度振り返ってみてはどうだろうか。なぜなら、その妥協はあなたが死を迎えるその瞬間まで付いて回るものかもしれないから。
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