メディアグランプリ

たった一人のための映画館にようこそ!


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記事:小林 蝉丸(ライティングゼミ・日曜コース)

 
 
「おはよう。ちゃんと寝られた?」と妻から声をかけられる。いつもの朝だ。
また何かあったのだろうか? 一体何があったかを知りたいが、残念ながらそれは私には永遠に解らないものだ。
「大丈夫、ちゃんと寝られたよ」と返事をしてから、ゆっくり洗面所に向かう。気にしても仕方がないことは、気にしない事が私の習慣になっている。
 
子供の頃から記憶力が良かった。但しそれは受験に有効な暗記力ではなく、社会人に必要な予算とかの売上数値を覚える記憶力でもなかった。
私のは「誰かと話をした時の表情や口調、その際の雰囲気」に限定されたものだったのだ。
男女間の口喧嘩で、女の人が「あの時のあなたはこんな事を言った。その時、私がどんなに悲しかったか(苦しかったバージョンも)分かる?」と云うパターンがあるらしいが、私に関しては、それは概ね覚えているのが常であり、そもそも喧嘩にはならないのだった。
 
つまりどちらかと言うと私の記憶はやや特殊なもので、「必要な事」「必要でない事」を区別せずに、そのシーンが任意に切り取られた形で覚えている……と云ったものだったのだ。
 
例えば商談なら「A店の売上その対前年比や、今年のファッションアイテムの傾向」などは全く覚えていないのだが、その担当者が語ったプライベート情報「実家は○○、△高校の出身で、彼女(彼)は居て、××に勤めていて、最近上手く行っていない」などはその時の表情や口調を含めてほぼ完璧に覚えていた。
 
そんな事は普通の人は私に話した事も忘れている事が多いらしく、何カ月か経って商談で前回の内容を踏まえ「△高校、甲子園出場おめでとうございます!」とか、「彼女(彼)とは結局どうなりましたか?」と聞くと、大抵ひどく驚かれた。それを面白がる人も居るにはいたが、むしろそれを気味悪がる人の方が多かったかもしれない。
 
それよりもこの記憶力の難点は、「覚えようとして発動するものではない」所にあった。要は自分が「覚えておきたい!」と思った事に対して、必ずしも発動するのではなかったのだ。
逆に「覚えておく必要がない事(日常の何でもない一コマ)」に対して、知らない内に発動され事細かに記憶している……と云った事もままあった。
 
 
パソコンや携帯電話のハードディスクの容量は決まっていて、その容量を超えたデータが入ると新たなデータ保存が出来なくなる、と云った事は知識として知ってた。
50年近く生きてきて、覚えなくても良い細々した事を片っ端から「記憶」として詰め込んでいる自分の頭脳は、いつかキャパオーバーになり「機能不全」になるのではないか? と云う予感はあった。なので、ある日を境に「全く何も覚えられなくなる」、或いは「記憶が1日しか保たなくなる」と云った小説や映画は、私を不安な気持ちにさせたのだ。
 
「そうはならないのかもしれない」と思う様になったのは、初めて他人と暮らした頃、私にとっては「結婚」してからの事だった。
子供の頃から「一人の部屋で寝る」のが常であった私は寝ている時の自分が、どういう状態にあるのかを全く知らなかった。他人と同部屋で寝るのは「神経質な自分」にとって、とても耐えられるものではなく、学生時代も社会人になってからもそういう経験がなかった。
ところが新婚当時の家は、お金が無いのもあって実質一部屋しかない家で、他人である妻と同じ部屋で寝る事になり、そこで初めて「自分の寝言が凄い!」事を知ったのだ。
 
私の寝言は「そこに相手が居るかのように」「明瞭に」「会話をしている」のが特徴らしい。
妻も初めの頃は「自分に話しかけられている!」と思い、返事をしたりしていたらしいが、その会話が成立しない事、会社の中でプレゼンしている口調だったりすることで、これは私が夢の中で誰かと話しているのだろうと推測したそうだ。
 
それを初めて聞いた時は信じられなかったが、私自身、今までの寝起きの状況で得心する事があった。私は時々、物凄くリアルで総天然色な夢(夢は大体モノクロらしいが私の夢はカラーなのだ!)を観る事を、経験上知っていたからだ。
共通しているのは、必ず自分が出てくる事。そしてそれらの夢には過去に何らかの接触があった人が出てくるのだ。記憶力の再現性からだけならば「過去にあった事」の反芻だけの筈なのだが、そこは夢らしく「起きなかった事」や、「起きて欲しかった事」が主だった。
 
私の解釈はこうだ。私の頭の中では、いつも「小人(らしき存在)」が映写フィルムを回している。それらは膨大な記憶のフィルムになり、「詳細な日常生活の記憶」の元になる。
頭の中で録り溜めた記憶のフィルムが一定量を超えると、フィルムはバラバラにされ、また繋ぎ直されて1本の映画になる。その映画は不完全なもので、主役である私のパートは当日参加の状態で上映される。そして上映後は破棄され忘却される……その様に考えれば、私が寝ている最中に「何故、誰かと話をするのか」、また「何故、いつまでも記憶のキャパシティを超えないでいられるのか?」に対して「辻褄」があうのだ。
 
私の頭の中では毎晩、映画が上映されている。それは私以外の誰の目にも触れる事はなく、私だけのために考えられ上演されている映画だ。私はその上映内容について殆ど覚えてはいないのだが、観終わった後(寝覚めは)は幸せな気持ちになる事が多い。
 
「パパ、昨夜も何だかうるさかったよ」と、単なる寝言だと思っている妻や娘たちに言ってあげたい。恐らく、そう遠くない未来には「誰かの夢」を、「他の誰か」が観られる日が来る。
その時になったら、私は彼女達に言うのだ。「たった一人のための映画館にようこそ!」

 
 
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2018-09-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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