思いきり前転をしてみてわかったこと
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記事:香川花子(ライティング・ゼミ木曜コース)
今年の夏は暑かった。外は40度近く、休日でもマンションから出る気はしない。カーテンを閉め切って冷房をガンガンにかけた部屋で、薄手のタオルケットを身にまとい、丁寧に淹れたマンデリンを飲みながら、お気に入りの本を読んで過ごす。そんな休日を送っていた私が、何か面白い本はないかと仕事帰りに立ち寄ったTSUTAYAのDVDコーナーで、ふと見かけた木皿泉の「すいか」。木皿泉の名前を聞いたことはあったが、もともとテレビを見ない私の知識は乏しく「すいか」の存在を知ったのもその日が初めてだった。1巻だけを借りて帰った私は、翌日もお昼近くに起きて、冷たい部屋に、タオルケットとマンデリンを準備してDVDを再生した。
初めての感覚だった。見ている間、すーっと大切な何かが心に沁みていくような気がしていた。何が特別なのかはわからないけれど、大好きなコーヒーを飲みながら、高級チョコレートを齧っているような、そんな特別な気分になった。その日から私は休日ごとに「すいか」の続きを借りてきては再生した。1話見終えるたびに、身体の奥底で何かが波打つような、大事な事を思い出しそうな、なんとも言えない気持ちになりつつ、最終話まで見終えたその時。私は無性に前転がしたくなった。どうして前転なのかはわからなかったが「すいか」が進んでいくに連れて、私の奥底で揺れ始めた小さな波が次第に大きくなっていくのを感じていた。最終話を見終え、エンディングが流れ始めた時「やるべき時がきた」と思った。花火の導火線に火がついたように、もう居ても立ってもいられなくなっていた。
その間、私の奥底で揺れていた波は、長い間すっかり忘れていた高校時代の事を思い出させていた。幼い頃からマット運動や鉄棒が得意だった私は、高校で初めて器械体操部の存在を知り、少しワクワクして入部したのだが、教育熱心だった両親は部活には絶対反対だったため、私は親に隠れて部活をしていた。最初は前転から始まったが、逆立ちや側転を先輩から習った時は嬉しくて、帰り道に歩道のラインをつま先で歩いて側転をイメージするほどだった。私は、泊まり込みの合宿に参加できないのは勿論、休日も参加出来る事が少なく、1年生の夏休み中も、たまに部活に顔を出しつつ、大抵は机に向かって身が入らない勉強に時間を費やしていた。しかし、他の1年生は日々一生懸命練習をしていたから、夏休み明けには、私以外はみんなマットの前方転回も段違い平行棒の蹴上がりも出来るようになっていた。私が中途半端に勉強をしている間に、部活でついた差は歴然としていた。しかし、私はそれからも時々部活に顔を出した。練習不足で柔軟性のない体で、前方転回をしては肋骨にヒビを入れたり、腰椎ヘルニアになったりしていたが、ここに自分の居場所はないとわかってはいても部活を手放せなかった。3年生になり卒業アルバムに載せる写真を撮る日が近づいてくると、3年間殆んど参加しなかった私にも、仲間は「一緒に写真を撮ろう」と声をかけてくれた。しかし、当日、撮影の為にレオタードを着て並んでいる私に、部活の顧問は「先生は、お前をアルバムに載せるのは反対だ」と言った。当然の意見だった。親を説得することもせずに、初めから部活に出る勇気を持たなかった自分が不甲斐なかった。
結局、卒業アルバムには、器械体操部の仲間に混ざって、一人体育会系とは掛け離れた体形の私が、ぼんやりした中途半端な笑顔で写っている。
高校卒業以来、開いたこともなかった卒業アルバムの1枚の写真の思い出が、今になって私をこんなにも突き動かしたのだとわかったのは、前転を終えた後だった。
私は、エンディングを流したまま、ベッドの上で思いきり前転をした。途端、グキッと音がして私の首は動かなくなった。左右に少し動かすと、人体から出ているものとは思えないギーギーという音がした。あまりに突然の出来事に何が起こったのか理解できなかったが、同時に頭の片隅で「人生って、あっけないな」と思った。でも、意外にも前転をしたことに後悔はしなかった。むしろ、いつかこういう時がくるのなら、自分で選んで前転をした今こうなって良かったと思っている自分がいた。導火線に火がついた私の花火は、結果に打ち上げ花火のような華やかさもなく、1本の手持ち花火のようにあっけなかったけれど、それでも、思いきり前転をし終えた私は「あー、私はずっとこうしたかったんだ」と思った。首は動かなくなったのに、何だか自由になった気がして嬉しかった。
結局、その後、何か所か病院を巡り、お蔭様で私の首は動くようになった。生まれ持った骨格の問題と頸椎ヘルニアが重なってしまったらしい。今も両腕の痺れや握力低下は残っていて、日々不便さは感じるけれど、その度に自由を感じたあの瞬間を思い出している。いい夏だったなと思っている。
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