メディアグランプリ

クラリネットをしょって


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記事:藤崎 香奈子(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
 
クラリネットは私にとって武士の刀のようなものだ。これさえ手にしていれば、堂々としていられるお守りだ。
 
中学から始めたクラリネット。今では趣味が高じて3本も持っている。いわゆる普通のクラリネット、オーケストラで使う半音低いクラリネット、高い音が出る小さなクラリネットの3本。
 
普通のクラリネットと半音低いクラリネットは2本一緒に納められるケースがあって、リュックのように背負うことができる。合計4キロくらいあってなかなかの重量感だ。そのケースを背負い、小さいクラリネットのケースは手で持つ。武士で言うところの二本の脇差、短刀のように楽器を背負って出かけるとその重みに安心するのだ。
 
 
 
 
 
私は世間話が苦手だ。
 
 
その辺でたまたま顔見知りと出会った時、何を話していいのかわからない。
「こんにちは。ここの所、急に寒くなってきましたよね」
「ええ、風邪ひきそうですよね」
シーン……。
 
これ以上続かない。何を話題にしたらいいと言うんだろう。女性はみんな井戸端会議が得意だなんて嘘だと思う。沈黙が続くと気まずくて、聞かれてもない事をペラペラと喋ってしまう。人の悪口は性に合わないし、相手の事にもさほど興味がない。テレビはほとんど観ないからドラマの話もできないし、ゴシップにも興味がない。仕方なく自分をネタにする事が多くなる。失敗談、夫や子供のアホ話。自慢にならないように、相手を不快にさせないように精一杯気を使って。そして帰ってきてどっと疲れる。あんな事喋らなければ良かったと後悔する。
 
だから知り合いと道端で会ったら、笑顔で挨拶だけして足早に立ち去ることにしている。感じ悪いとは知りつつ、気づかないフリもする。子供のお稽古でママ友と出会って立ち話するのは一番の苦手。仕事相手と軽い雑談をするのも苦手だ。おしゃべりな人が相手だとほっとする。聞き役の方がずっと楽だ。
 
 
 
そんな私でも知らない人ばかりの場所に喜んで出かけていく時がある。それは趣味でやっているクラリネットの練習だ。
 
中学校時代に吹奏楽部に入団し、クラリネットを吹くことになった。高校でも吹奏楽部に入り受験勉強そっちのけで昼夜練習にあけくれた。大学では憧れだったオーケストラサークルに入った。完全にハマってしまい、社会人になってもアマチュアオーケストラやアンサンブルグループに入ってずっと続けている。そして気づけば、クラリネット暦30年になっていた。こんなに続けて来られたのには、楽器が楽しいのはもちろんだが他にも訳がある。
 
オーケストラの団体には参加者が何十人もいてほとんどよく知らない人ばかり。でも練習がある日にはウキウキと出かけていく。なぜ大丈夫かと言うと、練習中は話さなくていいから。
 
「おはようございまーす」
(音楽業界の人はなぜか夜でもおはようございますと言う)
「今日はチャイコフスキーからでしたっけ。指揮者ゆっくり振ってくれるといいなあ」
 
この位挨拶したらあとは椅子を並べたり会場の準備をして、自分の楽器を組み立てる。まずは音を出して今日の調子を確かめる。できないところを軽くおさらいする。そうこうしているうちに合奏が始まるのでムダ話をしている時間はない。
 
練習中は指揮者の指示を聞き漏らさないように、おしゃべりは厳禁。ときおり隣の人と確認事項を小声で話すくらい。練習が終わったらさっさと片付けて帰る。
 
「おつかれさまでしたー。また来週!」
 
ああ、自分の事を積極的に話さなくていいってなんて楽なんだろう。沈黙を心配しなくていいってなんて素晴らしいんだろう。楽器活動って気楽。
 
 
そんなに人と話したくないのであれば、ひとりで引きこもっているのが一番だ。家で好きな曲を演奏していればいいではないか。でもみんなでやる合奏には、話さなくていい以外にもうひとつ魅力がある。
 
 
 
 
それは言葉を使わないやりとりだ。周りの息遣いを感じて合わせる。ハーモニーに自分を溶け込ませる。リズムを合わせてグングン曲を前進させる。
 
みんなが集中して合わせていると、ある時カチッと何かがハマる瞬間が訪れる。みんなの音がひとつになる喜び。音楽は急に広がりを帯びて、みんなの高揚が伝わってくる。この瞬間が味わいたくて30年もクラリネットを続けてきた。ああ、素晴らしきかな音楽!
 
そうしてメンバーとあまり話さないながらも練習を続けていると、不思議な一体感が出てくる。みんなのことで知っているのはどんな演奏をするかくらい。普段何をしている人なのかも良く知らない。でも一緒にいると心が休まる。そしてそんなメンバーとなら世間話も苦ではなくなってくる。
 
 
クラリネットは言葉を使わずとも私を雄弁にしてくれる。武士にとっての刀のように、アイデンティティでありお守りだ。だから今日もクラリネットの入ったケースを背負って、いそいそと出かけていく。誰かともっと語り合うために。

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2018-10-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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