震災の真っ只中に考えていたこと
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記事:香川花子(ライティング・ゼミ木曜コース)
平成23年3月11日(金)の午後。私は、ある病院の癌専門病棟で働いていた。今まで感じたことのない大きな揺れを感じて、廊下の窓から外を見ると、病院の向かい側の家の屋根が次々に落ちてくるのが見えた。外に出た私たちスタッフは、患者さんやご家族と一緒に、道路の真ん中に密集して座り、地震で崩れ落ちてくる屋根や壁を見ながら小さくなっていた。外は吹雪いていたけれど、寒さは感じなかった。震災という非常事態の中で、目の前で起きている出来事と自分の気持ちが、大きく乖離していた気がする。そして、その時の私には、実際に見えている物事ではなく、そこにいる人々の思いばかりが見えていた。
吹雪の中、私の隣に座っていたのは、病状が進んでいつも辛そうにしていた物静かな高齢男性Tさんと、Tさんを日々叱咤激励していた気丈な娘さんだった。揺れが落ち着いたとき、Tさんの大声が聞こえた。「大丈夫だから。お父さんがいるから」。見ると、いつも歩くのが精一杯だったTさんが、泣きながら震える娘さんを抱きかかえて支えているのが見えた。そのとき、Tさんは「父親」で、娘さんはTさんの「娘」だった。いつも私が見ていた関係とは正反対の姿だったけれど、当然ながらそれはとても自然な二人の姿だった。「Tさんは、今までは、ずっとこうして、娘さんやご家族を守っていたんだな」と思ったら、病気をきっかけに、逆に守られる側になってしまったTさんのやりきれなさに、初めて気づいたような気がした。
病状が進んでいるTさんにとって、病院がこのような状況になってしまった今、これからしばらく治療が中断されるということは、大きな不安のはずだった。なのに、この非常事態の中で、Tさんは自分の事よりも、自分の大切な家族である娘さんを安心させようとして、動揺している娘さんを支えながら、そのまま病院を出て行った。
私は、廊下の大きなテレビで、原発や津波の映像を見ながら、人の、家族に対する思いについて考えていた。そして、私も、大きな出来事があった小学生の頃、家族を安心させたいと思っていた事を思い出していた。
太陽が照り付ける、暑い日だった。小学校4年生だった私は、その日、新しい小学校に転校した。そこは私立小学校で、制服を着て、麦わら帽子を被り、学校の印が押された黒いランドセルに黒靴で登校しなければならなかった。大嫌いなスカートを履かなければならず、頭の先から足の先まで、全てが決められているモノを身につけなければならない窮屈さと緊張感。色々な気持ちがあったけれど、それでもその時の私は、新しい環境にすぐに慣れて家族を安心させたい、と思っていた。
クラスに馴染む間もなく、2学期のクラス委員長を決める事になった。「委員長として適当と思われるクラスメートの名前を書いて提出するように」と、メモ用紙が配られた。私は、目立つことが好きではなかったし、それまでも自分から率先して立候補するような事は無かったのだが、その時は、その用紙に自分の名前を書きたいと思った。クラスメートの名前を知らなかったからではない。1学期の委員長の名前も知っていたし、席が決まるとすぐに周りの子達が、クラスの頭のいい子や人気のある子の名前も教えてくれていた。でも、私は、用紙を手で隠しながら、自分の名前を書いた。家族に、自分が新しい学校でも頑張っている姿を見せて、安心してほしかった。書いた紙は、黒板の前に立っている1学期の委員長に各自手渡しをするシステムだった。私はその用紙を裏返して渡したのだが、委員長はそれを表にして集めていたから、私が自分の名前を書いたことはその場で見られてしまった。その瞬間、私は自分のしたことがとても恥ずかしくなって、穴があったら入りたいと思ったのだが、クラスメートは珍しい転校生の名前をふざけて書いたのだろう、なんと私はその場で委員長に選ばれてしまった。その後、私が自分の名前を書いたということは、あっという間に知れ渡り、新しい学校生活はなんとも居心地の悪い幕開けとなったのだが、それでも私は、これで家族が安心したらいいな、と思っていたのを覚えている。
震災当日の晩。病院のテレビからは、さらに緊迫した原発の映像が流れてきていた。そのテレビの前には、家族の安否を気にしながら、繋がらない電話を掛け続ける癌患者さん達がいた。「患者さんが最優先だから」と言って仕事を続けつつ、そっとトイレに行っては携帯電話を取り出して、自分の家族に電話を掛けるスタッフ達もいた。病院内の滅茶苦茶な散らかりようの中で、私の目には、そこだけ色を付けたかのように、家族を思う人ばかりが映っていた。
日々、私達は、目の前の物事に追われて、自分の事に一喜一憂しているけれど、大きな出来事が起きた時、人は、自分のことよりも大切な人の安心・安寧を願うのかもしれない。そして、大きな出来事が一段落したら、少しずつまた、自分の目の前の小さな物事に一喜一憂する日常に戻っていくのかもしれない。
震災の真っ只中、私はそんなことを考えていた。
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