「私は小説家です」って言えなかった
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:金澤千恵子(ライティング・ゼミ木曜コース)
「書くことを仕事にしてます」
「小説を書いてます」
「フィクション書いてます」
どんなにあいまいな言い方をしても、最後には「えっ、どんなものを書いているんですか?」「えっ、小説家さんですか? すごーい」となる。
そこから私は全否定モードに入る。
ぜんぜんすごくないです。
本2冊しか出してないし。
まったく売れなかったし。
いま書けてないし。
その勢いに相手の人もドン引きして、「あっ、これ、触れちゃいけない話題だったんだ」という表情に変わり、そのままなんだか気まずくなって終わる。
こんなことを何度繰り返しただろう。
あるいはこう言ってくれる人もいる。
小説家なんて、自分でそう名乗ってしまえば勝ちよ。何冊出したんですか、とか、何万部売れたんですか、とか聞いてくる人なんかいないでしょ。
確かにそうだ。
引退とか、卒業とかないし。
しばらく休んでまた書き始める人もいれば、25年ぶりの新作を出す人もいる。
だけど、だけどそれはね。
一度「ちゃんと売れた人」だと思うんです。
「ちゃんとってなんだよ」と言われると困るけれど。
たとえば本屋さんで平積みになるとか。
「ダ・ヴィンチ」で紹介されるとか。
直木賞とか、本屋大賞とか、山本周五郎賞とか、とか、とか、とか。
1回でもそういうことがあって、名前が知られれば。
でも。
1冊とか2冊とか、本を出版した。それだけでは作家と名乗れない。
名乗ってはいけない。
おこがましい。
どうしても、そう思ってしまうんです。
私が新人賞もらったのは9年前。
かなりメジャーな小説雑誌の新人賞だった。
カルチャーセンターの小説教室で細々と書いていた平凡な主婦だった私に、突然降ってわいた「新人小説家」の名称。
「出版社」の建物に初めて入り、「編集者」と初めて話し、自分の本が本屋さんの棚にあるのを見た。
夢みたいでしょ?
そう、全部が夢のように思えた。
でも私は知っていた。
受賞が決まった瞬間から、本当は知っていた。
これが夢に過ぎないこと。
そしてこのまま目を覚まさなければ、遅かれ早かれ、悪夢に、それもひどい悪夢に変わることを。
だって、新人賞に投稿したあの四百枚が、私の持てるすべてだったのだ。
それでも私は、夢を見続けようとした。
なぜならそれは、今までに見たことのない甘美な夢だったから。
2週間で数枚しか書けなくて、少しずつ少しずつ2年間かけて書いた小説が本になってしまうと、あとには何もなかった。
書きためた作品や、温めていたアイデアも何もなかった。
まさか、小説家になれるなんて思っていなかったから。
とっくの昔、大学を卒業したときに諦めていたから。
だから、準備をしてこなかった。
努力もしてこなかった。
何もしてこなかった。
けれど私は、出会う人や編集者さんに言い続けた。
「次を書きます。アイデアはあります」
自信は全然ないのに、我ながら空々しいと思いながら。
次々にインスピレーションがやってきて、どんどん新しい作品が書けるはずだと自分に言い聞かせて。
自分自身にさえ、信じ込ませて。
だって、そうでなかったら、新人賞なんてもらえるはずがないじゃない、と。
悪い予感はめったに外れたことがない。
夢は早々に悪夢に変わった。
たくさんチャンスをもらった。これ以上ないというくらい、発表のチャンスをいただいた。
長編も、短編も書いた。けれど、どれも出版の基準に満たなかった。
どんどん、自信がなくなった。
そしたら、どんどん書けなくなった。
寝てもさめても、「書けない」「でも書かなくちゃ」と考えていた。
誰も私に期待してないのに、人と会うのが勝手につらくなった。
気晴らしに出かけたり、誰かと楽しいことをしていても、書いていないことに罪悪感があった。
まるでうなされているような毎日だった。
悪夢から逃れたくて、私はショウセツカであることを隠すようになった。
書けない小説家なんて、小説家じゃない。過去の栄光にいつまでもしがみついている、未練がましい人間だと思われたくない。
だから最初からなにもかも、なかったことにしよう。
そしてそっと、夜闇に紛れて生きていこう。
「だって僕、自分の小説大好きだもん」
天狼院店主の三浦さんがそう言ったとき、私は思わず顔を上げて、まじまじと三浦さんの顔を見てしまった。
プロゼミの講義だったと思う。それとも小説家養成ゼミだったろうか?
三浦さんは自らの著書「殺し屋のマーケティング」について語っていた。
「何回も読み返してる」「そのたびに泣くもん」「最高に面白いと思ってる」
子供のように無邪気に、なんのてらいもなく、当然のことのように言う三浦さんを見て、私は思った。
カッコイイ。
なんて、カッコイイんだ。
衝撃だった。
自分の作品を、好きでいいんだ。大好きでいいんだ。面白いと思っていいんだ。何度も読み返してもいいんだ。
正直にいえば、私も自分の小説が、とくに主人公たちが大好きだった。
最高にいとおしい。
ストーリーも、最高に面白いと思う。
何度も読み返すし、ウルッときたりする。
でもそれを隠していた。ナルシストと思われるのではないかと、恐れていた。
だけどきっと、隠す必要なんかなかった。
自分が面白いと思いながら、最高! と思いながら、書いてよかった。
だって作者が「これ面白いよ!」「読んで読んで!」と言えない小説を、誰が読みたいなんて思うだろう。
当然だがそれは、改善の余地がないってことじゃない。
直すところがないということとはぜんぜん違う。
逆だ。
自分が大好きな主人公たちを、もっと活躍させ、もっと愛されるように、もっと魅力的にするために、これでもか、これでもかと練り上げ、磨き上げていくということだ。
三浦さんの何気ない言葉は、私を悪夢から目覚めさせてくれた。
いや、たぶん、悪夢だと思っていたのは自分だけだった。
「小説家とはこうあるべき」「こうあってはならない」そんなひとつひとつの思い込みで、自分をがんじがらめにし、自ら現実を悪夢に変えていたのだ。
本当は、まだまだ、書きたいものがある。今はまだ形にならないけれど、ちゃんとある。
ひっそり生きるつもりで、小説なんて忘れたふりで、それでも諦めきれずにいつまでも、ライティングゼミの教室の片隅に座り続けていたのは、それに気づくためだった。
そういうわけで、私、小説家です!
いつか天狼院書店にコーナーを作ってもらえるような作家を目指します!!
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