メディアグランプリ

好きよ好きよも少しだけ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:コバヤシミズキ(チーム天狼院)
 
 
「ああ、もうそんな時期か」
講義開始まであと15分。
ほんの少しでも自転車を止めてしまえば遅刻しそうなくせに、私は鼻を掠めた金木犀に気を取られていた。
甘いけど胸焼けしないその匂いを感じて、ようやく私は秋を感じることができる。
鹿児島の秋なんて一瞬。それでもどの季節より一等秋が好きだった。
「秋といえば、金木犀」
だから、私に秋を知らせる金木犀に強く惹かれるのは必然だった。
「好きだなあ」
無意識に落ちたスピードはもう戻りそうにない。
金木犀の香りを感じた時点で、講義に間に合おうだなんて考えは、とっくに頭の中から追い出されていたのだ。
 
自然豊かだなんて銘打っている構内でも、やっぱり秋のにおいを感じることができて少しうれしくなる。
「好きなの? 金木犀」
甘い香りにほおを緩めている隣の友人に、私は一言「うん」と返した。
夢見がちな乙女でいるつもりはサラサラない。
バラの香りを漂わせるおばちゃんは苦手だし、ラベンダーの芳香剤には出来ればご退場願いたい。なんなら花の香りより大葉の匂いのほうが美味しそうで好き。
花より団子とはまさにこのことだろう。
……でも、金木犀だけは特別。
鹿児島の秋は芸術に捧げるにはいささか短すぎる。だからこの走り去る秋を私は金木犀にささげたい。
「だって、秋っぽいじゃん」
単純な理由に本音を隠してしまうのは、そのほうが趣があるような気がするから。
だけど、それ以上に言葉にするにはもったいないと思ってしまう自分がいるから。
「だから、好きだよ」
……私の秋は、この一瞬漂う甘い香りにかかっている。
「じゃあさ、金木犀の香水とか好きなんじゃない?」
突然そう告げられて戸惑う私に、友人はわざわざ調べたであろうwebページを開いて見せた。
そこに映る橙色の小瓶に、私はひどく心を揺さぶられてしまう。
 
「いや、邪道でしょ」
 
友人と別れるまで抑えていたそれを、顔に出さないように呻く。
純度100%の善意にひどい罪悪感を覚えながら、それでも私は喜んで賛同できなかった。
「だって、香水って」
偽物じゃんと、またこぼれそうになる悪意をなんとか口にとどめる。
……別に香水に対して何か恨みがあるわけじゃないのだ。
付けすぎなければいい匂いだと思うし、香水の瓶は可愛くて心くすぐられるものがある。
だけど、香水じゃダメなのだ。
「なんか違う」
この金木犀の香りを、あの美しい小瓶に閉じこめるのは、何かが違う。
「違うんだけど」
パッとする理由も思いつかないまま、私は未だにあの小瓶のページを見続けていた。
 
「いやあ、ここに来るのも久しぶりだなあ」
もやもやとした思いを抱えたままバイトに励んでいると、半年ほど姿を見せなかったお客さんがふらっとやって来た。
前に一度来たとき「おいしい!」と褒めちぎっていたのに、それ以来一度も来店しないまま。正直私も忘れていたし、声を聞いてようやくあの時のお客さんだと気が付いた。
……それと同時に、この辺に住んでいると聞いていたのに、ほんの少しがっかりしてしまったことも思い出す。
「お久しぶりです。何にされます?」
洗い場まで聞こえてくる雑談に耳を傾けながら、黙々と手を動かし続ける。
本当は私が聞きに行ってもいいのだろう。
でも、今更私が「お久しぶりです」なんて言いに行ってもポカンとされるにきまってる。
それに、これだけ間を置いてきたのだ。またすぐに来ることはないだろう。
……どうせ口ばっかり、なんて。
流しても流しても消えないモヤモヤに、いらだちも加勢する。
そんな私をよそに雑談はまだ続いていた。
「いや、もう愛想つかれたかと思いましたよ」
 
「だって、特別だから」
 
やけにハッキリ言い切る声に驚きながら、皿を落とさなかったことにホッとする。
……つまり、お客さんはこう言いたいのだ。
“特別だから毎日来ない”
それをようやく理解したとき、モヤモヤはすっかり洗い流されていた。
「特別だから」
たったそれだけの単純な理由が、最初から自分のものだったかのように口に馴染む。
……いや、最初から自分のものだったのだ。
金木犀の香りを、秋を香水に求めなかったのは、特別だから。
普段使いする香水の、その美しい小瓶の中身を、毎日振りかけるのは“特別”じゃない。
「好きだからこそ」
嫌よ嫌よも好きのうち、の反対。
好きだからこそ。甘い香りが鼻を掠めるその一瞬に、どうしても私は執着してしまうのだろう。
 
講義開始まであと30分。
十分間に合う時間に出てきた私は、いつも通りのペースで自転車を走らせていた。
グングン変わる景色の中、ただただペダルをこぎ続ける。
「あ、金木犀」
それでも、金木犀の香りが鼻を掠めるたび、私はスピードを緩めてしまいそうで。
「いや、また遅刻するから」
それもいいか、なんて思いを振り払って、今度こそ強くペダルを踏み込む。
秋のための一瞬を引き延ばさないように。
私の特別であるために。
好きなものは、ほんの少しでいい。

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2018-10-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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