地球上で唯一、僕が神になれる場所
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:黒崎英臣 (ライティング・ゼミ日曜コース)
地球上で唯一、僕が神になれる場所がある。神になれると言っても、特に僕が神になりたいわけではない。周りの人たちが勝手に僕を神のような扱いをするのだ。ハッキリ言って、僕はその扱いが気に入らない。煩わしいとさえ感じている。
その場所では、周りの人が僕の顔色を窺い、何をするにしても許可を求めてくる。もしも、僕の気に入らないことをすると、怒られると思っているのだ。神と言っても、全てを愛で包み込む菩薩のような神ではない。下手なことをしたら雷を落とすゼウスのような神なのだ。もちろん僕は、ゼウスのような怒りをぶちまけることなんかしない。どちらかというと菩薩側ではないかと自分では思っている。だがしかし、自分の評価と他人の評価は大いに違うのはよくあることで、地球上のその場所ではゼウスという評価なのだ。
なんか悔しい。なぜなら、その場所に愛情を注いでいるからだ。しかしだ、そうは見られていない。いや、僕の愛情は感じてくれているのかもしれない。が、その愛情があまりにも強すぎるのだろう。傍から見たら、狂ったように愛情を注いでいるその姿は、恐怖の対象になるのかもしれない。これは、大好きな人への愛情が強すぎて、恐怖を感じさせてしまうような感覚かもしれない。当の本人は、ただただ好き。しかし、周りはその振り切った想いに圧倒され恐怖を感じてしまうのではないだろうか。
僕が神となる場所では、僕はただただ好きなことを夢中でやっているだけだ。ただただ焚き火をしているだけ。それだけなんだ。しかし、好きすぎてこだわりが強いという点は否めない。焚き火台に井の字に薪を積み、専用のナイフで燃えやすくカットした小枝を詰め、ナイフとマグネシウムの棒で火花を飛ばし着火する。着火剤やマッチ、ライターなどは使わない。基本ナイフだけで火をおこす。着火した後は、ふいごと呼ばれる1メートルほどの長い鉄製のストローのようなもので空気を送り込み、小さな火を大きくしていくのだ。小さな火種が少しずつ枝に移り、徐々に火が大きくなり、やがて大炎となる。その瞬間が何ともタマラナイ。この喜びを肴に一杯やれるほど、至福の瞬間である。
しかし、僕の本番はこれからだ。焚き火は、火を着けることがゴールではない。焚き火によって、いかにキャンプやバーベキューを快適にすることができるか? そこにいる人たちを楽しませることができるか? が僕には大切なのだ。着火しただけではまだスタートラインに立っただけにすぎない。焚き火とともに幸せな空間をつくる。それが楽しいのだ。
例えば、調理。温まる焚き火と調理の焚き火は、火加減が全く異なる。調理をするときはそもそも、火は落ち着かせ、真っ赤に燃える炭が必要なのだ。薪に着いた火ではなく、真っ赤に焼けた炭で肉や野菜、きのこや海鮮などを焼く。遠赤外線でじっくり焼かれ、溶けだした肉の油が網の隙間から隅の上に滴り落ち、「ジュッ!」という音とともに肉の匂いが辺りを包み込む。よだれが止まらない。みんなが箸をとり、肉を口へと運ぶ。「ウマーイ!」そこら中から喜びの声と幸せそうな笑顔が溢れる。この瞬間を作り出すために、最適なタイミングで最適な温度になるように焚火の火加減を調整しているのだ。焼き肉を食べたいと思った時に、ベストな調理環境ができている。それが、焚き火好きの僕の信念なのだ。
僕は基本的にいつでも焚き火で調理ができるようにしている。だれでも、その火を使って調理して構わないし、火加減が弱いと感じたら薪を追加してくれて構わない。しかし、周りの人は僕に許可を取ってくる。
「肉を焼いていいですか?」
「薪をくべていいですか?」
いやいやいや、自由にしてくれて構わない。しかし、焚き火が僕の聖域だと感じているのだろうか、勝手に何かをしたら、僕に何か怒られると勘違いしているのだ。焚き火は僕のものではないし、聖域でもない。みんなが自由に使ってくれて構わない。しかし、僕の焚き火愛が強いばかりに、その場所が聖域と化し、僕の許可がなければ入ることができない、と周りの人に勘違いさせてしまっているのだ。「そんなに好きだったら、邪魔しないであげよう」そんな周りの人たちの優しさもとても感じる。いずれにしても、好きが強すぎると近寄る事に躊躇するような聖域となるのだ。
以前、ミュージシャンのGACKTがこんなことを言っていた。
「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」
今思うと、好きなことを狂ったようにやると、出過ぎた杭になるような気がする。好きなことを徹底的にやる。「そこまでやるの?」を周りの人が引くくらいまでやる。すると、そこが誰もが敬い、近寄りがたく犯しにくい聖域になるのではないか? そのように僕は感じる。しかも、聖域には人が集まってくる。もちろん、お金も。好きなことが出来る環境がドンドン出来てくる。好きなことをし続けられるのだ。本当に好きなことをして生きていきたいのであれば、まずは狂人になること。すると、次第に神になるのではないか? 僕は、そう実感している。
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