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22年のスランプが終わるとき


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:なつむ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
他の人からすればどうということもない、たった一つのできごとが、長い間、本人にも見えない、大きな足かせになってしまうことがある。
あなたが何かをできないのは、あなたのせいでは、ないかも知れない。
 
 
 
私はずっと、英会話に対して、とても大きな苦手意識を持って来た。
 
中学から大学院まで12年英語を勉強し、英語の論文誌に投稿した経験もある。就職後も海外渡航を伴う仕事があった。でも、話せなかった。特に聞き取る能力が低く、英語に対して全体的に苦手意識があった。
「会話のための教育を受けていないだけ」とも思ったが、手を変え品を変えて訓練しようとしても、続かなかった。
 
いつか英語が話せるようになりたい、でもどう取り組めばいいのかわからない。時間だけが過ぎ、そのうち、世の中のほうが変わってきた。
 
 
東京の街中に、本当に海外の方が増えた。私の勤務先でも、外国籍の社員が毎年数名ずつ採用されるようになった。関わろうと思えば、英語を話す機会には不自由しなくなってきていた。
 
 
英語に触れる機会が増えて初めて、私は「自分が、英語に対して、過度にストレスを感じている」ことに気がついた。
ごく簡単な会話の場でも、とにかく英語が辛い。「完璧に話そうとするからでは?」とアドバイスをもらうが、苦手や緊張というレベルを超えて、恐怖で顔がこわばり泣きそうになる。
英語を話せる人だけでなく、話せなくても楽しそうな仲間を見ているうち、私は、自分はみんなと違い、英語が「怖い」のだと、初めて自覚した。
 
 
英語を話す場で「英語が怖い」と正直に伝えると、少しストレスが和らいだ。でも、当然聞かれた。
 
「え、どうして?」
 
正直、自分でも、わからなかった。
 
 
 
ある日、その疑問は解消した。昔のとても嫌なできごとを思い出したのだ。
名付けて、セブンティ事件。
 
 
中学生になった春、公民館でネイティブの先生の英会話教室が開かれた。
そこで私は、17(seventeen)と70(seventy)を聞き分けられないという事態に陥った。
 
70の英語を知らず、”seventy”を聞いても”seventeen”と思ってしまう。
簡単なクイズでもやったのだと思う。17と答えて、 No. と言われた。何がどう No. なのか、わからなかった。
先生が答えを教えてくれて、「Repeat after me. Seventy」という。
「Seventeen」「No, no. Seventy」「Seventeen?」「No」
最後の“ん”が余計だということが、私はどうしてもわからない。恥ずかしくて声も小さくなる。そのうち、「なぜわからないのかわからない」とがっかりされてしまった。
悪意はなくても、外国人の先生の大きなジェスチャーと、「解説もないまま、何度もNoと言われた」経験は、私を萎縮させた。
 
 
 
大人になって思い返せば、笑ってしまうほどのできごとだ。
そんなことで英語がまるごと怖くなるのか。
信じがたい気持ちの一方で、ひどく納得した。
そう。私は「私には英語はわからない」「英語は恐ろしい」と思い続けてきた。
あの日から、無意識の記憶の奥底でもずっと、そう思っていたのだろう。
 
 
理由がわかった私は、とりあえず英語習得を忘れてみた。
英語? 無理! 怖い! そう素直になる。
話せないままだけれど、スッキリした。
苦手という曖昧な言葉でなく、怖いとハッキリ言うことで、楽になった。
 
 
 
捨てる神あれば拾う神あり。そこへ、救世主現る。
 
社外の勉強会に英会話の部活があり、現役英会話講師や英語で仕事をしているメンバがいた。英語が怖いと言ったら、「全然大丈夫、行ける行ける」と即答。「本当にいけますか?」「いける! 余裕!」彼らの笑顔は、とても力強かった。
 
新しく初級者向けの勉強会を始めるという誘いを頂き、参加すると、本当の初級者向けに、英文の骨格を最大限簡単にして、それを捕まえるようにと教えてもらった。
とてもわかり易くて、そして、今まで参加した英語系の授業で一番、楽しかった。
 
折しも、1週間後に英語を使う仕事の予定。いつもなら、余計なことはせずにやり過ごす場面だ。
でも、チャンスでもある。
勇気を出した。
勉強会後のチャットで、私は思い切って、仕事で必要とされている事柄について、英語でどう伝えればよいか聞いてみた。講師の人は、時間を割いてやり取りしてくれ、私が仕事でそのまま使える英文例を教えてくれた。
 
 
1週間後。英語話者の新入社員に、会社のルールを説明する業務。英語の資料を使うが、私と同僚は日本語で説明し、英語の得意な社員に通訳してもらう。
最後の締めに、教わった英文を言おうと、私は計画した。
 
せっかく時間を割いて教えてもらった英語、タイミングを逃さずに言えるか。緊張しながら場に臨んだ。
 
説明を開始し、英語での通訳が始まった、その時だ。
英語を話す場面よりももっと前に、奇跡は訪れた。
 
 
生まれて初めて、英語が聞こえた。
 
そして、英語が怖いという感情が、全く出てこなかった。
 
感動というよりも、あっけに取られた。
 
 
自分自身に戸惑いつつ、懸命に内容を説明するうち、私は説明に英単語を混ぜ始めた。自然と英語に接しようとする、新しい自分が、そこにいた。
 
 
そしていよいよ、説明の、締めのタイミング。
私は、勇気を出して、用意してきた英文を、自分の言葉として、話した。
平易な、3文の英語だった。
 
聞いている彼らの態度はもともと熱心だったが、その時私が初めて、まとまった英文をゆっくりと言い始めたので、改めてしっかりと聞いてくれた。そして、うなずいてくれた。
最後に、笑顔で Thank you for your cooperation. ご協力ありがとうございます、と付け足すと、場は程よい感じに締めくくられた。
 
 
 
私は、ガッツポーズをしそうなほど、嬉しかった。
他の人英語が、今までより聞きとれた。
英語で伝えようという自然な姿勢が、自分から出てきた。
形式的な業務連絡ではなく、業務上「自分の伝えたい思い」を、準備した内容で、英語で直接、伝えることができ、受け取ってもらえた。
ほんの少しでも、仕事で、英語を使えた。
英語が、怖くなかった!
 
 
私の中にあった「英語怖い・嫌い・できない」という得体の知れない黒い塊は、明るい光に当たって溶けていき、この日、22年に渡った私のスランプが、終わりを告げた。
 
 
 
人の心の奥底には、思いもよらないものが眠っていることがあるのだと、改めて思った。
今の時代は色んな人とつながることが楽しくて、自分自身のことに十分目を配るのは難しいけれど、もしかしたら、自分の心の奥底で、気づいてもらいたくてもぞもぞしているもうひとりの自分が、まだ他にも、いるかもしれない。
あなたも、思いもよらないところで、何かに精神的なブレーキがかかっていないだろうか。
 
英語が怖い。これに気づくところから、私の旅は始まった。
たくさんの人に助けてもらって、這い出してくることができた。
 
22年、長かったからこそ、抜け出した爽快感も格別。
私はこれから、改めて、ワクワクした気持ちで、英語を学び直していくつもりだ。

 
 
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2018-12-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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