忘れたくない想いを保存しておきたい時に必要なもの
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高木英明(ライティングゼミ平日コース2018年10月開講)
「お母さんの行方が何日も前からわからなくなっている」
実家の近所の人から連絡を受けた時、仕事が忙しかったこともあって、「どうせまた飲み歩いているんでしょう。そのうち帰ってきますよ」とそっけない返事を返して一度はけむに巻いた。 だがしばらくすると、今度は警察から電話がかかってきてしまった。
「肉親は貴方しかいないのだから」と説教されて、仕方なく新幹線に乗って実家まで帰省した。高校卒業と同時に上京して以来、実に10年ぶりの里帰りとなった。
プレハブ造りの一軒家は記憶に残っていたイメージよりもだいぶ小さく見えた。玄関を開けると強烈な悪臭が鼻をつく。荒れ果てた玄関に足を踏み入れ、家の奥まで入ってみたが、何に使うのかよくわからない物やゴミなどが足の踏み場もないほど散乱していた。部屋の一番奥に置かれた勉強机は昔と変わらぬ場所に置かれている。家の中はゴミ屋敷のようだったが、机の上だけは10年前と同じく綺麗なままになっていた。ただひとつ違うのは、机の上に白い袋が一つポツンと置いてあったことだった。
「まだあったのか」
その袋には見覚えがあった。この家を去った日、就職祝いにと母親がくれたものだ。
「コンピュータの会社に行くなら必要だろうから」と母親から手渡された。しかし中身を見て呆れてしまった。
「なんだコレ。これからの時代、こんなもん使い道ねえよ。コンピュータのプロになるんだぜ?」俺はそう言って袋ごと机の上に放り投げた。
子供の頃から家の中はいつも散らかし放題で、母親が片づけをしている姿は記憶の中に一切残っていない。小学校に入った頃から掃除はいつも俺がしていて、頑張って綺麗にしたと思ってもその数日後には母親と、彼女が連れてくる男たちによって元の散らかし放題の状態に戻った。
こんなちっぽけでゴチャゴチャしている家なんてうんざりだといつも思っていた。だらしのない母親のことも、彼女が連れてくる男たちの事も大嫌いだった。いつか出て行ってやると思いながら、学校から帰ると毎日家の整理整頓をしていた。夕食後の片づけをしている時間にテレビをつけるといつもドラえもんが放映されていて、それを見ながら掃除するのが楽しみだった。四次元ポケットには便利なものがたくさん入っていて、どんな物でも収納できた。うちにもそんな便利なものがあれば、不要なものは全部しまい込み、必要なものを必要な時だけ取り出して使えるのにと思った。
片付けたり、収納したり、整理したり。そんな生活を続ける自分にコンピュータの世界は性に合っていたのかもしれない。初めてパソコンを入手したのは20年位前のことで、小学校の時に友達から譲り受けて手に入れた。日記や宿題で作成したデータはいつもフロッピーディスクに保存していた。家の片付けが終わると学校の授業でメモしたノートの内容を夜な夜なパソコンに打ち込んではフロッピーに保存した。フロッピーの物体としての大きさはちっぽけなものだったが、とにかく何でも入る、大量に記憶できる、薄い一枚の中になんでも片付いてしまう気がして、その便利さに心惹かれた。家の中にもフロッピーやドラえもんのポケットのような、なんでも収納できる小さな入れ物があればいいのにといつも思っていた。
母親が見つかったと警察から連絡を受けたのは、実家に戻ってすぐの事だった。
「夜道で転倒して、通行人の通報で救急搬送されていたそうです」
警察からそう知らされて、すぐに病院へと駆け付けた。怪我は大したことないが自分の住所も言えず、言うこともチグハグで身元を確認するのに時間がかかったらしい。
「若年性の認知症があるようですね」と看護師から説明を受けた。「このまま一人暮らしは無理があるんじゃないでしょうか?」
10年ぶりに会う母親はまるで老婆のような風貌だった。痩せこけた顔でベッドに横たわる彼女は俺を見るなり、「また怖い顔をして」と言った。
「そりゃこっちのセリフだ」と俺は言い返した。「さっきうちに寄って来たけど、あれじゃゴミ屋敷じゃねえか。ちょっとは掃除しろよな」
そういうと母親は困ったような顔をした。「息子がそのうち帰ってきて整理整頓してくれるんじゃないかと待っとるんよ。あれは身体は小さいけど何でも片付けてくれるから」
「は? 息子がって、アホか。人をフロッピーみたいに言うな」俺はそう言ってカバンから白い袋を取り出し、母親の目の前に突きつけた。「これ出て行った時にくれたやつだろ。机の上に置きっ放しになっとった」そう言いながら俺は袋を開けて、その中から一枚のフロッピーディスクを取り出した。「こんなのいつまでとっといてんだよ」
「勝手に持ってきたらいけん」母親はそう言って手を伸ばして俺からフロッピーを奪い取ろうとした。「それは息子が大事にしてるものだから」
また息子が、って。もしかして俺が誰だかわかってないのか。
「いまどきフロッピーなんか誰も使わねえよ」俺はフロッピーを握った手を引っ込めた。「だいたい死語だろ。フロッピーなんて」
「返して。あの家にあるものは全部捨てたらいけん」母親は泣きそうな表情になっていた。
「息子が片付けに帰ってきてくれるんよ。あの子はコンピュータが得意で、フロッピーになんでも保存できる子なんよ」
やはり俺が誰なのかわかってないのか。家を出てから10年の月日が経っていた。フロッピーに無限の容量があると信じていた頃もあった。だがフロッピーにはスマホで撮った一枚の写真すら保存できない。そんなフロッピーにいまさら何を保存しろというのか。
「さっきもスーツの人に施設に入れとか言われたけど」母親は涙目で俺を睨んでいた。「そん時も言うたけど、あの家を出る気はない。家はちっちゃいけど私の大事なものは全部あっこにあるから。そのうち息子が帰ってきて整理整頓してくれるんよ」
「わかったよ」と俺は言った。わかったよ。あの家に居たいなら居ればいい。「俺が病院の人にも言っておくよ。そんなに住みたいのならずっと住めばいい」
東京に戻る前にもう一度実家に立ち寄って掃除して行こうかと思ったがやめた。そんなことをしたら母親は混乱してしまうだろうと思った。容量一杯のフロッピーのように、あの家にはもう俺が生活するスペースは残っていない。だからせめて、息子が帰ってきて整理整頓してくれるかもしれないという希望だけはあの家に残しておいてやらないといけない。退院後は施設ではなく本人の思うように生活させてやってほしいという家族の意向を病院に伝えたあと、ゴミで一杯になってしまった実家には立ち寄らず、俺はそのまま東京へ戻る新幹線に乗った。
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