メディアグランプリ

阪神大震災の物語~悲しみと幸せのボーダーライン~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松原 さくら(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
 
「ゴゴゴーッ」
まだ日が昇る前の暗い早朝に目が覚めた。その瞬間、何が何だか解らなかった。気づいたらゴーっという大きな地鳴りがして、地面がグラグラと揺れていた。テレビが台から落ちて洗濯機や冷蔵庫が倒れた。
「地震だ!」
揺れている2分程が余りにも長く感じた。怖くて動けない。
「今のが横揺れだとしたら、次は縦揺れだ」
すぐに激しい縦揺れが来た。遠くまで地面がゴーっと音を立てている。布団の中で頭をかかえてじっとしている他、どうすることもできない。
揺れが治まって、しばらくすると外が少し明るくなってきた。太陽ではなく、火事だった。停電で真っ暗な街で、そこだけボーっとオレンジ色に光っている。
 
 
 
どうしようもない大きな川の流れに巻き込まれるような経験をして、すっかり自分が変わってしまったと感じた出来事がある。
 
その最も大きな出来事の一つが「阪神大震災」だ。
大学生の私は、神戸市で一人暮らしをしていた。須磨区と長田区の境界線辺りは交通の便が良い繁華街で、古くから続く商店街があちこちにあって活気に満ちていた。
 
「このお魚、何ていう名前?」
「これ? これはサワラや」
「どうやって料理するの?」
「塩焼きでも良いし、酒と味醂と白味噌に1晩か2晩漬けといて焼いても美味しいし、煮つけにしてもええよ」
 
商店街で買い物をすると、親切に教えてくれる。初めて一人で暮らす私がなんとか料理が出来るようになったのは、商店街の人たちのお蔭だ。
様々なバイトもした。早朝からパン屋でサンドウィッチを作ったり、小さな喫茶店でウエイトレスをしたり、大人になりきれていなかった私を神戸の街が育ててくれた。
 
ある日、大学の論文がなかなか進まず発表まであと2日に迫り、私はどうしようもなく追い詰められていた。
「あー、もうこの世界がひっくり返るような出来事が起こって、全て混乱してしまえば良いのに。そうしたら論文はチャラになるかも知れない」
私はついそんな風に思っていた。そんな事は起こるはずがなかった。ただの私のわがままで非力な妄想だった。
その筈だった。
 
 
しかし、その翌朝、神戸と淡路にマグニチュード7.3の記録的直下型大地震が発生した。死者およそ6千人、家屋の全壊約19万世帯、全焼約7千棟、ビルやマンションも軒並み倒壊し、高速道路の橋脚も倒れ、激甚災害に指定された、歴史的な大規模災害だ。
 
 
日が昇り明るくなってから外に出ると、周辺の木造家屋は軒並み倒れていた。いつも一緒にバイクで走っている友人達と合流し、街のあちこちを見て回った。道はどこも地割れがしてデコボコになっている。電線もあちこち垂れ下がっていて、車は通れない。大勢の人が何も話さずに黙々と街を歩いていた。自己判断でデコボコのアスファルトを直している人たちがいた。
 
その状態が3日間続いた。それは、「救急車も消防車も自衛隊も来ない。店に品物がない。水も電気もガスもない。もちろん電車もバスも動かない」そういう状況だ。
皆、生活に困っていた。そしてとても不安だった。倒壊した家の下敷きになった人の救助ができないことや、火事がどの辺りまで来たか、という話を皆が自然とあちこちでしていた。
 
バイト先の商店街にも、少しずつ火事が迫ってきた。
「あそこのお婆さんはまだ倒れた家の1階に埋もれたままやねん」
「あかん、もう駄目や。火がまわってきた」
「ああ、家にも火が移った」
皆が堪えきれずに泣いている。消防車が来ても水が出ない。なすすべは何もないのだ。
 
幹線道路を中心に経験したことのない大渋滞になり、救急車も消防車も立ち往生していた。一区間進むのに何時間もかかる程だ。私たちはバイクで渋滞をすり抜け、少し離れた街まで買い物に出かけることができた。
 
そうして、後輩が全員実家に帰省していることを確認しても、私は神戸に残った。
「何か私にできることがあるのではないか」
余りにも大変な事態になっている。少しでも役に立ちたいと思い、市役所でボランティア登録をした。
「ボランティアの皆さんにしてもらいたい事は山ほどあるのに、職員も被災して混乱し過ぎているので、指示ができないのです」
市の職員も混乱していた。
 
結局、私にできることは何も見つけられなかった。
大学の論文発表は全員中止になり、混乱の中、試験もそこそこに大学を卒業した。
私は4月から就職するために神戸を離れた。
 
 
 
なぜあの日、私は世界がひっくり返って混乱すれば良いなんて考えしまったのだろう。
私の妄想がたとえ地震発生とは無関係でも、そんな事を考えてはいけなかった。この世の中が少しでもより平和でハッピーになるように願わなければいけなかった。
 
あれ以来、私は危機感や焦燥感から逃れられない。この出来事以降、私は防災や命を守るテーマで何かをする時、がむしゃらに頑張るようになった。
「小さな思いやりが誰かの命を救うかも知れない。防災の取り組みが、誰かの心に届くかも知れない。私が沢山勉強すれば、傷つかずに健やかで平和に暮らせる命を少しでも増やせるかも知れない」
近年、異常気象が増え、地震の頻度も高い。その度に私の中でアラームが鳴り響き、モチベーションが上がる。
 
河合隼雄著「しあわせ眼鏡」という本に、「幸福とは深い悲しみに支えられていない限り浮ついた厚みのないものになる」と書かれてある。
誰かのために努力したいと感じて行動できる今は、以前、自分の我がままでしか行動していなかった時に比べて、きっと幸せなのだろう。
 
世のための行動と言っても、何が正解かは解らない。
それでも、「誰かのために私にできること」を探す旅をこれからも続けていこうと思っている。

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2018-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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