迷子になってしまったら、そこには新しい扉が待っていた
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:小山 美和(ライティング・ゼミ平日コース)
私は迷子になってしまった。
迷いに迷って、自分がどこにいるのかさえ分からなくなってしまった。
それはライティングゼミに通ってからしばらく経ってからのことだ。
実際に道に迷ったのではなく、心の中というか、頭の中というか、何に迷っているのかさえ分からない状態になってしまったのだった。
もともとものを書くのが苦手な私は、日々会社のブログを書くのさえ困っていた。
私は、社内ベンチャーのようなものでブランドを立ち上げさせてもらっていた。
そのブランドを多くの方に広めるために、ブランドのブログを書いていた。
少しでも多くの方に、このブランドに興味を持ってもらいたいと思い始めたブログだった。
世の中にはいいものは溢れているし、値段が手ごろなものも、どこに行っても買える。
それでも、他のものとどう違うのか、なぜいいのか、伝えたいという思いがあり、見ている方に有用なことを書けば見てもらえるのではないかと思っていた。
でも、一方的に思いや良さを伝えてとしても、それは重いし、余計なお世話なのだ。と私自身が消費者としても、実感していたことだった。
1日のPVは、平均30PVとかなり少なく、それも以前書いていた同じ記事が読まれていた。
その過去の記事は、製品の成分について書いており、お世辞にも読みたくなるような記事ではなかった。
それでも、この成分について書かれている他の記事がないからか、検索すると私の記事がヒットするようだ。
検索して探した記事が、この私の記事なんて調べた人に申し訳なく思う。
あまり、自らの商品を褒めることに気が引けるし、そもそも、そんな記事はみんな読みたくないだろうし、そのせいで当たり障りない記事になってしまっている。
では、どうやって伝えたらいいのだろうか、ただでさえ書くことが苦手なのに。
そんなときだった、天狼院書店の京都店のスタッフが声をかけてくれた。
「そんな悩みを持った人が参加するのがライティングゼミですよ」
一瞬目の前が明るくなった。
「必ず書けるようになりますよ」 レジの中にいる彼女が光って見えた。
前から存在は知っていた天狼院書店に訪れたのは、その日が初めてだった。
自宅から2時間以上かかるお店には、次いつ来れるか分からないので、気になった本は全部買おうと決めていた。
何冊か買おうと決め、手に持って「他にもおススメはないか?」と聞いてみた。
そして、雑談をしていてゼミの話になり、ライティングゼミに参加することをすすめてくれたのだった。
ブログがサクサク書けるようになったらいいなと、始めは軽い気持ちだった。
紙袋を二重にしてもらい、収穫物を持って、新しい始まりを楽しみに帰って行った。
ゼミが始まり、なんでもいいから、日々感じていることでも書いてみようと思い、たわいのない日々のことを書いてみた。
こんなこと書いて、みんな面白いと思ってくれるのか? 読んでくれるのかな?
不安に思いつつも、書いてみると楽しい。 なんだろうこの感覚は。
自分のことを書いて、自分の知らない方たちに読んでもらう。
なんだかとても恥ずかしい、だけど、気持ちは晴れやかだった。
そして、もっと書いてみようと思ったら、あれ? 書けないのだ。
とても分かりやすく教えてくれているにも関わらず、一向に書けないのだ。
今まで、書くことと無縁な生活をしていたし、物書きになりたいと思ったこともなかったからなのか、毎週書くということが難しいのだ。
読み手を意識するあまり、こんなこと書いても面白くないし、誰も知りたくないよ。と思うと、書いては止め、書いては止めを繰り返すうちに何を書いたらいいのか何も分からなくなってしまった。
私は、あまりにも人の目を意識し過ぎているのではないか?
もしかして私は、自意識過剰なんじゃないだろうか?
私は、子どものころからかなりの恥ずかしがり屋だった。
あまり前へ出るのは好きではなかった。
だけど、最近では年齢のおかげか、随分図々しくなってきて、どこが恥ずかしがり屋なのか? と言われるようになってきていた。
それでも、書くことを通して、本来の自分と対峙するようになったのではないだろうか?
表面上では図太く強くなったように思える私でも、中身の自分は弱いままなのではないだろうか?
書くことは、自分の中から出てくる、自分の中に何もなければ何も出てこない。のではないだろうか?
書けない私は、中身が無いのだろうか?
もうこうなったら、頭の中がライティングゼミでいっぱいになってしまい、多くの仕事を抱えつつも、心がそちらに向かない。
職場では日々判断していかないといけないことの連続なのだが、心が迷っているせいか、歯切れのよい決断が出来ない。
なぜ、心がこんなにも持って行かれてしまうのだろうか?
ブログを書こうと思っただけなのに……
書き始めてから感じていたことなのだが、書くという行為というよりも、なにか大きなものと向き合っているような感覚があったのだ。
それがなにかは分からなかったのだが、毎週毎週向き合っているうちに、これは自分の心と過去と向き合っているのだと感じ始めた。
書くことを通して、自分の心を探り、嫌だと思っている現在の自分と過去の自分を見つけてしまったのではないだろうか?
今まで、無意識のうちに気付かないふりをしていたのではないだろうか?
自分が好きではない弱い自分から卒業しようとしているのではないだろうか?
モノを書くことは心を開かないといけないのではないだろうか?
そして、その心を開くことに私の心が怖がっているのではないだろうかと思う。
書くことはセラピーに似ている。
自分で自分を顧み、癒す自己完結型のセラピーだ。
そして書くことを導きサポートしてくれる「ライティングゼミ」は、カウンセラーのようだ。
気付いているのかどうか分からないが、自らが指摘することはないが、自分で気付けるように導いているようだ。
自分の心を開き、さらけ出すことは恥ずかしいことでもなんでもない。
私は、書くことを通して、新しい扉を開くことが出来た。
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