メディアグランプリ

浦島太郎が玉手箱を開けた本当の理由


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高木英明(ライティングゼミ 平日コース)

「もし昔の自分に戻ることができるなら、何歳に戻りたい?」
年に一度だけ訪れるその場所で、いつも彼女がしていた質問のことを思い出す。その場所は彼女の住む町と本州とをつなぐ大きな橋の入り口にあって、僕は毎年一月になるとその墓地を訪れることにしていた。

彼女が眠る墓の墓石はとても小さくて、その側を通るとき、あやうく通り過ぎてしまいそうになる。墓の正確な場所、周りの風景などを目に焼き付けようとするのだが、次の年もやはり、どこだったかわからなくなり、たどり着くのに苦労するのだった。

墓の前に花を供えたあと、桶を持って橋の下の川に移動する。水を汲むために腰をおろすと、水面には白髪の増えた自分の姿が映っていた。
彼女が亡くなってから十年以上が経つ。だが、水面に映る自分の姿は、まるでそれ以上の月日が流れたのではと錯覚するほど老けてみえた。

僕と彼女は、民話などの話題を扱うコミュニティサイトで出会った。当時そのサイトでは、「なぜ乙姫様は浦島太郎に玉手箱を渡したのか」というテーマで盛り上がっていた。乙姫様と暮らした浦島太郎は龍宮城を離れ、数百年後のふるさとに帰郷する。当然、知人は誰もいない。そんな彼の孤独を救済するために玉手箱で老化させたという説、故郷の女との浮気しないよう乙姫様が嫉妬したという説など、諸説入り乱れて議論が行われていた。そんな時に一枚の美しい写真がサイトにアップされた。浦島太郎伝説のモデルとなった土地の話題に絡んで彼女がアップしたものだった。とても美しい風景写真で、僕は一瞬で心惹かれた。

写っていたのは、山と山を結ぶ大きな橋だった。橋の下を流れる水は川というよりも海を連想させた。僕はどうしてもその橋が見たくなり、彼女にメールを送って、案内してもらうことになった。

年上の女性だったが、実際よりも若く見えた。一回りも年が違うのだが、精一杯の若作りをしていたのかもしれない。僕たちは橋の上を歩きながら、浦島太郎の話題で盛り上がった。玉手箱問題に関して、僕は浦島太郎の孤独救済説を信じていたが、彼女は乙姫様の嫉妬説を信じていた。
「残酷よねえ。一瞬で年老いてしまうなんて。嫉妬はこわい」
「うーん。僕はやっぱり孤独救済説を信じるかな。老いてすべてを忘れる。忘却は人間にとっての救いだって太宰治も言ってるし」

それ以降、僕たちは時々会うようになり、やがて恋愛関係になった。会うといっても、東京に住む僕にとって、その場所までたどり着くのに半日はかかった。可能な限り有給休暇を取得して、彼女との逢瀬を楽しんだ。

彼女との幸せな日々が続き、僕は結婚を意識するようになっていった。いっそ転職して移住しようかと考え、彼女に提案してみたのだが、
「こんなおばさん、やめときなさい」と笑ってはぐらかされた。
おばさんなんかじゃない、と僕は主張したが、彼女は苦笑するばかりだった。
「私がもっと若ければね。昔の自分に戻れたらいいのに」と彼女は言った。「もしあなたが昔の自分に戻れるなら、何歳のころに戻りたい?」
そんな風に質問を返されて、僕は答えに詰まった。その時はなんとなく、元気で、人生の可能性がいっぱいあって、見た目も今よりは多少魅力的な一八歳くらいの年齢をイメージした。

遠距離恋愛は三年ほど続いただろうか。ある時を境に突然彼女と連絡がとれなくなった。メールしても携帯にかけても、一切の反応が戻ってこなくなった。心配になった僕は、すぐに現地へ飛び、例の橋を渡って彼女の住む町へと足を踏み入れた。正確な住所を知らなかった僕は、名前や写真を頼りにあちこちの民家や通行人に聞いてまわり、ようやく家を探り当てることができた。

彼女はすでに亡くなっていた。両親と三人暮らしだったが、ここ数年は進行性の病気で闘病生活を送っていたということだった。たびたび逢っていたのに、そんなことにはまるで気が付かなかった。
「娘からあなたのことは聞いていましたよ」と彼女の母親は言った。遺影の前で線香をあげた後、彼女の終末期の様子についての話を聞かせてもらった。
「『好きな人はいるけれど、まだ若い人で、たくさん可能性のある人だから、私みたいな女と結婚させたらかわいそう』と言っていました」

そのあと、両親の案内でお墓に向かった。涙が止まらず、道中、僕はずっと泣き続けていた。
橋の下の墓地で、彼女は安らかな時間を過ごしていた。墓石はとても小さく、周辺は雑草が伸び放題になっていた。

それから毎年、命日には墓参りへ行くようになった。当時まだ二十代だった僕も、今では頭髪に白いものが混じるようになっている。体力も落ち、忘れっぽくもなった。彼女との記憶は日々薄れていく。交わした会話、表情、墓の正確な場所さえも、思い出すのに時間がかかるようになった。

川の水面に映る白髪交じりの僕の顔はまるで老人のように見える。
でも、悪くないな、と思った。
「もし昔の自分に戻ることができるのなら、何歳に戻りたい?」
彼女の質問がよみがえる。昔は、若返ることは素晴らしいことだと信じていた。でも今はそう思わない。若き日に戻ることで、彼女と過ごした時間や思い出が、存在しなかったことになるのであれば、虚しいだけだと思った。誰も知人のいない浦島太郎の故郷と同じで、その場所に彼女も、僕と時間を共にしてきた大事な人たちも居ないのならば。

もしかしたら、と僕は思う。
浦島太郎は、乙姫様との思い出を失いたくなかったからこそ、玉手箱を開けたのではないのか。
太宰治がいう忘却のための老化ではなく、浮気防止のための乙姫様の陰謀でもない。
玉手箱が浦島太郎を老化させたのではなく、大事な人と過ごしてきた自分自身の老いた現在を、浦島太郎は自ら受け入れたのだと思った。
白くなった頭髪も、崩れた体型も、忘れっぽくなった記憶力も、歳を重ねた心と体は、大好きだった人と共に生きた証そのものなのだから。

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2019-01-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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