メディアグランプリ

本当の優しさと想像する力~Bridge over the troubled water~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高木淳史(ライティング・ゼミ平日コース)

「あなたは優しい人なの。どんな人に対しても優しいと思う。でもね、みんなに優しいっていうのは誰にも優しくないのと同じことなんだよ?」

ちょうど年が明けた肌寒い頃、大学一年生の僕はこんな哲学的な理由で当時付き合っていた彼女にフラれました。この哲学的な問いかけは当時の僕には理解することが難しく、それと同時に僕の考えの土台を築き上げてくれる思い出深いものになるのです。

彼女は大学に入って初めてつきあった女性でした。同じクラスの同級生で、友達数人とご飯を食べたのがきっかけで仲良くなり付き合うようになったのです。ほぼ毎日一緒に過ごし、ささいなことで笑い合い、時に喧嘩をしながらも、楽しい時間を過ごしていました。若気の至りといえばそれまでかもしれないけれど、その時の僕は彼女のことばかり考え、何をするにも彼女が中心。結婚するならこの子しかいない。そんなことを考えてしまうくらい、日々の生活のすべてが輝いていたのです。

ですが別れは突然やってきます。ある日彼女の家に行き、いつも通り晩ご飯を一緒に食べて、いつも通りテレビを見ていたとき、ふいに彼女から「別れようと思ってる」と言われたのです。晴天の霹靂とはまさにこのことを言うのでしょう。その瞬間、僕は頭の中が真っ白になってしまい、情けないことに「なんで!?」と感情にまかせ声を荒げることくらいしかできませんでした。

あんなに一緒だったのに。あんなに楽しいクリスマスを過ごしたのに。しばらくは心が空っぽのままで、何においてもやる気がおきませんでした。授業にも全く身が入らないし、バイトをさぼることもしばしば。一人でボーッとしてただ時間だけが過ぎていく。そんな廃人のような生活をしていました。

でもそんな廃人生活の中でもずっと考えていたことがあります。

「みんなに優しいのは優しくない。」

そう、フラれるとき彼女に言われたあのセリフです。あれはいったいどういう意味だったんだろう。その答えを聞くわけにもいかない僕は、弱った心のままその答えを考え続けていたのです。

僕は僕自身のことを「優しい」なんて思ったことはありません。たしかにその時の僕は彼女のことを第一に考えて頑張ってきたつもりでした。似合うと思ってプレゼントを買いましたし、クリスマスには美味しいお店を予約しました。バイト帰りには一緒に食べようとコンビニスイーツを買って帰り、映画も一緒にたくさん見に行きました。

僕が優しいと言われればそれは嬉しいことです。でもそのすべては彼女のためであり、彼女の笑顔を見たいがためであり、いうなれば何一つ無理をせず自然体のままやっていたことでした。それは他の人に対してもきっとそうだったんだろうと思います。だからこそ、「優しい」を考えようにもよくわからなかったのです。

僕が自然にやっていることを「優しい」こととするならば、「優しい」を「優しくない」にするには無理をしないとできません。頑張って無理をして「優しくない」をする。意味不明にもほどがあります。それはまるで、無意識にしている呼吸を意識しながらしろと言われているみたいなもので、当たり前にしていることをしないようにすることの方が難しいものだと思うのです。彼女とヨリを戻すには「優しくない」をしないといけないのだろうか。そもそも「優しさ」ってなんなんだ。本屋に通っては「優しさ」について書かれた本を探してみたり、恋愛ものの漫画や映画を見てみたり。

それでも答えらしきものは一向に見えてきません。僕の心は完全に袋小路に迷い込んでしまっていたのです。

それでも時間が経つと失恋のダメージも回復するもので、「優しさ」に関する悩みも少しずつ薄れていき、いつのまにか頭の片隅に追いやられ、考え悩む時間もなくてなっていきました。

それから数年の時が経ち。

僕は歯科医師になりました。研修を終えたばかりの僕はまだまだできないことが多く、毎日の診療と勉強に明け暮れ、忙しくも充実した毎日を過ごしていました。

そんなある日、診療でご一緒したある先生と晩ご飯を食べていた時のことです。その先生とこんな会話をしたのです。

「そういえば先生はお盆休み、帰省されたのですか?」
「帰ってないよ。でも親戚が集まって旅行に行くから、少しだけお金を送ったんだよ」
「へーすごい。ちなみにいくらぐらいです?」
「20万円かな」
「え、すご!すごい太っ腹じゃないですか!」
「まぁでも帰省できないからね、これくらいはしてあげないと」
「でもその20万円があれば、先生が旅行行ったり美味しいもの食べに行ったりできるじゃないですか。そんなことは考えなかったのですか?」
「んー、例えば僕がこの20万円で美味しいものを食べたとしても、それは僕一人分の幸せで後には何も残らないでしょ?でも旅行に使ってもらえたら、この20万円は親戚みんなの幸せになって、しかも思い出として後々まで残るじゃない。そっちの方がいいなと思うんだよね」

先生の話を聞いた瞬間、あの時悩み苦しんでいた「優しさ」問題をふと思い出し、唐突にその答えがわかったような気がしたのです。

「優しさ」っていうものがあるとすれば、目の前にいる相手のさらにもう一つ先のことまで考えてあげられる想像力のことなんじゃないかなと気づいたのです。誰かに何かをしてあげることはできるけれど、優しい人はそのもう一歩先まで考えることができる想像力を持っている人なんじゃないだろうかと。

20万円を自分のために使うのか、親戚の旅行に使うのか。同じものでも価値を大きくすることができる方を先生は選び、そしてそこには見返りを求めていませんでした。

少なくともあの時の僕は彼女にとって優しい人でいようとしていました。それは間違いありません。でもその反面、優しさを相手に押し付けて、彼女からの見返りを求めていたような気がするのです。それは優しさという仮面をかぶったエゴでしかありません。目の前の相手の先に自分を想像してしまうのなら、それは見返りを求めたエゴでしかないのです。もちろん、恋愛ならそういう瞬間があってもいいでしょうが、でもずっとそういうわけにはいかないのです。

僕はやっぱり本当の意味で優しい人でいたい。

優しさは時には心が痛むものかもしれません。別れの言葉であれば、言う方も言われる方もきついもの。でもそのきつさを踏まえて、相手の一歩先の未来を想像してあげる。それこそが本当の優しさなのかもしれないのです。

あの時の彼女が言っていたことが本当はどういう意味なのか、いまでも正直よくわかりません。でもあの言葉をきっかけに、僕は自分と向かい合い、自分なりに「優しさ」について考え、少しだけ成長することができたのだと思います。もしかすると、彼女はあの言葉を僕にかけることで、僕が成長した未来を想像してくれていたのかもしれない。そう、本当に優しかったのは彼女だったのです。そんな彼女もいまは二児の母親になりました。きっとその子供たちの未来を考えながら、いまも優しい人であり続けているのだろうと思います。

僕もあのときの彼女が僕にしてくれたように、そしてきっと今もそうしているように、本当の意味で優しい人でいたいと思います。
毎年この季節になるとそのことを思い出すのです。

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2019-02-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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