人は狂に酔いしれ、狂に踊る〜祭りと小劇団論〜《天狼院通信》
天狼院書店店主の三浦でございます。
ある日、天狼院フォト部マネージャーのなっちゃんがとても嬉しそうな顔をしてこう僕に言いました。
「フォト部がお祭公認になりました!」
僕の頭の上には大きな「?」が浮かんでいたことでしょう。
何を言っているのか、さっぱりわからなかったのです。
「今度のフォト部、東京大塚阿波踊り実行委員会さんに問い合わせしてみたら、実行委員会公認で本部テントの近くで全員で撮っていいって言われました」
「へ? フォト部が? 全員が? 公認?」
「はい!」
満面の笑顔で言うなっちゃんですが、僕は正直、半信半疑でございました。
いや、天狼院フォト部って、天狼院の部活じゃないですか。
本当に楽しみながら学ぶ部活で、僕を含めて超初心者の方も多い。
それが、公認?
そんなわけで当日まで、いまいち信じられませんでした。
その日はちょうど有名な高円寺の阿波おどりも開催されていた日で、天狼院フォト部顧問プロカメラマンの榊さんに聞いても、
「大塚6年住んでいたけど、行ったことないよー」
ということは・・・・・・
なっちゃんの幻想?
はたまた、新手の詐欺?
それか、なんか、町内会が小さな公園でやっている規模のお祭?
そもそも、本当にあるの?
なぞと、様々な疑惑が頭の中を渦巻きますが、天狼院フォト部、とにかく、一人だけ自信満々のなっちゃんを先頭に天狼院のすぐ近くの雑司が谷駅から都電に乗って、大塚駅までおよそ20名くらいで向かったのでございます。
すると、どうでしょう、大塚駅前の大通りが通行止めになっております。屋台もたくさん出ております。
人もたくさん来ております。
とりあえず、大きなお祭りがやるようなので、みんなホッとします。それで次第にテンションが上がってきます。
何やら、いつもと違って、街が華やいでいるのでございます。
高揚の兆しとでも言いますか、街行く人々の顔にも紅さすように、楽しさがあらわれているようでした。
「これ、思った以上に大きなお祭りみたいだけど、え、本当に公認なの?」
なっちゃんは、頷きます。
「本部のテントに来てくれって言われています。腕章を渡すって」
こんな大きなお祭りの公認って、まさか、なっちゃん、色仕掛けでも使ったのか?
いや、まさかな、なぞと考えているうちに目的の本部テントにつきます。
普通、歩道にはロープがずっと張ってあって、一般の観客の皆様はその中には入れないのです。
ですが我々フォト部、どうぞ、どうぞ、中に入ってとフォト部全員が中に迎え入れられます。
店主として僕も実行委員の方と挨拶します。すると、なぞが解けました。
「山中さん(なっちゃん)からお祭を撮らせてほしいと連絡いただいたとき、思い出したんです。NHKで取り上げられていた書店だって。妻に聞くと、知っているという」
それで公認の許可がおりたということでした。
それにしても、なっちゃん、スーパーファイン・プレイ!
なっちゃんの問い合わせがなければ、公認になれずに、僕らはロープの外で人混みの中でストレスを抱えながら写真をとっていたことになります。
かくして、我々、天狼院フォト部はひとり1枚の公認「撮影」腕章と、通りに出て行っていい魔法の赤「はっぴ」3着を入手したのでございました。
実は、僕、阿波おどりをLIVEで観るのは初めてでした。
なんというか、有り体に申し上げますと、盆踊りや阿波踊りという、日本古来のお祭りというものは、「村臭」がするように思えて、とかく、若い時分は西洋のロックやパンク、それの大きな集まりであるフェスティバルなどに憧れるものでございます。
僕も例に漏れずに、スタイルとして、中学時代から洋楽を聴いてて、意味のない優越感をもって、日本のPOPシーンやましてや民謡や演歌なぞというものは鼻で笑って遠ざけていたのでございます。
おそらく、落語や阿波踊りもその中のひとつだったでしょう。
けれども、どうでしょうか。
一瞬にして、阿波踊りに魅了されている自分がいました。
あたかも、街であった美人に一目惚れするかのように、阿波踊りに、全身が魅了され尽くされるのがわかりました。
「なんだ、これ・・・」
鐘の先導で、太鼓がリズムよく鳴らされる。アスファルトの地面が鳴動するようで、その鳴動の上で、女踊、男踊が一体となって踊るのです。それを見て、見てというより、「体験」して、観る方も体が自然と踊るのです。
たとえば、EXILEが踊るような、ブレイクダンス的な動きとは、およそ対極にあるかのように、動きはシンプルで手足の稼働域も限られております。
しかし、なぜでしょうか。
一体化するその踊りの外に、大きく渦めく、巨大な熱気が醸しだされ、発散されるのが感じられるのです。
それが「狂」であることに気づくのに、さほど時間を要しませんでした。
そう、太鼓のリズムは、人の鼓動よりも早く、それはクラブミュージックとして親しまれる「トランス」のドラムとまるで同じもので、そういった太鼓の鼓動を下地にして、「魂の回転数」というべき生命の躍動を加速させる仕組みがそこにあって、それに身を任せることが心地良いことを、きっと我々は本能のレベルで知っているのでしょう。
大通りはまるでステージであって、「狂」の躍動は、ロープの外の人も魅了します。
また、ロープの外もステージであって、観客も、そこに現出された「狂」の、間違いなく共犯者なのでございます。
人は狂に酔いしれ、狂に踊る。
人が集まるには理由があります。マーケティング的な需要と供給の延長線上にある、合理性の突き詰めた先にあるものでは決してなくて、そこに「狂」があるから、「狂」に浸ること、自らが「狂」となれることが許される異空間がそこにあるから、人は合理的ではなく、本当的にそのことを知っているから、集まるのだろうと思います。
僕は、カメラを撮ることも忘れて、その場にある「狂」に酔いしれ、静かに「狂」でいられるこの空間にいることを、純粋に楽しんだのでございます。
翌日のことでございます。
僕は劇団天狼院にも、多くの女優を送り込んでくれている、天狼院のスタッフ本山が主宰する劇団ロオルの舞台が千秋楽を迎えるということで、それを観に高円寺に向かったのでございます。
高円寺はその日も阿波踊りだったようで、雑踏を避けて、僕は小さな小劇場に入ります。
彼女たちがやった演目は、たしか、「Waltz」。
内容は、『星の王子様』的な『銀河鉄道の夜』的な、そのどちらでもない、だからと言ってもそれ以上に新しいものでもないもので、正直いってしまえば、僕は内容をほとんど覚えていないのです。
うまい。たしかに、演技はうまいのだろうと思います。
去年よりも成長したのも間違いないでしょう。
ただし、つまらない。
僕は劇場を出て、なんでつまらないのだろうか、あれだけ小器用に出来ていて、なぜつまらないのだろうか、演出がダメなのか、それとも、脚本がダメなのか、なぞと反芻してみました。
別に、僕はあの拡大版を劇団天狼院でやりたいわけではない。
そうこう考えているうちに、祭りの囃子が聞こえてきました。
今まさに高円寺の阿波おどりが開催されているようでした。
僕はその囃子に誘われるようにして、通りの方に向かいました。
ものすごい、人です。
熱気です。
一体感です。
その空間だけ、異空間になっていて、熱気が渦を巻いて、空に昇って行くように感じられました。
人はぎっしりで、みっちゃくで、近くの人の汗の臭いなのか、踊っている人の汗の臭いなのか、うっすらと饐えたような臭いが感じられるのですが、それまでも、その熱気の中にうまく溶け込んでいるように感じられました。
僕は、唐突に、涙が溢れそうになりました。
魂が、躍動するのです。どうしようもなく、躍動するのです。
そこにあるのは、まちがいなく、「狂」でした。前日の大塚阿波おどりで感じたのと同じ、「狂」でした。
昔より、受け継がれた「狂」は、そのはみ出し方を知っていて、「狂っていい」境界のようなところを、巧みに行き来することを、あるいは「粋」というのやも知れません。
特に、70歳を超えたようなご老体が、若い人よりもそれほど激しく動くわけではないのに、その空間に醸す「狂」と言ったら、もはや「粋」というより他ないでしょう。
男踊の旋風するかのような荒々しい「狂」と、女踊の得も言われぬ、女性美の極致のようなスタイルが躍動することによって生じる華の「狂」と、何十年も培われてきた「粋」、それと意味もわからずに大人の「狂」とともに踊っている子どもたちの「萌芽」が渾然一体となって、その空間の「狂」を創りあげている。
「これだ」
と、僕はひとり、合点します。
劇団天狼院に必要となるのは、まちがいない、この「狂」である。
まずは荒々しい「狂」を創り上げ、傾きに傾きまくって、やがて、「粋」に到達する。
あるいは、これは劇団だけに言えるものではないのかも知れません。
本や小説、あらゆる芸術作品にも同じことが言えるのではないでしょうか。
マーケティングにも言えることです。
まずは「狂」でなければならない。
「狂」になれば、視界が狭くなるものです。
それは悪いことではない。
たとえば、一点集中して、新しい何かを創りだそうとする場合は、視界が狭ければ狭いほどいい。
脇目もふらずにそれに集中して、突破し、新たな境地に至ることができるからです。
「狂」の状態、言い換えれば、「トランス」の状態になるとき、人は寝食を忘れるだろうと思います。
人目や承認欲求など、吹き飛ぶだろうと思います。
そこには目の前に集中すべき、自分がやるべきことしかない。
それを達成することだけが、目的となります。
それ以外は、些事に過ぎず。
たとえば、もし、模倣者が現れたとしても、決して模倣者は「狂」たる先駆者に勝てるはずがありません。
模倣とは合理的思考であって、そこには損得勘定しかなく、「狂」とはおよそ対極にある状態だからです。
そして、普通に考えても、横を見ながら走る者は、まっすぐに先にある一点を見つめて走る者よりも、遅くなるのは目に見えています。
我々は「狂」であらねばならない。
作品に向き合うとき、何かを売ろうとするとき、そして、何かを成し遂げようとするとき、必ず、「狂」の状態に自らを持って行かなくてはならない。
成否の要諦とは、あるいは、そんなところにあるのではないかと思った阿波おどり初体験でございました。
もちろん、僕は天狼院を創り上げて行くにも「狂」であることにこだわり続けようと思います。
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