メディアグランプリ

気づくと、一本の道につながっていた


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記事:外園 佳代(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「英語ってなんだかかっこいいなぁ」
初めてそう思ったのは、母が定期購読していた週刊英字新聞に載っていたマンガを見たときだった。
それは、「ブロンディ」という、金髪のキュートな奥様の日常を描いたアメリカンコミックだった。
 
わたしが当時住んでいた田舎の暮らしとはまったくちがう、おしゃれで都会的でカラフルな生活がそこには広がっていた。
その光景とともに、英語のかっこよさが、幼いわたしの心の中にインプットされたのだ。
 
今思えば、母も、英語への憧れがあったのだろう。
田舎で花栽培の自営業という、英語とはまったく無縁の生活をしながらも、我が家には、子供向けの英語マンガや英語辞典があった。
 
母は、兄が小学生になると、英語の通信教育を受けさせ始めた。
しかし、兄はほとんど興味を示さず、使われないプリントがどんどんたまっていった。
わたしは、その英語プリントがとても魅力的に見えて、
「わたしもやりたい」
と、母に頼んだが、
「あなたにはまだ早いから」
と、却下された。
そして、兄はまったくその通信教育に手を付けなくなり、母も英語教育の情熱が薄れたのか、わたしがその通信教育を受けられる日がくることはなかった。
 
その後は、中学校、高校の授業で英語を学ぶだけという、当時としてはごく一般的な英語の学び方をした。
しかし、高校で出会った英語の先生に
「あなたの英文にはセンスがある」
とほめられ、この先生のすすめで英語日記を書くようになった。
提出するとその先生が毎回ていねいに添削してくれた。
 
そしてそれをきっかけに
「英語を使った仕事をしたい」
と思うようになり、希望進路先に地元の外語大を書くようになったのだ。
 
実際に学校の見学にも行き、入試の過去問題も購入し、わたしはその外語大をめざすはずだった。
しかし、高三で化学の担任になった先生に、わたしはものすごく惹かれてしまった。
たぶん、恋をしていたのだと思う。
その先生が語る化学の授業に夢中になった。
化学にまつわるストーリー、化学式のおもしろさ、化学によって生み出されるさまざまな物質……。
 
「やっぱり、理系の大学に行きます」
と、わたしはあっさり進路を変えた。
物理は苦手だったが、化学と生物で受験できる農学部を選び、猛勉強の末、第一志望の大学に入学した。
そしてそのまま、英語への情熱は忘れていった。
 
大学でも、英語にふれたのは、教養課程の授業くらい。
最低限必要な単位が取れればよい、くらいの気持ちだった。
理系の授業や実験は楽しかったし、就職先にも化学系のメーカーの研究所を選んだ。
 
この研究所に就職すると、思いがけなく、再び英語と関わるようになった。
英語の論文を読んだり、外国人の研修生の世話をしたりと、英語が必要な場面が増えてきたのだ。
それと同時に、わたしは、理系の仕事に自分が向いていないことを感じ始めた。
実験を繰り返したり、報告書をまとめたりといった作業がどんどん苦痛になっていった。
 
「やっぱり、英語を使う仕事をしたい」
と、高校生の時の気持ちを思い出した。
 
「あのとき、外語大に進んでいればよかったのに」
と、後悔の念が何度も浮かんできた。
「英語の先生の『あなたの英文にはセンスがある』という言葉を信じていたらよかった。あの化学の先生に出会わなければよかった」
とさえ思った。
 
しかし、
「今からでも遅くない。結婚しても続けられるよう、家でもできる翻訳の仕事をめざしてみよう」
と、翻訳を学ぶ通信教育を受けることを決めた。
 
それまでは、研究所の仕事が終わると、同僚や先輩とあちこち遊びに行くことも多かったが、そういった付き合いをすべてことわり、わたしは翻訳の勉強に取り組み始めた。
翻訳は、学生時代に学んできた受験英語とは大きく異なっていて、簡単なものではなかった。
しかし、久しぶりに英語の勉強にどっぷり浸るのはとても楽しかった。
 
そうして翻訳の勉強を続けたものの、翻訳会社の登録試験にはなかなか合格しなかった。
その間に、わたしは、退職、結婚、転職をした。
「わたしはいきあたりばったりだなぁ。どうしてひとつのことを続けられないんだろう」
と、自分を責めることもよくあった。
 
しかし、とうとう、翻訳会社の試験に合格し、自宅で翻訳の仕事に専念するときがやってきたのだ。
 
翻訳会社に登録するときは、最初にどんな分野を翻訳するか、自分の専門分野を選ぶことになる。
わたしには、大学や会社で学んできた理系の知識があった。
そのため、化学系、生物系の翻訳を請け負うことができた。
 
翻訳会社というのは、登録したからといってすぐに仕事がもらえるわけではない。
地道な営業活動が必要なときもある。
しかし当時、理系の翻訳者はそれほど多くなかったため、わたしは登録するなりすぐに仕事がもらえた。
 
日本語や英語の原稿を読むと、
「ああ、これは、あの化学物質のことを言っているのだな」
「これは、あの実験のことを言っているのだな」
と、すぐに理解ができた。
 
翻訳しながら、大学時代の授業や、研究所での作業がなつかしく思い出されることもあった。
もしわたしが外語大に進んで英語の知識しかなかったら、まずはそういった理系の勉強から始めることが必要だっただろう。
 
そして気づくと、理系の翻訳者として、二十年以上の月日がたっていた。
三人の子供を育てながら、いつも翻訳が自分のかたわらにあった。
翻訳の仕事は、わたしにとって、「◯◯ちゃんのママ」だけではない、ひとりの個人としての自分を支えてくれる、とても大切な存在だ。
 
今、ふりかえると、高校生の時に抱いた
「英語を使う仕事をしたい」
という夢がしっかり叶っていたことに気づく。
 
「いきあたりばったり」と自分のことを情けなく思ったこともあったし、英語の仕事につくまでにずいぶん遠回りしたように感じたこともあった。
しかし、バラバラに見えていたことがらは、ひとふで書きのように、一本の道につながっていたのだ。
わたしは、自分の子供がこの先、進む道に迷ったときにも伝えるだろう。
 
「いきあたりばったりでいい。自分がやりたいことに素直に生きたらいい。遠回りに見えても、きっとそれが一本の道につながっていたことに気づくから」
 
 
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2019-03-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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