令和になった今、6年間「ひきこもり」だった平成の僕に伝えたいこと
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:渥美 勉(ライティング・ゼミGW特講)
「お母さんも死ぬから、つー君も死んで」
虚ろな目で母は僕に包丁を向けた。
今から20年前、平成10年の真夏のことだった。10階建てのマンションの9階にある実家は当時エアコンがなく、生ぬるい風を運ぶ扇風機の音だけがブーンと響いていた。
中学2年の梅雨の頃から、僕は学校に行かなくなった。それまでは、休み休みなんとか通学していたが、もう心身ともに無理だった。教室の席に座っていると背中で感じるこそこそとした声。「キモい」「学校来なければいいのに」etc……。面と向かって言うワケではないが、それが僕に向けられていることはどうしようもない事実だった。僕のなにが悪いのか。どうしたら嫌われないのか。考えても考えても答えは出ず、もう疲れてしまった。そうしているうちに、朝、目が覚めても体を起こせなくなった。それから6年間のひきこもり生活がスタートする。
「今日は学校いくよね?」
母は毎朝僕に聞いてきた。僕は何も答えない。
「どうして学校いかないの?」
僕は何も答えない。自分がクラスメイトから「キモい」と思われているなんてことは、絶対に知られたくない。
そんなことが毎日繰り返された。まるで我慢比べのようだった。ただ、どっちが勝っても誰も幸福にはならないことはわかっていた。
そうして続いた我慢比べに、母は負けたのかもしれない。僕がひきこもるようになって3ヶ月が経ったあの夏の日。母は僕を殺すことにした。
「どうして普通に学校に行けないの? どうしてお母さんの言うことが聞けないの? どうして? どうして?」
母は僕に聞いていると同時に、自分自身に問いかけているように見えた。底なし沼のように、ずぶずぶと2人で沈んでいくような感じがした。
「殺したいなら好きにすれば。別に生きてたくないし。あんたが生んだんだから、好きにすれば」
僕がそう言うと、長い沈黙の後、
「そう……」と言って母は包丁をキッチンにしまいに行った。母の中で、何かが終わったのだと思った。
それから母は何も言わなくなった。
僕はなるべく母や家族と会わないように細心の注意を払って生活するようになった。家族が会社や学校に行った後を見計らってリビングに出て朝食を食べながら、午前のワイドショーを見る。『笑っていいとも!』から昼ドラを経て、夕方の再放送ドラマが終わる頃、ぽつぽつと家族が帰宅しだすので、玄関の鍵が開く音に注意する。「カチャ」と音がすると慌てて自分の部屋にひきこもる。
ひきこもった部屋では、録り貯めた深夜ラジオ(aikoのオールナイトニッポン・コムが好きだった)のカセットテープを聞いたり、小説を読んだり、眠くなったら寝たりとダラダラとしていた。そして、時折襲ってくる将来への不安に歯を食いしばるようにして耐えた。
転機は、インターネットだった。
平成13年、僕が17歳の頃、離婚して離れて暮らしている父が使い古したノートパソコン(ThinkPad)を僕にくれた。そしてインターネットを契約してくれた(Yahoo!BBのADSL)。それからは、起きてから寝るまでネットサーフィンに熱中した。インターネットは自由だった。今まで僕が触れたことがないような意見や主張があった。テレビではまるで罪人のように扱われていた「ひきこもり」も、「別に良いじゃん」という空気があった。そもそも、当時のインターネットはちょっと根暗な人が多かった気もする。
そして、僕の人生を大きく変えるホームページを見つける。
それは『仙台青年・学生センター』という謎の団体のサイトだった。五千円で半年間、英語やピアノ、料理やギターが学べると書いてあった。暇を持て余していた僕は、思い切って行ってみることにした。
そこは東北大学の学生が教会の施設を借りて運営しているカルチャーセンター的な場所だった。東北大学の学生はもちろんのこと、留学生や中高生、年配の方も通っていた。多種多様な人が集うその場所は、僕に衝撃を与えた。人種差別や、LGBT、格差社会、世界の貧困の問題etc……。様々な社会問題を自分ごととして捉え、皆で議論する場があった。そして、あまりにもそれぞれの背景が違うため、「人と違うことが当たり前」という空気があった。僕は視界が開けていくのを感じた。ここに居てもいいんだ。ここに居たい。そう思える場所を見つけた。
僕が学校に通っていないことを、咎める人はいなかった。理由も聞かれなかった。ただ、世間話をしたり、社会問題について意見を求められたりすることが嬉しかった。もっといろんなことを、この人たちと話したい。話についていけるようになりたい。次第にそう思うようになっていった僕は、高卒認定試験を受けて合格すると、大学進学を意識するようになった。
平成18年、2年間の浪人生活を経て、京都の大学に合格した。
一番喜んだのは母だった。
「京都は寒いって聞くから、あったかくしてね」
「困ったことがあったら、いつでも電話してね」
「お母さんも、京都観光に行っちゃおうかしら」
ノリノリだった。
それから、震災があって実家がメチャメチャになったり、就職活動が上手くいかなかったり、血だらけの子猫を拾って飼うことになったりといろんなことがあった。そんな平成も終わり、今日から令和が始まった。
多くはないけれど信頼できる友人に恵まれ、やりがいのある仕事に恵まれ、今この記事を書いている左横では、猫があくびをしている。
6年間ひきこもっていた平成の僕へ、
とてもしんどいよね。死にたいと毎日思っているよね。
誰も自分のことを理解してくれないと絶望しているよね。
確かに、今もしんどいことはあるし、理解し合えない人もいます。
でも、楽しいこと・嬉しいこと・悲しいこと・辛いことを分かち合える人とも巡り会えます。
どうにか生きてください。命さえあれば、何度でもやり直すことができます。
大丈夫、大丈夫です。
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