おばあちゃん
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記事:Mami Osawa(ライティング・ゼミ日曜コース)
平成が終わる。
私はもうすぐ40歳。
昭和、平成、令和。三つ目の元号。なんだけ急に老ける気がしてしまう。
そんな気分になっているのはきっと私だけじゃないだろう。
私が子供だった頃、祖母は、「私のおばあちゃん」というだけでなく、すでに誰から見てもおばあちゃんだった。
ところが。まだ生きている。
これは予想外である。それも、うれしい方の予想外だ。
おばあちゃんは大正生まれだ。
四つ目の元号を生きることになる人だ。
わたしは母子家庭で、あの頃には珍しくお母さんが働いている家に育った。
学校から帰ると近所に住んでいたおばあちゃんの家に行った。
いや、そのころはおじいちゃんもいた。おじいちゃんもいたけれど、わたしはおばあちゃんに会いに行っていた。おじいちゃんごめんなさい。おじいちゃんのことも好きだ。でも、おじいちゃんはタバコをふかして、新聞を読んでいるだけだったから、私の意識の中では「おばあちゃんの家に行く」だったのだ。
電気も通らない山奥で生まれ育ったおばあちゃんは、町で暮らすようになってからも、畑を耕し、とれた野菜で質素なご飯をつくり、最低限の物しか持たない、今でいうミニマリストのような暮らしをしていた。毎日が単純なルーティンワークの繰り返し。変化のない暮らしだった。
一緒に畑で草をとり、時期になれば野菜を収穫した。
食事はいつも、お味噌汁、お漬物、野菜の煮物、そしてご飯。質素で変化がなかった。
テレビはあったけど、観るのは大相撲だけだった。
私には兄がいる。兄は全くと言っていいほど、おばあちゃんの家に来なかった。兄にとって、おばあちゃんの暮らしは退屈以外のなにものでもなかったのだろう。
私はその、のどかで優しい時間が好きだった。
甘やかされたわけでもない。叱られた記憶もない。
いつも、静かに一緒にいてくれる、ただそれだけだった。
それだけが、どれだけ当たり前でないか、子供のころは気付いていなかった。
高校を卒業して、私は上京した。
実家へは時々しか帰らなかった。
時々とは、2,3年に一度だ。
帰省したうちの一回はおじいちゃんのお葬式だった。
小さなおばあちゃんが、さらに小さくなっていた。
おじいちゃんがいなくなり、おばあちゃんは私の母と暮らすことにした。
引っ越しは簡単だった。物が少ないのであっという間に片付いた。
そして、私の実家は、おばあちゃんが増えたのに、狭くなった印象はなかった。おばあちゃんの荷物は本当に少なかった。
おじちゃんが亡くなってから、前より少し実家に帰ることが多くなった。
おばあちゃんと二人きりで過ごす時間が好きだ。
時々しか帰省しない私を、まるで先週会っているかのような「いらっしゃい」で迎えてくれる。
たまにしか会えないからと、特別なことをするわけでもない。
テレビも付けず、パソコンもスマホも使わない。
静かで、時々犬がワンと鳴く、そんな時間は大人になったわたしには貴重である。
東京での騒がしく、あわただしい生活に疲れると、大掃除をして物を捨てる。
そして、おばあちゃんに会いたくなる。
私のホームはあのシンプルな家とおばあちゃんなのだろう。
母はもう高齢者と呼ばれる年代だが、今も働いている。
私が帰省するときは、仕事を休もうとしてくれる。
でも、休まず仕事に行くようにうながす。
私はおばあちゃんと二人きりで、何もしない時間が好きだ。
母が働いている間、おばあちゃんが一緒にいてくれた。
お母さんが家にいなくてさみしかった、という記憶がない。
おばあちゃんとの時間が好きだったから。
おばあちゃんといると落ち着く。子供のころも今も。
おじいちゃんが亡くなって15年。
おばあちゃんは、なんと、今も生きている。
ただし、残念なことに昨年、おばあちゃんは転んで腕を骨折した。
家事や散歩ができなかったせいか、急にボケてきた。
そう母から連絡が来た。自分の子供や孫のこともわからなくなってきたと。
いつもよりも間をあけずに帰省した。
私のことはすぐにわかってくれた。
私にはボケているようには見えなかった。
おばあちゃんは、自分の部屋に入ると、1日がリセットされるというボケ方をしていた。
部屋から出てくると、着替えていて、「おはようございます」とあいさつをして、顔を洗いに行く。
こんなボケがあるのか! なんてかわいいんだ! と思った。
日に何度もおばあちゃんと「おはようございます」を言う。
何度も「おはよう」を言いすぎて、あの時、私は実際には何日滞在したのか思い出せない。
私が帰る日、「もう行くのかい?」と涙を流した。
胸がきゅんと苦しくなった。
たぶん、次はもう私のこともわからないと思ったから。
私が実家に帰省してから数か月。
痴呆症はあっという間に進行してしまった。
平成が終わる。
まさかこの年まで自分のおばあちゃんがこの世にいるとは思っていなかった。
もう会ってもわかってもらえない。
それでもいい。
令和元年、おばあちゃんに会いに行こう。
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